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首輪の外し方

薔薇の花言葉は主に“愛”や“美”を意味している。贈る本数や色によって意味が異なるらしい。


ロマンチックの対象として人間に想いを込められた薔薇は大輪の花を咲かせながら施設の花壇を彩っている。

花壇には赤やピンク、2色咲きの珍しい品種まで様々な薔薇が植えてあるが、その中でも私は黄色の薔薇を見ていた。黄色の花言葉は確か“友情”。

緑の葉をベースに密集して咲いた薔薇は、幾重にも重なる黄色いビタミンカラーの花びらを中心から外側に向けて反るように開いている様がとても綺麗だった。


花壇の前に立って品と可憐さを合わせ持つ四季咲きの薔薇を見ていると、背後からふわりと何かが掛けられた。

肩を見るとピンクベージュのニットのカーディガンが掛かっている。

顔を上げて後ろを振り向くとそこには高橋が立っていて、私と目が合うと彼は笑顔を見せた。私もニコリと笑顔を作る。


「おはよう、杏奈」

「おはようございます、あの、これって…」


私は肩にかけられたカーディガンに手を当てて高橋を見る。すると彼は私の為に新しい物を買ってきたと説明した。


「お古で良かったのに…すみません、ありがとうございます」

「杏奈は黒とか灰色よりピンクのイメージだからね、僕のお古よりそっちの方が似合っているよ」


私は深々と頭を下げて高橋にお礼を言うと、彼は微笑みながら私をじっと見た。

いつもならここで頭を撫でたり髪を触ったりしてくるが、今日は触れてこない。

恐らく花壇があるこの場所は施設内からも見えるからだと私は考えている。


特に黄色の薔薇は憩の場のテラス窓から良く見える場所にあり、早朝であっても従業員はいるので私に触れている親密な所を他人に見られたくないはず。


別に福田真美さんに言われた事を気にしている訳ではないが、朝から不快な気分を避けられた私は少し勝ったような気持ちになった。


「杏奈」

高橋と並んで薔薇を見ていると名前を呼ばれた私は彼に目を向ける。

「来月の19、20日は連休を取ったんだ、一緒に東京のマンションで過ごさない?」

10月19日は私の19歳の誕生日だ。

そして高橋の誘いに対して今の私には拒否権が無いのは分かっている。

だが、どんな言葉が適切か私は少し間を置いて返事を考えた。


「いいんですか?貴重なお休みなのに、お家にお邪魔しちゃって」

謙虚にそう言うと高橋は嬉しそうに笑ってもちろんだと答えた。

「杏奈の特別な日だからね、素敵な記念日になるように一緒に過ごそう」

「嬉しいです、そんな風に考えてくれているなんて」

カーディガンの袖に半分隠れた手を口元に当てながら私は楽しみだと言って喜んだ。

この喜びは半分本物である、何故ならこれはチャンスだから。


高橋は微笑みながら私を見つめると腰を少し曲げて顔を近づけてきた。

私はその仕草に施設の方を見ながら戸惑う。

しかし彼は眉を上げて“早く”といった無言の圧をかけてきた。


これは高橋が覚えた新しい私の()()()だ。


以前、棚の上段にあった本を取ってもらった時に「お礼は?」と言って私からキスをするように仕向けた事があった。

私がそれに従ったから高橋は面白くなってしまったようだ。


私は戸惑いながらも彼の肩に手を添え、眼鏡に当たらないよう少し顔を傾けながら唇を接触させた。

唇を離すと彼は良い子だね、と言って頭を撫でる。

施設内で誰かが見ていたらと思うと体温が上昇し、耳まで真っ赤になる。


そんな私の顔を高橋は満足そうに見下ろしていた。

悔しい気持ちを隠すように私はカーディガンの袖で顔を隠す。さっきまで勝ったと思っていたのに今は敗北感でいっぱいだ。


でも、そんな高橋に遊ばれている事よりも東京に出向くという、この施設を出るチャンスが巡ってきた事の方が重要だ。

信頼を得れば外出させて貰えるかも知れないと考えていたが、それが実現した。

外出は私が密かに切望していた事で、何故なら高橋の目を盗んで助けを求める事が出来る最も確実で有効な方法だと考えているからだ。


東京へ行くとなったらきっと高速道路を利用することになるだろう、そしたらサービスエリアでトイレに行った時に従業員か通行人でもいい、誰かに声を掛けて話を聞いてもらう。

でも、いきなり話しかけても不審がられる可能性もあるからなんて話しかけよう、なんて言えば耳を傾けてくれるだろうか。

期日まで1ヶ月も無い、しっかりと計画を立てねば。


私は部屋のベッドの上に座りながら巡ってきたチャンスに飛び付くように作戦を練った。

もしノンストップで東京まで行って高橋のマンションに着いてしまった時の事は考えたくも無い。


枕の下に手を入れ、隠していた白黒の水玉模様の巾着袋を取り出す。中にはお金と翔さんのピアスとカナちゃんのメモが入っている。

この巾着袋をもし高橋に見つかったら取り上げられるだけでは済まないかも知れない。

私の本心が彼にバレる可能性があり、そしたら今度こそ商品にされるのかもしれない。


巾着袋の口を開けて中に入っているピアスとメモ紙に触れ、私は頭を巡らせていた。

私の大切な人達に手を掛けた高橋あいつの事は絶対に許さない、警察に突き出して裁きを受けさせてやる、その為なら何でもする。

それは地下を出る時に心に刻み込ませた決意だ。


巡ってきたこのチャンスは絶対に成功させる。巾着袋をギュッと握りしめ、決意を強く、自身の胸にもう一度刻み込んだ。



———————



コップに入った水が不規則な波紋を生み出している。


夕食の鮭のムニエルを食べていると傍に置いてあるコップの中の水が揺れているのに気づき、私はそれを見ていた。

揺れの正体は、私の隣に座る福田真美さんからだ。彼女は体を前屈させ、テーブルの下で足を貧乏揺すりさせている。


食事中も食器が割れてしまうのでは無いかと思うほど乱雑に扱っており、人差し指で親指の横をカリカリと引っ掻いていて皮が捲れ血が出ている。

その様子を見て彼女は自分でも制御できないほどに苛立っているのが分かった。

彼女は眉間に皺を寄せていて、何だか辛そうだ。


「何見てんだよ」

福田さんは視線に気付き、私を睨む。

「あ、ごめんなさい」

すぐに謝るが、彼女はお約束のように舌打ちをする。

「クソだるい、お前の隣は本当キツいわ」

「…イライラ、してるね」

「あぁ?だからなんだよ」

彼女は喧嘩腰な物言いで私を挑発した。

「大丈夫、誰でもイライラしちゃう時はあるよ」

私がフランクにそう言うと彼女は何かを言おうと息を吸い込んだが一瞬止まり、言葉を飲み込んだ。

すると手でテーブルを押して椅子を引かせると立ち上がって食堂を出て行ってしまった。

怒らせてしまったのだろうか、私は余計なことを言ってしまったのかな、と少し反省した。


以前、彼女に“きもい”と言われて私は精神的に弱っていたという事もあり泣きそうになってしまった事があるのだが、その際私の顔を見て彼女はバツの悪そうな顔をしていた。

本当に意地悪な性格なら攻撃した相手がダメージを受けていると勝ち誇ったような顔をするが、福田さんは違った。

その様子を見て彼女はそこまで悪い子では無いのだろうと私は思っている、とは言っても私は彼女に嫌われているみたいだが。



———————



トイレに立ち寄った際に通行人になんて話しかければ良いのだろうか、これはすごく重要だと思っている。

“誘拐されています”などと言って興味を引きつけて通報してもらう、もしくはスマホを借りて自分で通報する。

でも、それが若者の遊びで揶揄われていると思われたり、スマホを盗む手口だと警戒される可能性もある、信じて貰うまでに話が長くなったりしたら高橋が勘付き何かしら私を阻害するような行動を取る可能性もある。

あいつは周りにいる人間に上手く取り入ってそれを利用する手腕を携えているから、どう動くか予想がつかない。


“お腹痛くて動けなくなった”など具合の悪いフリをして救急車を呼んで貰うのはどうだろうか。

騒ぎを起こして人の目が多くなれば高橋も変に手出しは出来なくなるかも。

その後は病院に行って看護師さんでも医師にでもあの施設の事を話す、とか。

…そうだ、これが良いかもしれない、救急車作戦。この案を第一候補として留めておこう。


「食べるクッキーを悩んでいるんですか?」


高橋を欺く作戦を考えていたら背後から不意に話しかけられてドキッとした私は体が跳ね上がった。

話しかけてきたのは高橋だからだ。


憩の場でカウンターの上に置かれたお菓子のカゴをぼんやり見ながら脳内で作戦を練っていた為、食べるお菓子を吟味していると思ったのだろう。


「あ、いや…はい、もうすぐ夕食だしなぁと葛藤してまして」

見透かしているような高橋の目線に鼓動が早くなり、しどろもどろになってしまう。

「ふふ、今度小さめのクッキーを用意しますね」

笑いながらそう言うと高橋は顔を近づけて内緒話をするかのように小声で話し始めた。


「明日は2時から面談室が空いているから、」

ポコン


高橋の頭に小さく丸められた紙が当たり話が遮られた。

足元に落ちたボール状の紙を拾うと、それはティーパックの包み紙だった。


「あ、ミスった、てかゴミ箱の前に立つなよ邪魔なんだけど」

紙を投げたのは福田さんで彼女はソファの背もたれに肘を掛けて上半身をコチラに向けている。

ソファに座って高橋の足元にあったゴミ箱目掛けて包み紙を投げ入れようとしたようだ。


「そんな理不尽なクレーム初めてですよ、ゴミを捨てるのは結構ですが、投げないでくださいね、福田さん」

高橋はそう言うも、彼女は高橋に背中を向けて我関せずといった感じでお茶を啜っている。

高橋はため息混じりに鼻で息を吐いた後、私に顔を向けていつものように見下ろしながら微笑んだ。


変に挙動不審になってしまったから何かを察知されていないかとドキドキしながら私は立ち去る高橋に軽く会釈する。

高橋がそばに居ると本当に気が抜けない。


高橋の姿が見えなくなると私はため息を吐き、福田真美さんの居る方へ目を向ける。

彼女はソファの上で膝を立てながら座って漫画を読んでおり、私が近づくとギロリと鋭い目を向けてきた。

私は黙って彼女を見ていると、彼女は口をへの字に曲げて話し出した。


「お前、隙だらけなんだよ、自分の身はちゃんと自分で守れよな、ボケっとしてんなよ」


その言葉に私はふっと笑った。

福田さんは私が高橋の事を嫌っているのだと勘付いるのだろう。

私を庇う為にわざと高橋に紙を投げたのではないかと考えてのだが、当たっていたようだ。やはり彼女は悪い子では無さそうだ。


「フクちゃんって呼んでいい?」

私がそう言うと彼女は驚いたように口を開けて目を見開いた。

「は?なんだそれ、お前とは話が噛み合わねぇな」

横目で睨まれ、避けるような素振りをされながらも私は笑顔で彼女の隣に座って本を広げると、彼女は大袈裟にため息を吐いた。

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