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第0部第1話 泣く子も黙るワルーイ一家

第0部 第1話「泣く子も黙るワルーイ一家」

 王国の城壁都市・ハジマーリ。石造りの街並みに夕日が差し込み、市場を仕舞う商人たちの声と、家路を急ぐ人々の足音が入り混じる時刻だった。城壁の外れには、この街の象徴とも言える古い時計塔が立っており、その鐘の音が夕暮れを告げていた。

 街の中心にある酒場「金の麦亭」は、今日も仕事終わりの男たちで賑わっていた。木製のテーブルには湯気の立つエールの杯が並び、豚脂で炒めた芋や炙った魚の匂いが漂っている。

 カウンターの端で、安酒を舐めながら静かに座る一人の男がいる。東方風の装束に身を包み、腰には得体の知れぬ得物を差した青年だ。周りの誰も気に留めない。異国から流れてきた旅人が一杯やっているだけ、そう見えるように振る舞っているのだから当然だった。

「なあ、聞いたか?」

 隣のテーブルから、酒に赤らんだ声が聞こえてくる。振り向けば、日に焼けた肌に無精髭を蓄えた商人風の男が二人、身を乗り出すようにして話し込んでいた。

「人攫いだぁ?」

「あぁ、村ごと攫う山賊が出たらしい。ツーギの街の近くだとよ。俺の従兄弟がその近くに住んでてな、危うく巻き込まれるとこだったってさ」

「おっかねぇなぁ。ワルーイ一家みたいだぜ」

 その名を聞いた瞬間、青年――ニンニン・ワルーイの盃を持つ手が、ほんの一瞬だけ止まった。だがすぐに何事もなかったかのように、また酒を口に運ぶ。

「ほんとだよ。なんでもワルーイ一家が裏で手引きしてるとか」

「やっぱりワルーイ一家って悪い奴らなんだな……」

「聞いた話じゃ、身代金を払わせるだけ払わせて、それでも村人を返さねぇこともあるらしいぜ」

「げっ、そりゃえげつねぇな」

 二人の男は、したり顔で頷き合っている。周りの客たちも興味深そうに耳をそばだてていた。噂というものは、こうして酒場から酒場へと、まことしやかに広がっていくものだ。

 少し離れた席では、また別の噂話が交わされていた。

「そういや、先月も似たような話があったよなぁ。孤児院の子供が攫われかけたって」

「あぁ、あれもワルーイ一家の仕業だって噂になってただろ」

「実際どうなんだろうな」

「さぁな。でも、あそこまで悪評が立つってことは、火のない所に煙は立たねぇってやつなんじゃねぇか」

 ニンニンは盃を握る手に、わずかに力を込めた。その一件も、実際にはワルーイ一家が救出した側だ。人攫いを企てた男を叩きのめし、孤児院の子供を無事に送り届けたのは、他でもない自分たちだった。だが街の噂では、いつの間にか加害者にすり替えられている。

(何度あってもこうなるでござるな……)

 もう慣れたはずの理不尽さだったが、それでも胸の奥に小さな澱が残る。ニンニンは静かに息を吐き、それ以上考えるのをやめた。

 ニンニンは心の中でだけ、静かにため息をついた。

(その山賊ならもう壊滅したでござるよ。全員無事で村に返したでござる)

 実際のところはこうだ。三日前、ツーギ街道で村ごと人を攫う山賊が出たという一報が、ニンニン自身の耳を通じて頭領スッゴクへと届いた。報告を聞いたスッゴクは、ただ一言「行け」とだけ告げた。それを受けて構成員たちが即座に動き、夜通し街道を走り、山賊の隠れ家を突き止めた。

 交渉などしなかった。夜が明ける前に、山賊の頭目以下、全員を叩き伏せ、人質を含めて一人の死者も出さずに解決している。攫われた村人たちは既に自分の家へと帰され、今頃は温かい夕餉を囲んでいる頃だろう。ニンニン自身も、その現場で山賊のアジトを見張り、逃げ道を塞ぐ役目を担っていた。

 それがどういうわけか、酒場では「ワルーイ一家が裏で手引きしている」という、まるきり逆の話になって広まっている。真実を知る者は、今この場ではニンニン、ただ一人だけだった。

「ヒャッハー!」

 店の奥から、聞き慣れた掛け声が聞こえてきた。見れば、酒に酔った構成員の一人が、店の主人と何やら陽気に言い合っている。

「ヒャッハー!親父さん、今日の払いはこれで足りるかい?」

「おう、いつも悪いな。ちゃんと帳面もつけといてくれよ」

「ヒャッハー!!!当たり前だぜぇ!!!筋を通さねぇと頭領に怒られちまうからな!!!」

 店の主人はその豪快な支払いっぷりに苦笑しながらも、どこか嬉しそうな顔をしていた。長年この店を切り盛りしてきた男にとって、ワルーイ一家の律儀さは、もはや誇らしいものにさえなっていた。

 その豪快な笑い声に、先ほどの噂話をしていた二人組がびくりと肩を跳ねさせた。

「お、おい、あそこにも……」

「し、静かにしろ、聞かれたらどうすんだ」

 二人は声を潜め、そそくさとカウンターの端へと視線を逸らした。ニンニンはそれを横目で見ながら、ちびりと酒を飲んだ。これがいつものことだと知っていた。ワルーイ一家が何か良いことをすればするほど、なぜか悪い噂だけが独り歩きしていく。まるでこの街には「ワルーイ一家=悪」という決まりごとでもあるかのように。

 訂正するつもりはない。頭領からもそう言われている。

「筋を通しゃ、いつか分かる奴には分かる。分からねぇ奴には分からせようとするだけ無駄骨だ」

 スッゴクらしい、言葉少なな理屈だった。ニンニンはその教えを胸に、今日もただ黙って盃を傾けるのだった。

                *

 酒場を出たニンニンが夜道を歩いていると、遠くから聞き覚えのある声が響いてきた。

「ヒャッハー!ばーさん!!!生きてるかぁ!!!!様子を見に来たぜぇ!!!!」

 路地の奥、小さな家の戸口で、派手な格好をした大男が拳を振り上げて叫んでいる。剃り込みの入った頭、腕には竜を模した刺青。傍から見れば脅しつけているようにしか見えないその光景に、通りすがりの人々が青ざめて足早に去っていく。母親らしき女が、幼い子供の手を引いて、慌てて路地の反対側へと道を変えた。

 だが戸口から顔を出したのは、皺くちゃの顔に柔らかな笑みを浮かべた老婆だった。

「いつもすまないねぇ……あたしゃ大丈夫だよ。ヒャッハーさん達に元気を貰ってるからねぇ」

「ヒャッハー!!ばーさんはこの街の纏め役だったんだ!当然!敬意を払う存在だぜぇ!!!ありがとうな」

 その隣家から、小太りの初老の男がひょっこりと顔を出した。

「おい、ワシにも敬意を払え!!」

「ヒャッハー!!!悪徳商売をしてたジジイに払う敬意なんざ持ち合わせてねーぜ!!!」

 男の即答に、ジジイは「ぐぬぬ」と唸って引っ込んでいった。ニンニンはそれを物陰から見て、小さく笑みをこぼした。

 このヒャッハーという構成員――名前も知らない、頭領の教えを愚直に守るだけの末端の一人だが、街の弱者にはとことん優しく、非道を働いた者には一切容赦しない。それがワルーイ一家の在り方そのものだった。老婆はこの街でかつて纏め役を務めていたが、今は身寄りもなく、細々と暮らしている。ワルーイ一家は毎晩のようにこうして様子を見に来ては、食料や薬を届けているのだった。

 一方のジジイは、かつて質の悪い高利貸しを営み、返済できない者から法外な取り立てをしていた男だ。今はその商売も畳んでいるが、ワルーイ一家の面々は決してその過去を忘れない。敬意を払う相手と払わない相手、その線引きは実に明快だった。

 老婆の家の戸口では、まだヒャッハーが世間話に花を咲かせていた。

「ばーさん、今日は膝の調子はどうだい?」

「あぁ、お前さんたちが持ってきてくれた薬草の膏薬のおかげで、だいぶ楽になったよ」

「そりゃよかったぜぇ!!寒くなってきたから、また薪も持ってきてやるからな!」

「本当にありがとうねぇ……あたしゃ、あんたたちみたいな人が、悪い奴らだなんて到底思えないよ」

「ヒャッハー!!!ばーさんだけはそう言ってくれるんだよなぁ!!!」

 大男は少し照れくさそうに頭を掻きながら、豪快に笑った。その笑顔を見た老婆は、皺だらけの顔をさらにくしゃりとさせて微笑んだ。

 路地の向こうから、その様子を見ていたニンニンは、静かに踵を返した。今夜もまた、誰にも語られることのない小さな善行が、この街のどこかで積み重なっていく。

                *

 夜も更けた頃、ニンニンはハジマーリの街外れにある、ひときわ大きな屋敷――ワルーイ一家の本拠地に戻った。玄関をくぐると、事務所の灯りがまだ点いている。

「おや、ニンニン殿。お戻りですか」

 眼鏡をかけた男が、帳簿を片手に丁寧に声をかけてきた。インテリ・ワルーイ。一家の会計を一手に担う参謀格だ。物腰こそ柔らかいが、その目の奥には常人にはない鋭さが潜んでいる。歳の頃は四十前後、身なりは他の構成員たちとは一線を画す、きっちりとした身なりをしていた。

「インテリ殿、今日も遅くまでご苦労でござるな」

「なに、私の仕事は数字と向き合うだけですから。ニンニン殿こそ、街の見回りお疲れ様でした。それより――」

 インテリは帳簿の一枚をめくり、小さく息を吐いた。

「今日もまた借金を返せない方がいらっしゃいましてね。お婆さんが一人。編み物の内職をされている方です」

「どうしたでござるか?」

「構いませんよ、とお伝えしました。まずはお身体を優先してください、と。またお婆さんの編み物を持てることを楽しみにしていますからね、とも」

 ニンニンは深く頷いた。ワルーイ一家の金貸しは、払える時に払えばいい、利子も取らない。そのかわり嘘をつく者、筋を曲げる者には一切の容赦がない。それがこの一家の商いだった。

「今日で何件目でござるか、そういった猶予は」

「今月だけでも五件ですね。もっとも、猶予を出したからといって、皆さんきちんと後で返してくださいます。信頼というのは、思いのほか確かな担保になるものですよ」

 インテリはそう言って、静かに笑った。

「街の者たちは、拙者たちを『悪の組織』と呼ぶでござるな」

「ええ、存じています。今日も酒場で噂になっていたでしょう? 山賊の件で」

「……ご存知でしたか」

「私の耳は伊達についているわけではありませんので」

 インテリは眼鏡の奥で、静かに目を細めた。

「気にすることはありませんよ、ニンニン殿。頭領がおっしゃる通り、筋を通せば分かる者にはいつか分かります。それに――」

 インテリは帳簿を閉じ、窓の外を見やった。夜空の下、街の灯りがぽつぽつと灯っている。

「私たちが本当に悪であったなら、あのお婆さんはもう凍え死んでいるでしょうし、あの子供たちは今頃孤児院で腹を空かせているでしょう。事実がどうであるかは、いずれ誰かが気付くものです」

「ですが、それではいつまで経っても濡れ衣が晴れねぇでござる。頭領もインテリ殿も、それでよろしいでござるか?」

 ニンニンの問いに、インテリは少しだけ困ったように笑った。

「私たちが望んでいるのは、評判を良くすることではありませんから。ただ、目の前の困っている人を助ける。それだけです。それが結果として悪評に繋がろうとも、行いそのものが揺らぐことはありません」

 その言葉に、ニンニンは深く頭を下げた。

「ござる……全くもってその通りでござるな」

 インテリは帳簿を机の引き出しにしまうと、椅子から立ち上がり、伸びをした。

「さて、私はそろそろ休みます。ニンニン殿も今日は一日お疲れでしょう」

「頭領はまだ起きておられるでござるか?」

「頭領室の灯りは点いていましたね。あの方はいつも夜遅くまで、屋敷の様子を見て回っておられますから。今日もまた、構成員たちの部屋を一つ一つ覗いて、皆が無事に休んでいるか確かめていらっしゃったようですよ」

「頭領らしいでござるな」

 ニンニンは小さく笑った。言葉少なで、決して感情を表に出さない頭領だが、その行動の端々には、一家への深い愛情が滲んでいる。誰も口にはしないが、皆それを知っていた。

 ニンニンは頷くと、屋敷の奥へと視線をやった。廊下の突き当たり、頭領の部屋からは、まだ薄明かりが漏れている。この屋敷に集った五十人を超える構成員たちは皆、あの部屋の主が静かに見守ってくれていることを知っていた。

 誰もが、かつてどこかで拾われ、救われ、そして今この場所にいる。血の繋がりなど関係なかった。悪の組織と呼ばれようとも、この屋敷の中には、確かな家族の温もりがあった。ニンニンもまた、その一人だった。かつて使い捨てにされかけた自分を拾い上げてくれた頭領の言葉を、今も忘れたことはない。

 窓の外、遠くの空に月が昇り始めていた。この街で「悪の組織」と恐れられる一家は、今夜もまた、誰にも気付かれぬまま、誰かの生活を静かに支えている。

 その正体を知る者は、まだこの街にはほとんどいない。

 だが、いつかこの真実に気付く者が現れるかもしれない。ニンニンはふとそんな予感を覚えながら、自室へと続く廊下を歩いていった。

(了)

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