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偽りと葛藤


明るくなっていく空、鳥の囀り、草花の匂い、少し冷たい風。

色がある、音がある、匂いがある、空気の変化がある、2週間ぶりの外の世界。


外に居るだけで1人でも退屈だと感じない。美しい景色と澄んだ空気を自身に取り入れ、心を換気するように私は英気を養った。


丘の斜面に座って1人の時間に浸っていると足音が聞こえ、私は目を閉じて気持ちを切り替える。

すっと立ち上がって振り返り少し怯た表情で背後に立つ人物の顔を覗いた後、機嫌を伺うように声を出す。


「…おはようございます」

「おはよう、杏奈、よく寝れた?」

「はい」

「寒くない?このカーディガンじゃもう薄いでしょ?」

高橋は私にくれたカーディガンの生地を確かめるように手に取るとそう言った。

彼の着ている物はスタンドカラーの黒いカーディガンで、私の物より厚手で暖かそうだった。


「いえ、大丈夫です」

そう返事をすると高橋は私の手を取り温めるように両手を包んだ。

日中はまだ夏の暑さが残っていて気温が上がるのだが、高所にあるこの施設の朝晩は良く冷える。


「今度、東京に戻る用事があるからもう少し厚めの物を持って来てあげるよ」

高橋の言葉に私は目を細め嬉しいと声に出して喜ぶ、フリをした。

彼は私を見下ろすように微笑み、おでこにキスをすると私はおでこに手を当てて照れ笑いをする。後で絶対洗う、と思っている事は悟られないように。


今のところ順調に出来上がっている。

高橋が上で私が下手に出るという配置が。

ご主人様の顔色を伺うような、怯えのような仕草を時折見せて高橋の下に回る。

この位置を上手くキープしていれば私の本心は隠しやすく、高橋も安心して警戒心を解くと私は考えている。


でも素人の考えだから何処まで高橋に通用するか分からない、本当はバレているかもしれないという疑念を常に胸の中に抱くようにして油断しないよう自分に言い聞かせた。


私は地下から出て以来、なるべく高橋の目の届く範囲で過ごすようにした。

例えば高橋が面談室でデスクワークをしていればソファに座って静かに本を読んで一緒の空間に居るようにしている。

2人きりで居ると抱きつかれたりキスされたりするので本当は避けたいが、高橋を安心させ、隙を作らせる為にも一緒に居なくてはいけないのだ。


そして、高橋がその他の作業中であっても彼の姿が視界に入れば意味もなく目で追うようにするなど、徹底した。

そんな風にしていると周りの人からは、いかにも彼に夢中で彼を慕っている“恋する乙女”のように見られ、話のネタにされるが別に構わない。真実を知れば彼女達の高橋を見る目も変わるだろう。

私の目線は“愛の力で引き篭もりから脱却出来た恋する乙女の眼差し”ではなく“どう裁かれるのか楽しみにしている目”だったって事が。



———そんな風に過ごしていたある日、新規入居者の施設案内に遭遇する日があった。

月に1、2人ほど新規は来るのだが、今まで気にした事はなく、翔さんやカナちゃんが居なくなってからは他の利用者とは距離を置いて来た。だが、今回のその子に関しては気になってしまった。


その子が高橋の案内で施設を巡回している時、私は憩の場にいた。

破れたTシャツにメンズ物と思われる短パンを履き、小柄で細くて長く伸びた髪の毛はボサボサだった。

顔には複数のピアスと腕には所々タトゥーと切り傷が刻まれている。指先の皮は自分で剥いたか、ボロボロだった。


「後藤さん、こちら福田真美ふくだまみさんです、後藤さんとは同い年ですよ」

近くを通った高橋がそう言って紹介すると、私は読んでいた本を閉じてソファから立ち上がりペコリとお辞儀した。


すると福田真美さんは私を見るなり、無言で睨んだ。

その目つきは野良猫のように鋭く純粋で、警戒心と不信感に満ちていた。

彼女には翔さんのような儚さとカナちゃんのような憤りを抱えた心を感じる。


なんだか懐かしくて、切なくなる。



———————



ピンポーン


ティーバッグを沈めたカップにウォーターサーバーのお湯を入れていると珍しく玄関のチャイムが鳴り、私は顔を上げた。

玄関には以前見たスーツを着た業者のような男性が立っている。


「はいはーい」


チャイムの音を聞いて駆け付けたのは近くに居た牧内さんだった。来客の対応は基本、牧内親子がしている。牧内さんは給湯室から受付に入り、業務的な挨拶の後、大きな紙袋を業者に渡した。

業者は紙袋を受け取って施設を後にすると、給湯室を出ようとして振り向いた牧内さんと目が合う。


「あら、今日も調子が良さそうね、後藤さん」

カウンター越しに声をかけられ、私はペコリと頭を下げた。

「いやぁ、今って何でも代行サービスがあるのねぇ」

「え?」

牧内さんは手を口に当てて小声で話し始めた。




「今のは散骨代行サービスの業者よ、ここの利用者って死んでも家族が無関心なのよね〜」



それを聞いた私は目の瞳孔がぐわんと絞まる感覚がし視界が歪んだ。


何かリアクションせねばと思ったが、喉の奥が震えているのを感じる。

自分達が手を掛けた人の事をそんな風に軽く話せる彼女が怖かった。


そして私にこんな話をしてくるってことは私も()()()()の人間だと見做されているからなのだと思うと吐きそうなくらい気持ち悪くなってくる。

私はゴクリと息を飲み、ゆっくりと口角を上げて微笑んだ。すると牧内さんはふふふ、と笑う。


「あなたは此処の施設に来れて本当に幸運よ、高橋所長のお陰で声が出るようになって、これからは彼にお慕え出来るんですもの」

私は返事が出来ず、顔を固定したまま彼女の話を聞いた。

「あんなに出来た人の元で働けるのに、唐田さんったら辞めるって言い出すからあぁなっちゃったのよ、自業自得よね」 


「私達のしている事は人助けなのに」


牧内さんはそう言うとニコリと笑った。

私も遅れを取らないよう笑顔を返す。



——人の命を何だと思っているのだろうか。

何物にも変え難い、尊くて儚くて生命体の、人間の全て。

生きる道を見失っても歩き続ける事は出来る、でも死んでしまったら全てが消えてやり直しも何も出来ない。


それはお金儲けの為でもサイクルさせる為にあるものでもない、他人に操作される物ではなく、人に奪われるべき物でもない。


牧内さんは自分達のしている罪の重さに気付いていないのだろうか。

人を殺して内臓を売って大金を稼ぎ、残りの部分は燃やして灰になったら他人に渡す。

弔いも供養もされず、死して尚も尊厳を踏み躙られるなんて、自分達がどれだけ残酷な事をしているか…。

泣き出しそうなほど悔しい気持ちが湧き上がり、手に持っていたカップをギュッと握り締める。


ダメだ、今、揺らいでは。


気をしっかり持たなくては、今、私は高橋側の人間でいい、真の私は違っても今は表面上はそれでいいんだ。

そう、思わなきゃ。



警戒心を抱かせないようにする為にも彼らに取り入る必要がある。彼らの考えを理解する、頭では分かっているが心が着いていけない。




ガシャーン


赤みと生肉感が残るミディアムに焼かれたステーキをぼんやり見ながら静かに葛藤していると、隣の席で食事していた福田真美さんがフォークをお皿に投げる音でハッとする。


彼女はコップに入った水をぐいっと一気飲みすると勢いよくテーブルに叩きつけた。


「何見てんだよ」

目が合うと彼女は私を睨みつけた。

「…ごめんなさい」

私は小声で謝ると、彼女にチッと舌打ちされてしまう。

すると福田さんはじっと私を見てあんたさ、と言い出した。

「高橋って奴とデキてるんでしょ?あいつ幾つ?うちらと10個ぐらい違うっしょ?キモッ、あんた大人しい顔してオッサンとやれるんだな」


そう言われた私は思考が停止してしまい、ただ口をぽかんと開けて彼女の顔を見ることしか出来なかった。


キツイ言葉にじわりと瞳が潤む。


いつもの私ならこんな言葉受け流せるし、気にしたりしない、でも今はささくれた心に滲みて痛かった。


高橋に純潔を捧げたわけでは無いが、彼女と同じように、自分でも思っている。


「そうだね、きもいね」


泣きそうな顔で必死に口角を上げて笑顔を作り、私は彼女にそう言った。

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