追放宣告
まどろみのなか、胸を這う暖かい感触。これには身に覚えがある。
撫でる手肌の感触は暖かく、優しく、慈しみに包まれているようだ。
そうか、これは母親に抱かれていた時の赤ん坊の記憶か。
そもそもわたしは、生後間もなく記憶がないうちに母親と別れてしまったから、親の顔も覚えていないけれど……。
陽だまりのような暖かさに包まれ、心までが満たされると、自然と意識が戻ってきた。
わたしはベルファレスの城に戻っており、自室のベッドで眠っていた。
夢の中で母親かと思った人物の正体は、ハティだった。
「ハティ……」
わたしが呟くと、彼女は口元を緩ませ軽く微笑んだ。
「レラ殿、お帰りなさい。あなたの策はうまくいきましたよ」
わたしはばっとベッドから上半身起こした。
「ベルファレスは!? 商人は!?」
「どちらも無事です。ベルファレス様も城に近づくほどに冥界のエネルギーを吸収され、状態が良くなりました。」
わたしはほっと胸を撫で下ろした。
「ハティがここまで運んでくれたのか?」
「ええ」
「あの姿になったのは久しいです。お役に立ててよかった」
穏やかに微笑みをたたえるハティだったが、少し疲れているように感じた。
ドラゴン姿でわたしたちを運んだだけではなく、ハティの力を使って、わたしや商人に治癒を施したのかもしれない。思った以上に体が軽い。
ヨークシュアに潜入していた時の記憶も鮮明に思い出してきた。
「ハティ、大変だ。1ヶ月後、王国が攻め込んでくる! 帰る時に後をつけられていないか!? ドラグの居場所がわかってしまった可能性は!?」
「その可能性は低いでしょう。あの場にいた人間や無関係の農村の人間までも気を失いました。誰もわたくしたちの姿を追うことはできなかったでしょう」
「そうか」
安堵したのも束の間、ハティが神妙な顔をした。
「ですが、ひとつよくないことが……」
わたしは息を飲んだ。
「あなたと話さなければならないことがあり、急いで治癒しました。……立てますか?」
ハティは松明を手にわたしを城外へ連れ出した。
外は薄暗く、白み始めていた。あと数時間で夜が開ける。
ヨークシュアに到着したのが朝。そこから潜入して王国兵とやりあい、ハティに救出されてから半日は経過しただろうから、まだヨークシュアを離れてから丸一日は経過していない。
ハティと共に森を抜けると、その先には見覚えがある洞窟があった。
誓約の儀式をした、冥界の穴がある洞窟だ。入り口にはリグが待ち構えていた。
「リグ! 体は大丈夫?良くなったか?」
「ああ」
リグは視線を合わせることなく、返事をした。愛想が良い方ではないが、いつもと様子が違う。
洞窟の奥へと歩き出すリグについていくと、大穴の前に横たわるドラゴンの姿があった。
「ベルッ!!」
声をかけると気だるげに首をもたげ、うっすら目蓋を開けた。
ディオンに胴を串刺しにされた。傷口を探すが、腹這いになっている状態では、患部がどこか探れなかった。
「この方が回復が早いのです。炎で傷口を焼き、塞ぎました」
ハティの説明するが、わたしの理解が追いつかない。
「ドラゴンとはそういう生き物。炎は命のエネルギーと一緒なのです」
「塞がったなら、良かったけど……。それで、話とは?」
ハティの顔から微笑みは消えてしまったし、リグはわたしを歓迎していない様子。これから語られるのは良くない話であると察した。
「レラ殿……、いや、人間の女よ」
リグは態度を一変させて、わたしを睨みつけた。
「お前は誓約を破った。これはどう言うことだ?」
リグは国王の礼状を突きつけてきた。胸ポケットを探ると、騎士団の制服に忍ばせていた礼状が消えている。
そんなことはどうでもいい。王国の思惑を知っているなら話が早い。リグに警告をしなくては……。
正義感から声が大きくなり、わたしは叫んでいた。
「ドラクの領土が侵略される! 王国はおよそ1ヶ月後に総攻撃をかける計画だ! 攻撃に備えないと……!」
「攻撃に備えるだと……? お前はどの立場で言っているんだ……?」
リグが唸るような低い声で睨んでくる。その視線が痛い。
「この手紙はお前と王国が繋がっている証拠だ!!」
「……」
わたしは返す言葉が見つからなかった。
違う。わたしはドラクの味方だ!
そう心の中で叫んだが、言うのをためらった。
信じて欲しい。でも、信じてくれるのだろうか?
「なぜ何も言い返さねぇんだ!?」
苛立ちに混じって悲しみのような声も聞こえてくる。
わたしはリグが納得するような言い方を探し、黙り込んだままだった。
リグは睨み付けながらわたしに向かって指差した。
「だから俺はすぐにコイツを追い返すようにベルに言ったんだ! なのに、アイツは……」
リグが主従関係を顧みず、ベルファレスを呼び捨てにした。かつてそうを呼びあっていた頃のように。
「だから、こうなった! ずっと隠れて暮らしていたのに、集落もバレそうになった。ハティが気絶させなれば、今頃奴らは俺たちのところに……。クソッ。だから、人間に近づくのは反対だと言ったんだ」
ハティは黙ってリグの言い分を聞いていた。その顔はとても苦しそうだ。
「ここまでの危機は初めてだ。……誓約を破った報いとして、記憶を消し、お前を追放するしかない。……ハティ!」
呼ばれたハティは肩をビクッと震わせただけで動こうとはせず、「それはベルファレス様が決めることです」と小さく呟いた。
「それは俺もわかっている。だが、俺の目から見ても約束を破ったのは明らか。ベルが寵愛しているが、敵国の出身である以上こいつは危険人物だ」
「わたくしもそれは理解していますが、すべてをお決めになるのはベルファレス様です」
ハティは頑なに「ベルファレス様が決めることです」を繰り返した。
「おい、お前からは言うことはないのか」
視線がわたしに集まる。ドラゴン姿のベルファレスも気だるげに目蓋をあけ、ギョロリとこちらを見た。
ドラクの外敵である王国の人間という事実は変えられない。降伏を口にしたとは言え、すぐに疑念を払拭することは難しい。
わたしは彼らに降伏し、自分の生存権を彼らに譲渡した。どのように判断するかは彼ら次第だ。その判断をわたしは受け入れるしかない。
それでも、いいのだろうか?
頭で理解しても、心が拒否している。
記憶を消されれば、ベルファレスのことも忘れるだろう。
一緒に狩りをしたり、決闘をしたり。時にはわたしを気遣い、つれないわたしに想いを伝え続けてくれた。
純粋に楽しかった。それだけではなく、ドラクも人間と変わらず愛おしい存在なのだと気づかせてくれた。
王国の人間こそ最上位で、それ以外の人間は下等で野蛮で、国王が従えるべき存在――わたしに植え付けられた穿った思想が間違っていると気づかせてくれた。
ベルファレスと出会って、わたしの世界が変わったんだ。
この世界を、ドラクと共に生きる世界を、わたしは失いたくない……!
わたしは与えられるばかりで、ベルファレスの想いに応えて来なかった。何ひとつ彼に与えてあげられなかったのに、記憶を消されてしまうなんて……。
頬に熱い涙が伝い落ちる。止めどなく、次から次へと流れていく。
わたしはなんて臆病者なんだ。
初めからわたしに心を開いてくれていた彼を何故頑なに拒み続けていたんだろか?
ちゃんと言わなくてはいけない。
信じてもらえるかはその次だ……! 強い決心がわたしを駆り立てる。




