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第0部 第4話「偽者騒動」

第0部 第4話「偽者騒動」

 ハジマーリの外れ、貧しい住人が身を寄せ合うように暮らす区画に、二人の男が現れたのは、その日の昼下がりのことだった。

 この区画は城壁都市ハジマーリの中でも特に貧しい人々が集まる一帯で、狭い路地に小さな家々がひしめき合っている。日中は仕事に出ている者が多く、家に残るのは老人や幼い子供ばかりだった。屋根は継ぎ接ぎだらけで、壁の隙間から風が吹き込む家も少なくない。それでもここに住む人々は、互いに助け合いながら、慎ましくも温かい暮らしを営んでいた。

 派手な柄の入った上着に、こけおどしのような入れ墨。傍から見れば、確かにワルーイ一家の構成員と見紛うような出で立ちだ。だがその目つきには、あの一家特有の――どこか間の抜けた愛嬌のようなものが、微塵も感じられなかった。ただ濁った、獲物を狙う獣のような光だけがそこにあった。

 この二人組は、隣町から流れてきたならず者だった。ハジマーリの街で「ワルーイ一家」という名を出せば、たいていの者は震え上がって言うことを聞く――そんな噂を耳にし、名前だけを騙って甘い汁を吸おうと企んでいたのだ。彼らにとって、ワルーイ一家の実態などどうでもよかった。ただその悪名だけを利用できればそれでよかったのだ。行く先々の街で似たような小遣い稼ぎを繰り返し、今日この区画に流れ着いたのも、その延長に過ぎなかった。

「俺たちはワルーイ一家だ!食い物を寄越せ!」

 狭い路地に響いた声に、家々の戸口から人々が怯えたように顔を出す。

「早く寄越せ!」

 二人組の男の一人が、老婆の家の戸を乱暴に叩いた。

「ヒィィ……」

 震え上がる老婆に、男は舌打ちして手を伸ばした。まさにその時だった。

「お前たちはワルーイ一家じゃない!ワルーイ一家の名前を使うな!」

 声を上げたのは、老婆の孫だという少年だった。まだ十歳にも満たないだろうその子は、老婆の前に立ちはだかるようにして睨みつけている。小さな体を精一杯大きく見せようとするように、両手を広げていた。

「なんだこのクソガキ!俺たちは泣く子も黙るワルーイ一家なんだぞ!」

 男が凄んで見せても、少年は一歩も引かなかった。その隣に、同じくらいの年頃の少女が駆け寄ってくる。

「ワルーイ一家は弱い人から奪ったりしない!」

 少女の声は震えていたが、それでもはっきりとした口調だった。この二人は、ワルーイ一家が街でどんな振る舞いをしているか、幼いながらもちゃんと見て育ってきたのだろう。炊き出しのスープを分けてもらったこと、孤児院で優しくしてもらったこと、道端で怖い顔をしながらも困った人には手を差し伸べる、あの独特の連中の姿を。

「あたし、この前熱出した時、ヒャッハーさんが薬草持ってきてくれたもん!」

「僕んちも、屋根が壊れた時に直してくれたよ!」

 子供たちの言葉に、家の陰から様子を窺っていた大人たちも、小さくざわめいた。誰もが息を潜めながらも、この小さな二人の勇気ある姿から目を離せずにいた。だが、目の前の偽者たちには、そんな理屈は通じなかった。

「黙れクソガキ共!全員ぶっ殺してやる!」

 男の一人が刃物を抜いた。老婆が悲鳴を上げ、少年と少女はとっさに身を寄せ合う。周りの大人たちも動けずにいた。相手が本当にワルーイ一家だと思い込んでいるからこそ、下手に手を出せば何をされるか分からない――そんな恐怖が、区画全体を凍りつかせていた。

 誰かが助けを呼びに走ろうとしたが、狭い路地は既に人だかりで塞がれ、うまく動けない。近くの家の窓からも、恐怖に顔を強張らせた住人たちが息を潜めて様子を見守っていた。誰もが、この状況を打開する術を持たなかった。刃が振り下ろされようとした、その刹那。

「ヒャッハー!悪い子はいねぇか!!!」

 路地の向こうから、地響きのような声が轟いた。

 次の瞬間、偽者の男の腕を、太い腕がねじり上げていた。刃物が乾いた音を立てて地面に転がる。

「な、なんだお前は!!」

「ヒャッハー!!!てめぇらこそ何様のつもりだ!!!俺たちの名前を騙って、ガキ相手に刃物向けやがって!!!」

 本物のワルーイ一家――巨躯の男が、偽者の襟首を掴み上げる。その背後には、いつの間にか数人の構成員たちが集まっていた。彼らの目には、いつもの人懐こい光はなく、ただ静かな怒りだけが宿っていた。

「て、てめぇらが本物だってのか……!?」

「ヒャッハー!!!当たり前だろうがぁ!!!俺たちの名前を勝手に使って弱い者いじめとは、いい度胸してんなぁ!!!」

 もう一人の偽者も、別の構成員によってあっという間に取り押さえられた。逃げようとした足は空しく空を切り、その場に組み伏せられる。

「放せ!放しやがれ!」

「ヒャッハー!!!大人しくしてりゃ痛い目見ずに済んだのによぉ!!!」

 偽者たちはあっという間に取り押さえられ、縄を打たれていく。震えていた老婆は、ようやく安堵の息を吐いた。

「あぁ……ありがとうございます、ありがとうございます……」

「ばーさん、怪我はねぇか?」

「大丈夫だよ、大丈夫……。それより、この子たちが……」

 老婆は涙を浮かべながら、孫とその友達を見た。二人はまだ興奮冷めやらぬ様子で、肩で息をしている。震える手を握り合いながらも、その顔にはやり遂げたという誇らしさが滲んでいた。

 構成員の一人が、少年と少女の前にしゃがみ込んだ。

「怖い思いさせちまったな。よく頑張ったぜ、お前ら」

 少年は目に涙を浮かべながら、こくりと頷いた。

「僕たち、ワルーイ一家は絶対にこんなことしないって、分かってたから」

「あたしも、怖かったけど、嘘の一家に負けたくなかったの」

「ヒャッハー……そうか。ありがとよ」

 その言葉に、大男は珍しく穏やかな声でそう返した。周囲の大人たちは、その光景を呆然と見つめている。恐れていたはずの相手が、目の前で子供たちの頭を優しく撫でている――その光景は、これまで抱いてきた印象を大きく揺さぶるものだった。

 少年は涙を拭いながら、大男の顔を見上げた。

「お兄ちゃんたちが本当のワルーイ一家で、よかった」

「ヒャッハー!!!当たり前だぜぇ!!!本物はいつだって、お前らの味方だからな!!!」

 大男はそう言って、少年と少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。二人は照れくさそうに、それでも嬉しそうに笑った。老婆はその光景を見て、目に涙を浮かべながら手を合わせていた。

「あの……」

 老婆の隣に立っていた別の住人が、恐る恐る口を開いた。

「本当に、あんたたちがワルーイ一家……なんですね」

「ヒャッハー!!!何を今更、当たり前だろうがぁ!!!」

「いや、その……いつも噂で聞く話とは、随分違うもんだから」

 構成員たちは顔を見合わせ、豪快に笑った。

「ヒャッハー!!!噂なんてもんは、話半分に聞いときゃいいんだぜ!!!」

 その様子を見ていた区画の住人たちが、少しずつ家から出てきた。最初は遠巻きに眺めていた者たちも、やがて恐る恐る近づいてくる。

「あの、うちも先月、屋根が壊れて困ってたところを助けてもらったんです」

「私も、子供が熱を出した時に……」

 一人が口を開くと、それに続くように次々と声が上がり始めた。この区画に住む人々の多くが、実はワルーイ一家に何かしらの恩を受けていたのだ。だが今まで、それを大っぴらに語ることは憚られていた。街全体に広まる悪評の中で、自分たちだけが「本当のことを知っている」と口にするのは、どこか気が引けることだったからだ。

「うちも、亭主が怪我した時に薬を届けてくれて」

「うちの畑も、獣に荒らされた時に見回りをしてくれたんですよ」

 次々と語られる恩の数々に、構成員たちも驚いた様子で顔を見合わせていた。

「ヒャッハー!!!そんな大したことしてねぇって!!!」

 構成員たちは照れくさそうに頭を掻きながら、集まってきた住人たちの声に耳を傾けていた。狭い路地は、いつしか温かな笑い声で満ちていた。

                *

 その夜、事の顛末を聞いたスッゴクは、事務所で静かに報告を受けていた。ランプの灯りが、机の上に置かれた地図をぼんやりと照らしている。

「頭領、偽者はギルドに突き出しておきました。今後は同じ手口の詐称が起きねぇよう、街の顔役にも話を通しておきます」

 報告する構成員に、スッゴクは短く頷いた。ランプの灯りに照らされたその横顔は、いつもと変わらず静かなものだった。

「ご苦労だった」

「それと……あのガキ二人、大した肝の据わりようでしたぜ。俺たちの評判を信じて、身体張って立ち向かったんです」

 スッゴクは何も言わず、ただ小さく目を細めた。

「怪我人はいなかったんだな」

「へい、ばーさんも子供らも無事です。偽者どもは擦り傷程度で済ませてやりましたが」

「そうか」

 短い返事の中に、構成員はいつもと変わらぬ頭領の意志を読み取った。過剰な報復は求めない。だが、二度と同じ真似ができないように、しっかりと落とし前はつけさせる。それがこの一家のやり方だった。

「あの区画の連中も、今回のことで少しは分かってくれたんじゃねぇかと思いますぜ」

「そうかもな」

「実は……あの後、区画の住人たちが次々と『恩がある』って声を上げ始めたんです。屋根を直してもらったとか、子供の熱を診てもらったとか」

 スッゴクは静かに目を細めた。

「そうか。それはいいことだ」

「ですが、頭領。これで街全体の見方が変わるってわけじゃねぇでしょう」

「あぁ、変わらねぇだろうな」

 スッゴクはあっさりとそう言った。

「だが、それでいい。一人一人が分かってくれりゃ、それで十分だ。街全体の評判なんてもんは、俺たちが気にすることじゃねぇ」

 構成員は深く頷くと、一礼して部屋を後にした。

 街の人々にとって、ワルーイ一家はいまだ「悪の組織」として恐れられている。だが、こうして真実を知り、信頼を寄せてくれる者たちも確かに増えてきている。それは決して声高に語られることのない、静かな積み重ねだった。

 インテリが帳簿を片手に部屋に入ってきた。

「頭領、今日の一件、街の噂ではどう広まると思いますか?」

「さぁな」

 スッゴクは短く答えた。

「悪い噂ばかり流れる街だ。今日のことも、どう歪められるか分からねぇ」

「ですが」

 インテリは眼鏡を押し上げ、静かに続けた。

「あの子供たちの中には、真実が残ったはずです。それだけで、十分ではありませんか」

「……あぁ」

 スッゴクは短くそう答えると、椅子の背にもたれかかった。

「あの子供たちみたいなのが、この街に少しずつ増えていけばいい。それだけで十分だ」

「同感です」

 インテリはそう言って、静かに微笑んだ。しばらくの沈黙の後、彼は帳簿を小脇に抱え直し、改めて口を開いた。

「頭領、一つよろしいですか」

「なんだ」

「もし今後、こうして名前を騙る輩が増えていくようであれば、何か対策を講じるべきかもしれません。街の顔役だけでなく、ギルドや教会にも、私たちの実態を伝える機会を設けるとか」

 スッゴクはしばし黙り込んだ後、ゆっくりと首を振った。

「いや、いい」

「よろしいのですか」

「俺たちがわざわざ言って回るようなことじゃねぇ。分かる奴は分かる。それでいい」

 インテリは小さく頭を下げた。

「承知しました。頭領のお考え、この胸に刻んでおきます」

 インテリはそう言い残すと、静かに一礼して部屋を後にした。扉が閉まる音が、静まり返った屋敷の中に小さく響く。

 窓の外では、月明かりに照らされた街並みが、今日もひっそりと眠りにつこうとしている。

 スッゴクは何も答えなかった。ただ、窓の外に広がる夜の街並みを、いつまでも眺め続けていた。その横顔には、いつもと変わらぬ静けさの中に、確かな安堵の色が滲んでいた。

 あの区画では今夜、久しぶりに安心して眠りにつく者たちがいるだろう。誰にも知られることのない、小さな平穏。だがそれこそが、この一家が積み重ねてきたものの、確かな証だった。

 やがてこの一件は、街の噂にどう歪められて伝わるか分からない。それでも、あの区画に住む人々の心には、今夜見た確かな光景が、いつまでも残り続けるはずだった。それは決して大きな変化ではないかもしれない。だが、そうした小さな真実の積み重ねこそが、いつかこの街全体の見方を変える種になるのかもしれなかった。今はまだ、誰もその芽吹きに気付いていないだけだった。

 ハジマーリの夜は、今日も静かに更けていく。この街のどこかで、また明日も、名も無き誰かの善行が積み重ねられていくことだろう。それに気付く者がいてもいなくても、この一家の在り方が変わることは、決してなかった。

(了)

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