第六話 王都で一番強い女将
翌日から、俺は王都の荷受け業者を回った。
一軒目では、銀細工を扱ったことがないと言われた。
二軒目では、三軒分だけでは割に合わないと言われた。
どちらも、俺の名前を聞くと椅子を出してくれた。
茶まで出た。
そのあと、丁寧に断られた。
三軒目の主人は、俺の話を聞き終えると、しばらく黙った。
「なるほど。アルフォード様からのお話でしたら、できる限りは」
「やってもらえる?」
「最初の一回、こちらで勉強させていただくということであれば」
俺は身を乗り出しかけた。
クローディアが、隣で動かなかった。
おっさんの言葉を思い出す。
毎回、機嫌に預けるのか。
「次からは?」
「次、でございますか」
「同じ量を、来月も送ったら」
主人は困った顔をした。
俺は、ゆっくり背中を椅子へ戻した。
「……普通に頼むと、いくら?」
分厚い料金表が出てきた。
主人は、さっきよりほっとした顔をしていた。
俺はその表を持って、店を出た。
クローディアが歩きながら尋ねる。
「お引き受けいただかなくて、よろしかったのですか」
「一回だけ、安くしてくれるって」
「はい」
「次も頼めるようにしたいんだよ。俺が横にいなくても」
彼女は少し考えてから、頷いた。
「では、次へ参りましょう」
残りの業者を指で数える。
まだある。
あるけれど、急に全部遠く見えた。
俺は路上で、それを逆さに持っていた。
「ます様」
「分かってる。読んでる」
「上下が逆です」
「……知ってた」
クローディアが何も言わず、紙を回した。
その優しさが痛い。
「本当に、屋敷で待っててもよかったのに」
「ご帰宅のお時間が分からなくなります」
「子供じゃないんだから」
「三年間、お戻りにならなかった方のお言葉ですね」
俺は反論を諦めた。
貨物地区は、朝から人と荷車で溢れていた。倉庫の軒先に積まれた木箱。響く汽笛。焼いた肉の匂い。
華やかな大通りから、そう遠くもない。
なのに、俺はこの辺りをほとんど歩いたことがなかった。
自分の生まれた町で、三か月しか暮らしていないベルクより道を知らないというのも、妙な話だ。
「そこの兄ちゃん! ちょっと押してくれ!」
声をかけてきたのは、荷車を引く若い男だった。
車輪が石畳の溝にはまり、荷台が斜めになっている。
俺は上着をクローディアへ渡した。
「そっち、少し持ち上げて。せえの、で押すから」
「悪い!」
車輪が抜けた。
勢いで荷車が動き、俺の靴へ泥水が跳ねる。
朝、ぴかぴかだった靴だ。
後ろを見ないようにした。
「助かった。どこの倉庫の人?」
「客」
「客が何で押してんだ」
「頼んだの、お前だろ」
男は笑い、肩の汗を袖で拭った。
荷台の箱には、店の名前がいくつも書いてあった。
「これ、全部違う店へ配るの?」
「ああ。向こうで仕分けてから」
「誰が仕切ってる?」
「女将さん」
男が指した先には、古い煉瓦造りの倉庫があった。
荷受け、保管、市内配達。
看板にそう書いてある。
俺はクローディアを見た。
彼女は俺の顔を見てから、先に布を差し出した。
「お話の前に、手をお拭きくださいませ」
*
女将さんは、大きな机の向こうで帳面をつけていた。
俺が説明を始めると、最初の数言で手を止めた。
「どこから来る?」
「ベルク」
「中身は?」
「銀細工、革財布、飾り釦」
「届け先は」
「ここに」
紙を見せると、壁の地図へ目を向ける。
「二軒は、うちの配達先と同じ通りだね。残りはこっちか」
「できそう?」
「箱の中で分けて、行き先を書いといてくれるなら。あたしに銀細工の見分け方から教えるつもりなら、帰っとくれ」
話が早い。
俺は思わず笑った。
「分けて送る。数も書いてもらう」
「料金は取るよ」
「もちろん」
「誰が払う?」
「ベルクのダリオ商館。まだ小さいけど、俺の友達で」
「友達かどうかは聞いてない。支払う相手の話だよ」
俺は背筋を伸ばした。
どこかで聞いたような調子だった。
「電話で本人と話してもらえる?」
「つないでくれれば」
ダリオと女将さんの話は、俺が口を挟む隙もないくらい順調だった。
届いた数が足りない場合。店が受け取らなかった場合。保管が長引いた場合。
次々と話が決まり、受話器を戻した女将さんが、俺へ紙を渡した。
「これで試してみる。最初の便は、あんたも来な」
「いいの?」
「誰が何をするか、見ておきな。電話で『何とかして』と言われるのが一番困る」
俺は頷いた。
紙を折ろうとしたところで、女将さんが俺の顔をじっと見た。
「……あんた、アルフォードんとこの子かい」
手が止まった。
「何で」
「昔、先代様の荷物をうちで扱ってたんだよ。笑ったときの目元が似てる」
「じいちゃんを?」
「やまと様。返事を待つ前に次の話をする人だったねえ」
俺は思わず笑った。
「グランツのおっさんも、そんなこと言ってた」
「今でも、あの人をおっさん呼ばわりするのかい」
女将さんは呆れた顔をしてから、机の上の料金表を叩いた。
「伯爵家だって分かったからって、安くはしないよ」
「そこはもう、グランツのおっさんに断られた」
「そりゃそうだろうね!」
大きな笑い声だった。
俺は、ようやく息がしやすくなった。
女将さんはクローディアへ目を向けた。
「奥さん、旦那の靴、泥だらけだよ」
「奥さんじゃ――」
「帰りましたら、よく落としておきます」
クローディアが先に答えた。
女将さんは頷き、もう別の帳面を開いていた。
俺だけが訂正する機会を失った。
*
「言ってよ、ちゃんと」
倉庫を出てから俺が言うと、クローディアは少し首を傾げた。
「何をでしょう」
「奥さんじゃないって」
「お話がまとまったところでしたので」
「それとこれは別だろ」
彼女は俺の袖に付いた埃を払った。
そのまま顔を上げ、眼鏡の奥からこちらを見る。
「そんなに、お困りでしたか」
俺は返事に詰まった。
困るというか。
変に否定するのも、それはそれで感じが悪いというか。
「……からかってるだろ」
「少し」
認めるのかよ。
クローディアは満足そうに笑った。
ちょうどそのとき、俺の腹が鳴った。
実に間の悪い音だった。
「お昼にいたしましょうか」
「うん」
屋台で焼いた肉を二人分買い、広場の端の腰掛けへ座った。
クローディアは紙包みを持つ手を少し迷わせていたが、一口食べると、目を細めた。
「美味しいですね」
「だろ。こういうとこの方が、結構うまいんだ」
「お野菜はありませんが」
「今そこ?」
彼女は笑い、もう一口食べた。
俺は女将さんにもらった紙を、膝の上でもう一度広げた。
あちこち歩いて、靴を汚して、ようやく一枚。
でも、その一枚で、ベルクの箱が先へ進む。
妙に腹が減った理由が、少し分かった気がした。
包み紙を畳んでいると、クローディアが俺の右手を見た。
「傷、少しよくなりましたね」
「おっさんが薬くれた」
「グランツ様が」
「昔、自分も使ってたって」
クローディアは頷いた。
「先代様が現地へいらっしゃるときは、よくご一緒なさっていたそうです」
「ずっと机に座ってると思ってた」
「私が参りました頃には、本社にいらっしゃることが多くなっておりましたが」
「じいちゃんと、どういう感じだったの?」
「旦那様がおっしゃるには、お二人で外へ出ると、先代様がお仕事を増やして、グランツ様が持って帰ってこられた、と」
想像できた。
おっさんの鞄が、だんだん重くなる光景まで。
「俺も、仕事増やす方かな」
「本日は、ご自身でお持ちですね」
膝の上の紙を見た。
俺は折り目をつけ直し、鞄へ入れた。
今度は、酒場の勘定と混ざらない場所へ。
帰り道、女将さんへ一本電話をした。
「ベルクで箱を閉じる前に、荷札の書き方、見てもらえる?」
『いいよ。見本を一枚送っとくれ』
「ありがと。あと、もう一つ」
『何だい』
「最初の日、荷物が来るまで手伝ってていい?」
向こうで、少し間があった。
『仕事を増やさないならね』
「気をつける」
受話器を置くと、クローディアが笑っていた。
俺は聞かないことにした。




