第十話 銀の葉は髪に咲く
俺には売り子の才能がない。
開始三十分で分かった。
「ベルクの銀細工です! 見ていってください!」
客が通り過ぎる。
「職人が一つひとつ――」
また通り過ぎる。
初めて足を止めた男には、便所の場所を聞かれた。
丁寧に教えた。
役には立った。
何も売れていない。
「声がでかいんだよ」
ダリオが言った。
「聞こえなきゃ始まらないだろ」
「怒られるかと思って避けてるんじゃねえか」
「そんな顔してる?」
「してる」
俺は口を閉じた。
親方は腕を組んで座っていた。
そっちはもっと怖い。
「親方も、少し笑って」
「何でだ」
「その顔で客が来ると思う?」
「お前より長く、この顔で生きてる」
「顔の年季の話じゃねえよ」
クローディアが、横で吹き出した。
俺が見ると、彼女は口元へ手を添え、何事もなかったように包装紙を揃え始めた。
*
最初に止まったのは、母親と娘だった。
娘は母親の袖を引き、小さな銀の花を見ていた。
「きれい」
「触っていいよ」
俺が言うと、親方の眉が動いた。
先に目で止めた。
娘は両手で受け取り、花びらの縁を指で撫でた。
「これ、本物のお花?」
「銀で作ったんだ」
「この人が?」
親方が頷いた。
娘はもう一度見た。
「すごい」
親方の顔が変わった。
ほんの少し。
でも、確かに。
「裏も見てみろ」
俺とダリオが、同時に親方を見た。
親方は腰を浮かせ、娘へ留め金を示した。
「ここを押す。そうだ。指を挟むなよ」
「痛くない?」
「丸くしてある。髪に引っかからないようにな」
「お母さん、見て」
母親が品物を受け取った。
値札を見て、少し迷う。
俺は隣の、少し小さな髪留めを指した。
「こちらなら軽いです。お値段も少し」
「見せてもらえますか」
母親は娘の髪へ挿し、二歩下がった。
娘が、落ち着かなく体を揺らす。
「どう?」
「似合ってるわ」
最初の一つが売れた。
受け取った銀貨を、俺はしばらく見ていた。
ダリオが肘で小突く。
「釣銭」
「あ、そうだ」
慌てて硬貨を数えた。
娘は、まだ鏡を見ていた。
母親が呼んでも、もう一度だけ、と振り返る。
俺は鏡を少し持ち上げた。
娘が嬉しそうに笑った。
あの顔を、ベルクの工房で見たことはなかった。
親方の作業台の上で完成していたはずの品が、今、もう一度完成したみたいだった。
親方は包装紙を持ったまま、娘を見ていた。
ダリオが、そっと紙を取り上げた。
「親方。包むから」
「おう」
母娘が去ってから、俺は親方へ言った。
「裏も見せるんだな」
「使うもんだからな」
「さっきまで触らせるなって」
「うるさい」
俺とダリオは笑った。
*
それからは、呼び込みを少し変えた。
品物へ目を向けた人に、自分で使うのか、誰かに贈るのかを聞いた。
贈り物なら、相手はどんな人なのか。
店へ置くなら、どんな客が来るのか。
話してくれる人も、値段だけ見て帰る人もいた。
それでも、卓の前に人が止まるようになった。
「付けたところが見たいわね」
女性客に言われて、俺はクローディアを見た。
「頼んでもいい?」
「はい」
彼女は銀の葉を受け取り、まとめた栗色の髪へ挿した。
俺は少し、言葉を忘れた。
箱に入っていたときとは違った。
栗色の上で、細い銀の線が光っている。顔を動かすと、葉の先が小さく明るくなった。
「あら、素敵」
客の声に、俺も頷いた。
「似合うな」
「ありがとうございます」
クローディアが目を伏せた。
「奥様?」
「いえ。こちらにお仕えしております」
「まあ。こんなに綺麗な方がそばにいたら、気が散るでしょう」
俺に話が来た。
ダリオが、ものすごく楽しそうな顔をしている。
「いや、昔から一緒なんで」
「あら。では、なおさらね」
何が、なおさらなのか。
答えに困っていると、クローディアが別の髪留めを手に取った。
「こちらは少し小ぶりですので、普段のお召し物にも合わせやすいかと」
「そちらも見せてくださる?」
助かった。
そう思って彼女を見たら、耳が少し赤かった。
俺は急いで釣銭を数え始めた。
まだ、買う品も決まっていないのに。
*
昼を過ぎる頃には、俺も少し慣れてきた。
値段を聞かれたら値段を答える。細工を褒められたら親方へ振る。数と納期を聞かれたら、ダリオと紙を確かめる。
全部自分で喋らなくてもよかった。
隣の卓の男が、客の途切れたときに話しかけてきた。
「それ、ベルクの品か」
「はい」
「あそこの職人、腕はいいんだがな。前に頼んだとき、見本と少し違うのが来て」
「違った?」
「頼んでない模様が増えてた。よくなったと思って、やったらしい」
俺は親方を見た。
親方は目を逸らした。
お前か。
「それは、次から頼まれたとおりにします」
「親方さんが?」
「俺が見張ります」
「俺の仕事を監督するつもりか」
「頼んでない模様を足すなって話だよ!」
隣の男が笑った。
「じゃあ、うちにも見本を送ってくれ。名刺、置いとく」
ダリオが、すかさず受け取った。
親方は不満そうだったが、名刺は見ていた。
その目は、少し嬉しそうだった。
昼過ぎ、ヴァイスが言っていた若い社員も来た。
俺と目が合うと、少し緊張した顔になった。
「本日は、お世話になります」
「こっちこそ。奥さんの?」
「はい。ただ、詳しくなくて」
「俺も詳しくない」
ダリオが横から肘を入れてきた。
俺は続けた。
「だから、作った人を連れてきた」
親方を指すと、若い社員はますます緊張した。
気持ちは分かる。
「普段、どんなのを使ってる?」
「布のものが、多いと思います。家では仕事の邪魔になるので、髪を上げていて」
クローディアが、少し幅のある髪留めを取った。
「こちらでしたら、髪をまとめやすいかと。お色のお好みは?」
「青です」
「でしたら、この石を」
若い社員の顔が、ようやく明るくなった。
包み終えると、彼は何度も礼を言った。
俺は笑って、包みを渡した。
「奥さんが使いにくいって言ったら、教えて。留め金、調整できるって」
親方が頷いた。
若い社員は、今度は親方へも頭を下げた。
客が途切れたところで、ダリオが俺の肩を叩いた。
「さっきの、知り合い?」
「本社の人。今日初めて会った」
「普通に買ってったな」
「普通に売ったからな」
そう答えてから、少し嬉しくなった。
俺の名字で椅子を出してくれた荷受け業者とは、違った。
あの人は、奥さんに似合いそうな青を持って帰った。
それなら、俺がいない明日も売れるかもしれない。
通路の向こうで、紺の上着が見えた。
一瞬、グランツかと思った。
目を凝らすと、別の客だった。
「誰か待ってんの?」
ダリオが聞いた。
「いや」
見に来てほしい気もした。
こんなにばたばたしているところは、見られたくない気もした。
どっちなのか決める前に、次の客が来た。




