第十一話 安くするなと言われたので
午後、上等な上着の男が卓へ来た。
いくつか手に取り、裏返し、留め金を動かす。
親方も、さっきまでとは違う顔になった。
ちゃんと見る人間だと分かったのだろう。
「この形を、六十点揃えられるか」
俺の手が止まった。
六十。
今日ここへ持ってきた、同じ形の数よりずっと多い。
「納期によります」
ダリオが答えた。
「五週間後に、新しい売り場を開く」
男は名刺を出した。
王都の装身具店の仕入れ担当だった。
「ただし、この値段では少し高い。まとめて仕入れるなら、もう少し下げてもらいたい」
ダリオが親方を見る。
親方は髪留めを持ち上げ、値札を見た。
「六十なら、仕事を組めばできる」
「では」
「その値段ではやらん」
男の表情が止まった。
俺の胃も止まった。
「まとまった注文ですが」
「数が増えたって、手が六十本になるわけじゃない」
「なるほど」
男は名刺へ手を伸ばした。
「では、別の品を探します」
俺は、その前に口を開いた。
「何が気に入ったんですか」
「何?」
「六十個置こうと思ったのは、どこがよかったんですか」
男は少し面倒そうに俺を見た。
それでも、卓へ目を戻した。
「形だ。離れて見ても分かる。留め金も悪くない」
「この細かい線は?」
「そこまでは、売り場では見えないだろうな」
親方の眉が動いた。
俺は隣の、飾りの少ない試作品を手に取った。
「親方。これ、作るの早かったよな」
「そいつはな」
「留め金は同じ?」
「同じだ」
「じゃあ、こっちの作り方で、今の花の形にできない?」
親方は俺から試作品を取った。
二つを見比べる。
「花びらの厚みが変わる」
「重くなる?」
「少しな。だが、ここを抜けば」
「見た目は?」
「図面を引かないと分からん」
男が、名刺から手を離した。
ダリオがすかさず言った。
「今ある品の値引きではなく、御社向けの別の品として、見積もりを出すことはできます」
「五週間後に間に合うのか」
「見本を作ってから、作業の日程を出します」
男は少し考えた。
俺は、喉が渇いているのに気づいた。
親方の紙に書いてある日数とは、もう違う仕事だった。
ここで、できます、と言えば話が決まるかもしれない。
でも、作るのは俺じゃない。
「五日後」
男が言った。
「見本と価格を持ってきてほしい。そこで判断する。それ以上は待てない」
「分かりました」
俺が答えると、ダリオが名刺を受け取った。
男が去るまで、誰も声を出さなかった。
通路の角へ消えたところで、ダリオが長く息を吐いた。
「お前、よく止めたな」
「帰りそうだったから」
「親方にも言ってくれ。最初から追い返すなって」
「無理な値段は無理だ」
親方は、二つの髪留めを見ていた。
怒っているようにも見えた。
「勝手なこと言った?」
「……紙をくれ」
「え?」
「描かないと分からん」
俺は荷札の裏を差し出した。
親方は鉛筆を取り、迷いなく線を引いた。
客が一人来た。
俺は立ち上がった。
今度は、ちゃんと話せた。
*
閉場の鐘が鳴る頃には、俺の足は棒になっていた。
親方はまだ描いていた。
ダリオは売上を数え、クローディアは残った品を箱へ戻している。
俺も片づけを手伝おうとして、銀細工の小箱を落としかけた。
「座ってろ」
「できる」
「今、落としかけた」
「まだ落としてない」
「落としてからじゃ遅いんだよ」
ダリオに椅子を押しつけられた。
俺は座った。
情けないくらい、ほっとした。
クローディアが水を持ってきた。
「お疲れ様でした」
「疲れた」
「ええ」
「こんなに立ってたの、久しぶり」
「荷運びは?」
「あれは、疲れたら荷物の陰で休める」
「働いていたのですね」
「そこ疑う?」
彼女が笑った。
水を飲むと、喉の奥が生き返った。
ダリオが紙を持ってくる。
「全部は売れなかったけど、赤字にはならなそうだ。持ち帰る品は別にして、費用も見といた」
「よかった」
「明日の午前中に、もう一回確認する」
「うん」
親方が顔を上げた。
「細工台を借りられるところはないか」
「宿でやるの?」
「宿で火は使えん」
「明日探そう。今日は飯」
「いや、ここの形だけ」
「飯!」
俺とダリオの声が揃った。
クローディアが、今度は隠さず笑った。
帰り際、卓の下に、小さな花の紙飾りが落ちていた。
朝の娘が持っていたものだ。
俺は拾って、親方へ見せた。
「あの子のかな」
「そうだろうな」
「受付に預けとく」
親方が頷いた。
俺が歩き出すと、背中から声が来た。
「ます」
「何?」
「……あの小さいの、次はもう少し数を作る」
朝、安いのを前へ置くなと言っていた人間の言葉だった。
俺は笑わないようにした。
「ダリオに言っとく」
「ああ」
親方は、俺が拾った紙の花をもう一度見た。
そのあと、荷札の裏へ、短い線を足した。
今度は、頼まれていない飾りを足したのではなさそうだった。




