自己陶酔
パチパチと、パソコンの平たいキーボードをタイピングする小さな音が一定のリズムで鳴り続いている。
本を読んでいると内容が頭に入ってこず、目を向けても字ではなく本という個体を見ているかのようだ。
字が霞み、瞼が重たくなってくる。
「眠かったら寝ていいよ」
コクリコクリと頭を揺らしているとパソコンの画面を少し倒した高橋に声を掛けられた。
午後の面談室、静かな空間で高橋はデスクワークを、私はソファに座って本を読んで過ごしていた。
半分閉じかけた目を高橋に向けて、はいと返事をすると彼はパソコンを畳んで席を立ち上がり、私の居るソファまで来ると隣に座った。
パソコンをテーブルの上に置くと、おいで、と言って手を広げる。
どう行けばいいのかよく分からず、とりあえず私は高橋の腿の上に頭を乗せてソファに横たわった。
すると高橋は少し笑った後パソコンを開いて電子カルテの入力を再開させる。
キーボードのタイピング音が私をスムーズに睡眠状態へと誘った。
———高橋の声で目を覚ます。
「…まぁ、入ったばかりですけど、長くホームレスしてたし、関心はかなり薄いのは把握済みなので問題ないですね」
片手にスマホを持ち誰かと話していて、もう片手は組んだ足の上に乗っている私の頭を撫でている。
「薬もヤニ汚れもなくて上物ですよ、なんせ10代ですし、付加価値付いてますから」
時折笑いながら話をしている。
聞きたくない、気持ちの悪い話。
すぐ近くで電話しているのにこのまま寝ているフリをするのも不自然なので、私はモゾモゾと頭を動かした。
「あ、もう切ります、また連絡します」
高橋はスマホをタップするとそれをソファに置き、私に声を掛けた。
「ごめんね、起こしちゃった?」
その声に私は高橋の腿の上で手を重ね、猫みたいに顔を伏せながら首を横に振った。
「杏奈はこんな会話聞きたくないよね、ごめん」
私はもう一度首を振り、顔を高橋に向けた。
「あなたがしているの行為は誰も傷付いていない事、知ってるよ、利害が一致してるもんね」
自傷を繰り返し死に対して抵抗があまり無いこの施設の利用者と、生き存えたい、もしくは利用したいお金持ち達、高橋の考えを考慮し、彼の懐に入る為私はそう発言した。
ところが高橋の顔からは表情が消え、彼は私の顔をじっと見た。
まずい、何かいけない事を言ってしまっただろうか、そんな空気が漂い、私は彼から目線を外して体を起き上がらせる。
とりあえず謝ろうと口を開いた瞬間、私は高橋に抱きしめられた。
「杏奈、僕は本当に嬉しいよ、君に出会えた事は神様からのご褒美だ」
——————
代々続く医師家庭で生まれ育った高橋洸平。
裕福な家庭の元、欲しいものはなんでも手に入り、何不自由なく育ってきた。
頭も冴えており、さほど勉強しなくてもテストでは高得点を取り、成績は常に上位をキープしていた。そんな彼の幼少期は「教科書に全部書いてあるのに、なんで勉強するの?」が口癖だった。
気張らなくても地位も名誉も欲しい物も、何でも簡単に手に入る退屈で張り合いの無い日々を彼は過ごしていた。
幼い頃から医師になる事は必然と両親に叩き込まれていた高橋は他に熱を注いでいた物がある訳でも無かったため、争う事なくすんなりとそれを受け入れる。
思春期に入ると彼は人体構造に興味を持ち始め医者になるなら外科医になろうと考えていた。
しかし他者とは違う自身の稀な才能に気付く。それは、“人の考えている事を見抜き、必要とする言動が分かる”という観察眼だ。
面白いほどに高橋の読みは当たり、彼は周りにいる人を虜にしてきた。
スクールカーストでは上位に入り“いいヤツ”のポジションを確保し、安定した学生生活を送る。
側から見れば充実した日々を送っているように見えるのだが、彼は常に孤独で退屈していた。
家族とは外出先で出会しても他人のフリをするほど仲は冷めきっており、学校の同級生と過ごす時間も彼にとっては下らなく、しらける時間でしか無かった。
そのうち高橋は退屈凌ぎに周囲の人間で遊び始める。
仲良しグループを仲間割れさせてみたり、クラスの美少女や優等生、更には先生にまで醜態を晒すような事態を招くよう手立てした。
周囲の人達から愛され、慕われていた人物がヒステリックを起こし、内側に隠していた本音を叫び出したりする修羅場を見る度に高橋は笑うのを必死に堪えた。
外聞を気にするといった外交不安障害の気質があるとその人の弱い部分を徹底的に突き、情緒を不安定にさせるなど、本人や周囲にはバレないように高橋は言葉巧みにやってのけた。
人間が弱くて醜い部分を曝け出して破滅していく様が面白くなり、彼は心理学に熱中していく。
高橋の毒牙に侵された人達は学校を退学したり登校拒否や家に引きこもるようになったり、中には自殺未遂をする者も現れ、予想以上の後遺症を残す。
そんな事態になっても高橋は何かを感じる事はなく、“そんな思考回路しているのが悪い”と思うのだった。
恋愛に関しては性欲を満たすための面倒な段階としか思わず、異性とは割り切った付き合いしかしてこなかった。
大学に進学すると専攻は外科ではなく精神医学を選ぶ。理由は人が心に秘めた本質を見抜くのが楽しいのと開業がしやすく自分だけの楽園を作れると考えたからだ。
そして医学生2年の時に解剖実習があり彼はそこで衝撃を受ける。
周りの学生は倒れたり吐き出したり泣き出したりする中、彼は切り開かれていく献体に釘付けになった。
腹部には隙間のないほどギッシリと入った贓物が艶めかしく見え、肋骨を取り除くと人間にとって大切な臓器がいとも簡単に露わになっていくのを見て、高橋には解剖を進める教授が神々しく見えた。
シンプルなようでいて複雑で歪な内臓にも人それぞれ個性がある事を知り、更に彼の興味を惹きつける。
表皮の下には黄味がかった脂肪と真紅の真皮が、その下には細かい筋状で一塊になっている鶏のささみの様な筋肉組織が露出していく。
黙々と解体されていく身体。それを見ていた高橋のマスクの下の口元は緩みっぱなしだった。
醜い心を秘めた人間の真の中身は美しい、彼はそう思わずにいられなかった。
自分だけの楽園を作る。
高橋はそれを実行した。
一部の裕福な家庭の事情を知っているからこそ高橋はこの施設を作り上げる事が出来た。
—————
「女性とはちゃんと向き合った事がなかった、だから杏奈が僕の初恋なんだよ」
「最初君を見た時はその美しさに衝撃を受けた、そして君の内面を知るうちにどんどんのめり込んでいったんだ」
私はソファの上で正座をし、彼に体を向けて話を聞いていた。
真剣な顔で話を聞く私を見て高橋はふっと笑い、私の手を取ると話を続けた。
「この世はクズばかりだ、表向きはお人好しでも中身は嘘つきで汚くて自分勝手で、まともな人間なんていないと思ってた、でも君は違う」
握りしめた手の甲を親指でなぞりながら視線を落として彼は続ける。
「杏奈は本当に綺麗だよ、容姿だけではなく心がね、どんなに粗を探しても不快な部分がないんだ、こんな人間に出会ったのは始めてだ、君は神様からのご褒美だよ」
「…私が?」
「そうだよ、孤独な僕に神様が君を与えてくれたんだ、だから僕は君を大切にしたい、君が嫌だと言うならもう体に触れたりしないよ、これ以上嫌われたくないからね」
そこの言葉に一瞬、緊張が走った。
「今は僕に対する感情が恋愛とは程遠くてもそのうち男として見てくれる日が来るって信じてるよ、今の君は必死に僕を理解しようとして歩み寄ろうとしてくれている、そうだろ?」
ゴクリと唾を飲んだ。
知ってるんだ、高橋は私の本心を。
これは、どうリアクションすれば良いのだろうか、どう転んでも墓穴を掘りそうで、反応に困った私は口角を軽く上げて微笑んだ。
「僕のしている事は世間からしたらルール違反かもしれない、でも僕は献体と顧客の望むものをそれぞれ与えているだけなんだよ、それで何人もの命が救われている、これはただのビジネスではない、“人助け”なんだ」
私は笑顔を作ったままうん、と頷く。
「…嫌がる事はしない、けど、これは許してね」
そう言うと彼は私の頰を両手で包み、キスをした。
地下でした情熱的なものとは違い優しく撫でるように唇を重ねる。
そしてぎゅっと体を抱きしめると彼ははぁ、と長い息を吐いた。
「こんなにも満たされるのは始めてなんだ、こんなにも欲しいと思ったのも、杏奈、君が欲しい物はなんでも買ってあげる、財布でもバッグでも、猫でもいいよ、だからずっと一緒に居て欲しい」
私は彼の背中に手を回してそっと添えた。
「うん、分かった、話してくれてありがとう」
そう言うと背中を抱きしめる手に力を込めた。
高橋は嘘で自分を固めている、だこら私も嘘で対抗する。
———何も要らない、私はあなたの居ない世界が欲しい。
“自分の事は全部棚上げ”な彼の発言に憤りさえ感じる。
1番嘘つきで1番醜いのはあなた、そう言ってやりたい。何が大切だ、高橋が言えば言うほど薄っぺらい言葉しか聞こえない。私の存在は結局束縛してるだけ、私欲のために。
どうしようもないエゴイストでサイコパスでダークエンパスで、自己陶酔しているナルシスト。
人助けだなんて後から取ってつけただけ。美談にまとめようとしているだけ。
他人の事は何でもお見通しなのに自分の歪んだ正義に気づいていないんだ。
本当にどうしようも無い。
孔子の言葉で“ 罪を憎んで人を憎まず”という言葉がある。
高橋にはその言葉が何一つ当てはまらない。
私を抱きしめていた高橋がいきなりふふ、と笑い出した。
「本田に合わせるのが楽しみだ」
独り言のようにそう呟いた。
「…本田…?」
「そう、僕のビジネスパートナーだよ、顧客と運び屋を手配してくれるね、」
ほんだ…
「いつも偉そうに指示してくるんだよ、沢村を派遣しては粗を探して文句ばかり、僕がいないと何も成立しないのに、あいつに杏奈に会わせて一泡吹かせてやるんだ」
ほんだ…何処かで聞いた事のある名前
「だって杏奈はあいつが財布の奥に隠してる写真の女性にそっくりだからね」
本田、そうだ、私の父親の名前だ。




