女帝と勇者
勇者がこの町を訪れるという。
この国有数の商業都市。市場はにぎわい、綺麗に着飾った女子共が姦しく行き交う。目抜き通りに面したカフェは満席で、流行りのハットを被った紳士が、熱い商談を繰り広げる。
明るい空気に包まれた町も、一歩路地裏へ進めば闇だ。この国の薄暗いものをかき集めたような闇。その闇の頂点に、妾は君臨している。
「狙いは膿の炙り出し。それとも……妾か」
やれ悪代官を成敗しただの、魔獣被害で危機に瀕した村を救い再興しただの、各地で聞こえめでたい勇者であるが。
「魑魅魍魎跋扈するこの裏社会。勇者といえど若造ごときに、好きにさせてなるものか」
そう構えていた妾だが――――
「ぶはっ! 見た? 姐さん? 今のめっちゃウケる!!」
大笑いしながら、含んだ果実水を噴き出す男を前に、妾はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「くだらん。お主、レディーのエスコートとしてこれはどうなのじゃ?」
重厚な紅の垂れ幕で囲われた舞台。ガラス球に火を浮かべたものがいくつも吊るされ、宵闇に淡い光が演台を幻想的に照らしている。
ガラガラと台車を押す獣人が、観客席の間を縫うように回り、飲み物や簡単なツマミを売っている。
「いやだって……ブフッ」
口を押さえて勇者が指差したのは、半裸の翁がケツの上に傘を載せ、こま回しを披露する曲芸だ。汚いジジイの尻なぞ、何が面白いというのだろうか。
「あ、お姉さん。その氷菓子とジュースください!」
勇者は獣人の少女を呼び止めると、硬貨と引き換えに2つのコップを受け取った。
「ありがと。君、かわいいね!」
笑顔でさらっと口説いてやがる。下手に顔が良いだけに、言われた少女もすっかり頬を赤らめているではないか。
(こやつ、妾に興味がないのでは……?)
堂々と大手を振って裏町の中心部に乗り込んできたと思ったら。
「裏社会の冷血女帝って、お姉さんのこと? 今さ、祭りやってるんだって。俺とデートしない?」
ペラッペラの誘い文句。爽やかな青髪に、宝石のような空色の瞳。甘いマスクに真正面から微笑まれ――――しかし妾はそこらの生娘とはちがう。その裏にあるものを見逃すまいと、見極めるためにその手をとった訳だが……
「おんどれ! 小僧。姐さんをデートに誘うなんざ、勇者とて容赦せん」
「おお!その姐さんってのいいな。俺も呼んでいい?」
心配性の配下が、勇者に連れ出された妾を案じて、尾行しているのは知っていた。しかし――
「お前ら何をやっておる」
振り返った先には、ツマミを囲み、観劇を楽しむ我が配下。スキンヘッドに入れ墨を入れた男が、妾の視線に気づき、一瞬気まずい顔をした。
「いや、姐さん。違うんっすよ。これ、全部勇者の奢り――」
「おい、こら余計なこと……あ、姐さん。俺らしっかり見張ってるんで! 後ろは安心してつかぁーさいっ」
ささっと酒瓶を背後に隠し、満面の笑みで誤魔化す部下共に、叱るのも面倒になり視線を舞台へ引き戻した。
「そろそろ終いか。いい加減――」
誰もいなくなった舞台。祭りも終盤に差し掛かり、そろそろ勇者の真意を確認しようと隣を見て、
「いない」
いつの間にやら、隣は空席になっていた。立ち上がる気配すら感じなかったぞ。まさか計られたか。急ぎ周囲を探ろうとするが、
――――照明が落ちた。
「きゃあっ」「なに?」
「姐さん!?」「襲撃か?」
観客たちの困惑が、混乱へと移り変わるかと思われたその瞬間。
「お集まりの皆さま」
舞台の一点。天幕を吊るす梁の上に、明かりが灯った。
「本日は素晴らしい出し物を、ありがとうございました。まさに至芸。誠に感服いたしました」
足場などほぼない梁の一点で、勇者は自ら生み出した光に照らされ、何をしようというのだろう。
「日々戦うことでしか民の皆さまに報いることができない勇者でありますが。今宵は素晴らしい芸の数々に、我が技をもって、心ばかりのお返しを」
ふっと光が消えて、場内は再び闇に覆われた。静まり返った演技場で、ポツポツと腕や頬に冷たい雨のようなものが触れた。
「雪――?」
淡い光をまとった冷たい粒。手のひらに載せてみると、それは小さな氷の結晶だった。
次第に降り注ぐ結晶の光が強まり、淡い桃色に柔らかな黄色、涼し気な青がそこかしこに、花のように舞い始める。
ぽんっ――
頭上で弾ける音に見上げれば、空に光る花が開き、星屑のように砕け散る。
ひゅぽ、ぽぽんっ――
次々と、幻想的な光の花が、夜の空に咲いては散る。光が砕け散るたびに、観客たちに降り注ぐ。触れた瞬間は冷たいのに、決して嫌な感じはしない。ただ柔らかく肌のうえですっと溶け、不思議な清涼感が体中を駆け巡った。
「今宵、共に過ごす時間をくださった、素晴らしいあなたに」
気づけば光が舞い踊る夜空の中を、勇者が歩き始めている。ゆったりとした足取りで、宙を踏むたび火花がくしゅっと弾け、青い光の軌跡を残していった。
「はい、姐さん」
見上げたすぐそばで、にこりと微笑む勇者。その手で差し出されたものを、思わず両手に受け取った。
なんの変哲もない木のコップ。先程勇者が、売り子から買ったものだ。
「星の篝火。燃えてるけど、熱くないよ」
のぞき込むと、ひんやり冷気が立ちのぼる。暗い色の液体に、シュワシュワと色を放つキューブが、いくつも浮かんでいた。
「今日のデートのお礼さ」
ストンと隣に降り立つと、勇者は「次の屋台へ行こう」と手を差し伸べた。
(もう少し、この夜空を見ていたい)
不覚にも、妾はそう思っていた。手のなかにある景色から、視線を逸らしたくないと。
「俺の親友がさ、バカなんだよ。ほんとバカ」
とうに夜はすっかり更けて、そこかしこの屋台もそろそろ店仕舞いの頃合いだ。売れ残りの飴がけ菓子をかじりながら、くだらない話を続ける勇者。
「――臆病でさ。全身に魔法を刻んでるんだけど。この前『自分じゃ尻が見えない』って言うんだよ!」
勇者とその親友とやらのくだらないエピソード。妾はもう諦めた。
(今宵はこれで良いではないか)
決して気を許したわけではないものの、妾はこの愚かな勇者に付き合ってやることにしたのだ。
「それで俺が筆をもって――」
「しっ」
とっさに勇者の手を引き、店と店の間の路地に引き込んだ。しばらくすると、小さな女の子。綺麗に着飾ったいかにも貴族の令嬢といった風貌の少女が、付き添いに囲まれ通り過ぎていく。
「どしたの?」
「いや……」
歯切れの悪い妾を見上げ、勇者は路地から顔だけ出した。
「お嬢様、そろそろお帰りにならないと――」
「やーだー。爺やの分のお土産がまだなんだもん」
勇者につられ、妾も通りを覗き見る。揺れる亜麻色の髪は、以前に比べて随分綺麗に伸びたみたいだ。頬を膨らませ付き人を困らせているようだが、確かに彼の言うとおりだぞ。幼子が歩き回る時間ではない。
「知り合い?」
「まあ、の」
妾の視線を辿った勇者が、小声でそう尋ねてきた。
亡くなった弟の忘れ形見。妾の唯一の血縁。
妾が、幾重にも絡まる陰謀の蜘蛛の巣から、この身の全てをかけてようやく、すくい上げた宝物。
「声、かけなくていいの?」
「……彼女は光ある道をいく。妾のことなど知らぬほうが良い」
良いのだ。こうして、健やかな姿を見られるだけでも――
「ふーん」
気のない返事。勇者は食べ終わった串を、さっと手のなかで燃やすと、少女が去ったのとは反対方向へ歩き始めた。
(いやそこはもう少し興味を持っても)
あまりの無頓着さに、思わず動きを止めてしまった。慌てて勇者の後を追う。
「……なぜ妾を誘ったのじゃ?」
取り入るでもない。何かを聞き出すこともない。ただ共に歩き祭りを眺め、飲み食いしただけ。
「素敵な女の子がいたら、誘うの当たり前じゃん」
丸く見開かれた目は、さも当然だと言わんばかり。妾はこやつを見誤っていた。
こやつは女好きなどではない。
女という生き物を、愛でているだけなのだ。
「かわいい女の子。頑張ってる女の子。輝いてる女の子。世の中、すてきな女の子がいっぱいだ」
夢はこの国すべての「素敵女子」とデートすることだと、大まじめに語る勇者。
「はぁ……妾のどこが"すてきな女の子"だ」
呆れてものも言えない。
「え? 女帝さんはどっちかってと……」
妾の言葉に、勇者は足を止めて悩み始めた。両手を腕組みしたり、片手であごをさすってみたりと、ずいぶん真剣に考えている。
「……頑張ったねって褒めてもらいたくて、でも言えずに我慢してる、健気系かわいい女子?」
「…………は?」
思考が停止した。
そのままぽんぽんと、頭に小さな衝撃が。
「頑張ったね。偉いね。ありがとう」
勇者が、妾の頭を撫でていた。
「頑張る君は素敵だ。輝いている!」
幼子をあやすような手つきで、何度も頭を撫でる勇者に。妾は怒る気力も湧いてこない。
ただ――――
妾は知ってしまった。
ただ一言、姪に
「ありがとう」と言われたかったのだと。
それに気づいたとき、重い泥の中をもがくように進んできたこの身が、ほんの少し軽くなるような気がした。
「でも、もし……どうしても辛くなっても、大丈夫。そんときは俺がどっかに連れてってやるよ」
相変わらず、妾に興味もないくせに。そんなことを抜かす勇者に、妾は笑い返してやる。
「何を十年そこらしか生きとらん若造が」
妾は夜の街の王者。冷血女帝であるぞ。
「お主こそ、魔王に虐められたときは、ここに逃げ帰ってこい。妾が抱きしめ慰めてやろう」
そんな妾に、今度こそ勇者は大笑いした。
「そんときは仲間ともどもお世話になるよ」
と返す勇者。
このとき初めて妾は見た。アイスブルーのその瞳に、わずかに熱が宿るのを。




