第五話 御曹司のお願いは料金表から
翌朝、本社の案内板で、輸送企画の階を確かめた。
昨日、通ったはずの廊下で一度迷い、同じ女性と二回すれ違った。
二回目は、向こうから道を教えてくれた。
俺は礼を言って、今度こそ目的の部屋へ着いた。
グランツが先に話を通してくれていた。
だから、もう決まったも同然だろう。
そう思っていたのは、最初の五分までだった。
輸送企画のヘルマンは、俺が思っていたより若い男だった。
挨拶は丁寧だったが、料金表を出したときだけ、妙に早かった。
たぶん、面倒な御曹司が値切りに来たと思われている。
「こちらが、小口貨物の最低料金です」
「うん。これで困ってる」
「個別のお値引きは、原則として」
「あのさ。値段の前に、聞いていい?」
ヘルマンが顔を上げた。
「小さい箱が三つあったら、三件分?」
「荷主も受取人も別であれば」
「一人が集めて、一人に送ったら?」
「一件としてお預かりできます。中身の申告は必要ですが」
俺は身を乗り出した。
「じゃあ、まとめるのはできるんだ」
「ええ。ただ、荷物を集める方と、王都で分ける方が必要です」
「集める方はいる。分ける方は……探す」
ヘルマンは俺の紙を見た。
酒場でもらった紙の裏に、工房の名前が三つ書いてあった。
「こちらは、すべてベルクの?」
「うん。ダリオが話をしてくれてる」
「定期的に出せそうですか」
「聞いてみないと分かんない」
「品物の大きさと重さも、確認できますか」
俺が頷くと、ヘルマンは別の用紙を引き寄せた。
そこには、俺には分からない欄が幾つもあった。
「これ、何を書けばいい?」
「一緒に埋めましょう」
料金表を置いたときより、少し声がやわらかかった。
俺は椅子を寄せた。
電話でダリオを呼び出すまでの間に、ヘルマンは地図を広げた。俺はベルクの港の場所と、ダリオの小さな商館の場所を指した。
「この坂、荷車だと結構きついんだ」
「では、港へ持ち込む時刻に余裕が必要ですね」
「雨だともっとかかる。石が滑るから」
「そういうことも教えてください」
俺は少し驚いて、ヘルマンを見た。
彼は地図へ書き込みをしていた。
俺が言った、どうでもよさそうな坂の話を。
*
ダリオが電話へ出た。
『早いな。もう怒られたか』
「誰に?」
『親父さん』
「怒られてない。話、聞いてもらった」
『そっか。よかったじゃねえか』
あいつの声が、少しやわらかくなった。
俺も笑いかけたが、机の向こうのヘルマンを思い出して、咳払いした。
「今、本社。輸送企画の人といる」
『……は?』
「荷物の話。工房、集まりそう?」
『お前、帰って何日だ』
「三日」
『もうそんなところまで入り込んだのか』
「実家だぞ」
『そうだった。まだ慣れねえ』
俺だって慣れていない。
用紙の空欄を見て、順番に尋ねた。
何を、どれだけ。いつまでに。どこの誰へ。
途中で、ダリオが誰かへ怒鳴る声がした。
『重さを聞いてるんだよ! いい銀だって話は、知ってる!』
親方だった。
姿は見えないのに、分かった。
ヘルマンが、わずかに口元を緩めた。
「正確な重量は、梱包後に量っていただければ」
「だって。箱込みな」
『分かった。なあ、ます』
「何?」
『これ、お前んちだから、特別にやってもらってんのか』
俺はヘルマンを見た。
向こうも俺を見ていた。
「担当の人に、説明してもらっていい?」
受話器を渡す。
ヘルマンは名乗ると、料金と受付条件を説明した。
何度か質問を受け、手元の紙へ書き足す。
俺は、二人のやり取りを聞いていた。
それは、俺が昨日おっさんへ頼んだ『安くして』より、ずっと時間がかかった。
けれど、受話器が戻ってきたとき、ダリオはさっきより勢いのある声だった。
『この条件なら、次も頼めるんだな』
「うん。そのつもりで話してる」
『じゃあ、ちゃんと数を集める。こっちで誰が出すか、明日までに決めるわ』
「頼む」
『王都で分けるの、誰がやるんだ?』
「これから探す」
『そこがまだなのかよ!』
受話器から、ヘルマンにも聞こえた。
俺は少し離した。
「これから!」
『偉そうに言うな!』
電話を切ると、ヘルマンが新しい紙を出した。
王都の荷受け業者の名前が並んでいた。
「こちらへお問い合わせいただけます。ただ、銀細工を扱わないところもございますし、最低の取扱量が決まっている場合もございます」
「順番に聞く」
「それと、一つ」
ヘルマンは椅子へ座り直した。
「当方でも、小口荷物をまとめる試みは行っております。担当者が変わると続かない、集荷の時刻が守られない、荷主様との精算で揉める。そうした理由で、止まってしまった例もあります」
俺は紙から顔を上げた。
「前にも、やったんだ」
「はい」
恥ずかしくなった。
こんなに人のいる商会へ、俺が初めて持ち込む話のはずがなかった。
「知らずに、簡単そうに言った。ごめん」
ヘルマンは、少し驚いた顔になった。
「いえ。条件が揃えば、役に立つ方法です」
「ダリオは、時間には割とちゃんとしてる。俺と違って」
「ます様も、お願いいたします」
「そこは、頑張る」
ヘルマンが、初めて声を出して笑った。
俺は名簿を受け取った。
実家の名前を出せば、何とかなると思って来た。
帰りには、俺が何とかしなければならないことが増えていた。
でも、誰へ聞けばいいかは、分かった。
*
屋敷へ戻ると、クローディアが電話室から出てきた。
「ちょうど、ご連絡しようかと思っておりました」
「まだ夕方だろ」
「お昼のお約束は、どうなりましたか」
忘れていた。
食べる方も、報告する方も。
クローディアは一度だけ俺の顔を見て、先に食堂へ向かった。
怒らないのが、逆に怖かった。
少しして、温かいスープが出てきた。
「お夕食まで、まだお時間がございますので」
「ありがと」
向かいへ座った彼女に、俺は名簿を見せた。
「明日、ここ回ってくる」
「お約束は?」
「してない。行けば誰かいるかなって」
彼女は目を閉じた。
ほんの一瞬。
「……先に、お問い合わせをいたしましょう」
「そういうもん?」
「お留守でしたら、また歩くことになります」
「旅先だと、留守なら飯食って待つんだけど」
「ここでは、昼食をお忘れになるでしょう」
反論できない。
クローディアは名簿を取り、屋敷の手帳を開いた。
俺はスープを飲みながら、その手元を見た。
明日の欄には、既に細かな字が並んでいる。
薬の受け取り。食材の納品。使用人の休暇。
俺の予定を足す場所は、思ったより少なかった。
「無理なら、俺が電話するよ」
「最初は、ご一緒に。次からは、ます様がお話しになってくださいませ」
「分かった」
「それから、明日の午前は私も参ります。屋敷の方は引き継ぎますので」
「いいの?」
「お約束の時刻に間に合うか、少々心配です」
「道くらい分かる」
「本社の中で、二度同じ方とお会いになったそうですね」
俺は匙を止めた。
「誰から聞いた」
「クライン様より」
あの人、余計なことまで報告が早い。
クローディアは口元を緩め、俺の皿へパンを置いた。
「明日は、お昼も一緒に」
今度は、俺も忘れないと思った。




