第0部 第2話「ヒャッハーたちの日常」
第0部 第2話「ヒャッハーたちの日常」
朝靄の残るハジマーリの街に、威勢のいい声が響き渡る。まだ日も高く昇りきらぬ時刻、街の大半はまだ寝静まっているというのに、孤児院の裏庭だけは既に活気に満ちていた。
「ヒャッハー!ガキ共!炊き出しのスープだ!順番に並べぇ!!」
孤児院の裏庭に大鍋を担いで現れたのは、剃り込みの入った強面の大男だった。腕には竜の刺青、腰には鈍く光る鉈まで差している。傍から見れば、まさに悪党そのものの出で立ちだ。
だが、鍋から立ち上る湯気の匂いに誘われて駆け寄ってくる子供たちの顔には、恐怖の色など欠片もない。むしろ嬉しそうに列を作り、我先にと椀を差し出している。
「わーい!ありがとうヒャッハーさん!」
「いいって事よ!子供はしっかり食ってしっかり寝て、しっかり遊ぶんだぜぇ!」
大男は木製の椀に湯気立つスープを注ぎながら、目を細めて笑う。今日の具材は、根菜と魔猪の肉をたっぷり煮込んだものだった。子供たちの体を大きくするためには、何より栄養が肝心だという、一家なりの気遣いである。だが次の瞬間、その目つきが鋭くなった。
「あ、おいそこのお前!何割り込んでんだ?皆並んでんだろうが」
列の後ろから前へ割り込もうとしていた小さな男の子が、びくりと肩を震わせる。周りの子供たちも一瞬、しんと静まり返った。
「ご、ごめんなさい……」
大男はしゃがみこみ、男の子と目線を合わせた。その大きな体が縮こまるようにして、子供の目線と同じ高さになる。
「いい子だ。ごめんなさいを言えるのは立派な証拠だ。そんな偉い子には1番美味いとこいれてやるぜぇ!ヒャッハー!」
椀いっぱいに肉の塊を放り込んでやると、男の子はぱぁっと顔を輝かせて列に戻っていった。周りの子供たちも、それを見て安心したように笑い声を上げる。
「僕もいっぱい入れてー!」
「ヒャッハー!!!お前らも良い子にしてりゃいくらでも入れてやるぜぇ!!!」
賑やかな声が朝の孤児院に響き渡る。列の中には、まだ幼い女の子もいた。椀を両手で大事そうに抱え、大男の顔をじっと見上げている。
「お兄ちゃん、いつもありがとう」
「ヒャッハー!!!礼なんていらねぇぜぇ!!!ちゃんと大きくなってくれりゃそれで十分だ!!!」
大男はそう言うと、女の子の頭をそっと撫でた。その手つきは、見た目に反してひどく優しいものだった。
その光景を、孤児院の窓から見守っていたのは院長の老女だった。彼女はもう何年もこうしてワルーイ一家の世話になっている。最初は恐ろしくて仕方がなかったが、今ではすっかり見慣れた朝の光景だ。
(本当に、あの人たちが来てくれるようになってから、この子たちの顔つきが変わったねぇ)
老女はそう思いながら、静かに目を細めた。数年前、この孤児院は資金難で今にも潰れそうになっていた。子供たちの食事もろくに用意できず、誰もが痩せこけていた頃、ふらりと現れたのがワルーイ一家だった。以来、毎朝欠かさず炊き出しに来てくれるようになり、子供たちの表情も見違えるように明るくなった。
老女は誰かにこの恩を語りたくても、街の誰もが「ワルーイ一家=悪」だと決めてかかっているせいで、口を開くたびに怪訝な顔をされてしまう。それでも彼女は知っている。この一家がどれほど自分たちを支えてくれているかを。いつか、誰かがその真実に気付いてくれる日が来ることを、彼女は静かに願っていた。
*
昼下がり、街の大通りで大きな声が上がった。
「ヒャッハー!!!!」
その声に、通りを歩く人々がぎょっとして振り返る。市場帰りの主婦、荷馬車を引く商人、遊んでいた子供たちまでもが、一斉に足を止めた。
「あ、あれは!泣く子も黙るワルーイ一家!!!」
通行人が青い顔で道の端に避難する中、当のヒャッハーは大股で人混みをかき分けながら叫んでいた。
「どけどけぇ!!!妊婦さんが産気づいてるんだ!!!頼むから道を開けてくれぇ!!!産婆さんのとこへ向かってるんだ!!!」
その声に押されるように、人々は慌てて道を空ける。ヒャッハーの背には、苦しげな顔をした妊婦を背負った別の構成員が続いていた。妊婦の額には脂汗が浮かび、時折うめき声を上げている。
「もう少しの辛抱だ!すぐ産婆さんとこに着くからな!」
「あ、ありがとうございます……。あぁ、痛っ……」
「よし、しっかり掴まってろよ!絶対に落とさねぇからな!」
瞬く間に人混みを抜け、産婆の家へと駆け込んでいく一行を見送りながら、道端の人々はしばし呆然と立ち尽くしていた。
「……悪いとは……?」
誰かがぽつりと呟いた言葉に、周りの誰も答えられなかった。悪の組織と恐れられていたはずの一団が、ただがむしゃらに一人の命を助けようとしていた。その光景は、これまで抱いてきた印象とあまりにもかけ離れていた。
「なぁ、今の……」
「あぁ、俺も見てた」
通行人たちは互いに顔を見合わせるだけで、その先の言葉を続けることができなかった。
しばらくして、産婆の家からは元気な赤子の泣き声が響き渡った。その声を聞いた通行人の一人が、思わず立ち止まって耳を澄ませた。
「無事に生まれたみたいだな」
「あぁ……なんつーか、複雑な気分だぜ」
複雑な気分、というのが正直な感想だった。恐れていた「悪の組織」が、実際には命懸けで一人の命を救おうとしていた。その光景を目の当たりにした者たちの心には、拭いきれない違和感と、小さな疑念が芽生え始めていた。
*
夕暮れ、街の裏通りにある小さな仕立て屋。夕焼けに染まる石畳を歩く人々の影が長く伸びる中、その店先では、一件の「取り立て」が行われていた――ように見えた。
「クックック……もう逃げられねぇぜ?」
柄の悪い笑みを浮かべたヒャッハーが、震える女将の手を取っている。傍にいた女将の夫が青ざめて声を上げた。
「な!なんとご無体な!彼女には旦那も子供も……」
「ヒャッハー!関係ねぇぜ!!さぁこっちに来てくれ!!」
「や、やめてー!!」
女将は悲鳴を上げながらも、なぜか抵抗する素振りを見せない。夫だけが真っ青な顔で立ち尽くしている。店の外を通りかかった人々も、何事かと足を止めて様子を窺っていた。
と、そこでヒャッハーがふと表情を和らげた。
「その手、針仕事をしていたね?すまねぇが針仕事を教えてくれねぇか?孤児院の子供たちの服を繕ってやりてぇんだ。子供は成長が早い。だから成長に併せた服を着せてやりてぇんだ」
夫は目を丸くしたまま、しばらく声も出せずにいた。周りで様子を窺っていた通行人たちも、拍子抜けしたように顔を見合わせている。店の軒先に集まっていた野次馬たちも、緊迫した空気が一気に緩んだのを感じ取り、ざわめきが失笑へと変わっていった。
「……な、なんだ、そういうことか……」
「ヒャッハー!!!最初からそう言ってんだぜぇ!!!」
「あんた、脅かすような言い方するからだよ」
女将はくすくすと笑いながら、針と糸を取り出した。その様子を見て、夫もようやく肩の力を抜いたようだった。
「よし、じゃあまずは基本の縫い方からだ。ほら、こうやって糸を通して……」
女将の丁寧な手つきに、大柄なヒャッハーが不器用に針を握る姿は、傍から見ればどこか滑稽でもあった。だがその真剣な眼差しには、子供たちを思う本物の気持ちが宿っていた。
「ったく、そんな怖い顔で脅すみたいに来るからだよ。最初から素直にお願いすりゃいいのに」
「ヒャッハー!!!それだと締まりがねぇだろ!!!ちったぁ緊張感がねぇと孤児院の子供たちにも示しがつかねぇぜぇ!!!」
「意味分かんないよ、あんたは」
女将はそう言いながらも、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。夫もようやく落ち着きを取り戻し、二人の様子を眺めながら小さく笑っている。この店に来るワルーイ一家の面々は、いつもこうして少し騒がしく、それでいて憎めない存在だった。
*
同じ頃、街の中央広場では、また別のヒャッハーたちが箒を片手に忙しく動き回っていた。
「ヒャッハー!!!今日も汚ぇなこの広場は!!!」
「おい、そっちの落ち葉も集めろ!風で戻っちまうぞ!」
「あっちの水たまりも埋めとかねぇと、子供らが転んじまうぜ!」
大の男たちが数人がかりで、広場の隅々まで掃き清めている。石畳の隙間に詰まった泥や、噴水の周りに散らばったゴミまで、丁寧に拾い集めていく姿は、遠目に見れば清掃業者そのものだった。
通りがかった老紳士が、その様子を見て眉をひそめた。
「おい、お前たち。何をしている」
「ヒャッハー!!!見りゃ分かるだろ、掃除だぜぇ!!!」
「掃除……?お前たちがか?」
老紳士は訝しげな顔をしたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。噂に聞くワルーイ一家の姿とは、あまりにもかけ離れた光景だったからだ。
「この広場はよ、子供らが遊んだり、年寄りが日向ぼっこしたりする場所だろ?だったら綺麗にしとくのが当たり前じゃねぇか」
「ヒャッハー!!!頭領の教えだ!!!自分たちの街は自分たちで守る!!!それが筋ってもんだぜぇ!!!」
老紳士は何も言えず、ただ首を傾げながらその場を後にした。だが翌朝、いつも通りに広場を通りかかった時、彼はふと足を止めた。石畳はどこまでも磨き上げられたように清潔で、噴水の水も澄んで輝いている。噴水の縁に座っていた子供たちも、いつもより気持ちよさそうに遊んでいた。
(あの連中が、本当にこれを……)
老紳士はしばらくその場に立ち尽くし、それから何も言わずに歩き去っていった。心の中に、小さな疑問符が一つ、静かに残されていた。彼はこれまで何度もワルーイ一家の悪評を耳にしてきたが、今目にした光景とはどうしても結びつかなかった。
もしかしたら、自分が知らないだけで、他にも見えていない何かがあるのかもしれない。そんな小さな疑いの芽が、彼の胸の中で静かに息づき始めていた。
*
その日の夜、ワルーイ一家の食堂には、一日の仕事を終えた構成員たちが集まっていた。大鍋を担いだ男も、道を開けさせた男も、針仕事を教わった男も、広場を掃除した男たちも、みな同じ席で汗を拭いながら飯を食っている。
「今日はガキ共もよく食ってくれたなぁ」
「妊婦さんは無事だったかい?」
「あぁ、元気な男の子が生まれたってよ」
「そうかい、そりゃめでてぇ」
「名前はもう決まったのかねぇ」
「さぁな、そこまでは聞いてねぇ」
「広場もピカピカにしてやったぜぇ!明日には気付く奴もいるだろうよ」
「気付いたところで、あいつら黙って通り過ぎるだけだろうけどな」
「それでいいんだよ。気付いてくれりゃそれで十分だぜぇ」
食堂の中は、笑い声と皿の触れ合う音で満ちていた。ツマモが大皿に山盛りの肉を運んでくると、構成員たちは我先にと群がった。
「ほら、ちゃんと野菜も食べな。皆の身体があってこその一家だからね」
「姐さん!!!ありがてぇ!!!」
あちこちで感謝の声が上がる中、針仕事を教わったヒャッハーが、不器用な手つきで縫い上げた小さな布切れを自慢げに掲げていた。
「見てくれよこれ!仕立て屋の女将さんに教わったんだ!」
「お前、それ歪んでねぇか?」
「うるせぇ!初めてにしちゃ上出来だろうがぁ!」
周りの構成員たちがどっと笑い声を上げる。広場を掃除してきた男たちも、疲れた様子ながらどこか誇らしげに肩を並べていた。
「今日も一日、いい仕事したなぁ」
「明日は何をするか、頭領から何か言われてるか?」
「まだ聞いてねぇが、どうせまた誰かの為になることだろうよ」
賑やかな食卓を眺めながら、頭領スッゴクは静かに酒を舐めていた。誰も彼の視線に気付かないが、その目はいつも構成員たち一人一人の顔を確かめるように動いている。
言葉少なな男は、この日も多くを語らなかった。ただ、皆が飯を食い、笑い合う光景を、じっと見守っているだけだった。この賑わいこそが、彼にとって何よりの誇りなのだと、誰よりもよく分かっている者は、この場にはいなかった。
窓の外、月明かりに照らされたハジマーリの街は、今日も静かに眠りにつこうとしていた。この街のどこかで、また誰かがワルーイ一家の噂を語っているかもしれない。だがそれがどんな噂であろうと、この食堂に集う者たちの絆と誇りは、少しも揺らぐことはなかった。
誰かに認められるためではない。誰かに感謝されるためでもない。ただ、目の前の困っている誰かを放っておけない――それだけが、この一家を突き動かす、たった一つの理由だった。
明日もまた、この街のどこかで、彼らの静かな一日が始まる。
(了)




