3739.復帰前後の差
ラキュス・ラクリマリス王国保健省の医官セプテントリオーは更に別の呪文を唱え、バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊のデルタ伍長に触れた。
循環する血液と共にあたたかな何かが身体を巡る。ほんの数秒で、シートベルトが食い込んだ肩の痛みが完全に消えた。
「打撲と内出血も治療しました。術の反動で弱った身体が回復するまで……あなたの状態なら三日程度、入院して安静にして下さい」
「は、はい……いつも有難うございます」
湖南語で説明され、デルタ伍長は恐縮して湖南語で応じる。
魔法薬学会での会議に通訳として引っ張り出されて以来、デルタ伍長は湖南語がわかることを隠すのをやめた。
医官セプテントリオーの傍らに控えた医療秘書官が、大判のタブレット端末で電子カルテに入力する。
バルバツム兵は魔獣に襲われ、瀕死の重傷が多かった。
看護師と薬剤師が、手分けして傷を消毒して回る。水を操る魔法で、消毒薬を最小限の量だけ的確に行き渡らせるのだ。
呪医二人は、治癒魔法で手際よく傷を完治させてゆく。
研修医のヴェスペルゴ王女が近衛兵五名を連れて救急処置室を出たが、仮設アルブム港湾病院の女性院長と医官セプテントリオーは研修医の指導から解放され、どんどん処置を進めた。
この救急処置室で働く医療者は、電子カルテを入力する医療秘書官も含めて全員が魔法使いだ。
昨日までは、魔獣に捕食されて欠損した手足は回収されず、傷を塞いだだけで駐屯地に送り返された。
それでも、本国や他の紛争地域では、まず助からない重傷だ。
昨年、デルタ伍長の部下も片足を喪って除隊されたが、命が助かっただけでも良しとしなければならなかった。
今日は、食い千切られた手足が回収され、処置台で接続を待つ。
昨春、医官セプテントリオーを貶める詐欺動画が公開される前と同じだ。
怪物の腹を裂いてどれだけ回収できたか不明だが、少なくとも今、ここに手足のある者は、元通りの身体に戻れる。
……王国兵が俺たちを許してくれたんじゃなくて、彼が「回収しろ」って命令してくれたんだろうな。
デルタ伍長は、医官セプテントリオーと、租借地駐留部隊の魔装兵や王族を警護する近衛兵たちの温度差を思い出した。
何とも言えない気持ちで、救急処置室を見回す。
手足の接続を待つバルバツム兵は、治癒魔法で傷を塞がれず、処置台に横たわる。呪医二人が魔法で止血し、看護師が消毒して輸液の点滴に繋いだだけだ。
救急処置室には、人間の手足を持った魔装兵が一人、また一人と入って来る。
……俺が見た緑の雄牛、すぐ燃やされてたよな?
デルタ伍長が裏返ったトラックの運転席から見た限り、横転した兵員輸送車から這い出した兵士は次々と頭や腹を貪られた。
この分では、六車線道路を反対方向へ逃げた部隊も別の魔獣に襲われ、そちらは手足を先に食われたのだろう。
……魔獣の種類によって、好きな部位が違うのかな?
デルタ伍長はこれまでに目撃した捕食状況を思い返した。
狼型魔獣や蛇か百足か判然としない魔獣は、手足……特に足を好んで捕食した憶えがある。
魔法使いの看護師が、デルタ伍長を水の担架に乗せて病室へ運んだ。
六人部屋で、先客の二人も、破損したバルバツム連邦陸軍の戦闘服を纏う。
黒髪の看護師はデルタ伍長をベッドに降ろすと、何も言わず、さっさと救急処置室へ戻った。
先客二人は点滴に繋がれて天井を仰ぐ。
治癒魔法の反動で衰弱し、発声すら困難なのだろう。
デルタ伍長は会話ならできるが、全身が怠く、寝返りを打つのも億劫だ。
医官セプテントリオーは昨春までは共通語が全くわからない様子で、彼を護衛する近衛兵の通訳を介し、バルバツム兵や見舞いに訪れたルスタートル司令官らと意志疎通した。
今日の彼は、片言だが、共通語で直接話す。
過労で倒れて療養する間に勉強したのだろう。
昨春より白髪が増え、痩せた印象だが、春の陽だまりのような微笑も患者に向けるやさしさも変わらない。
今日、負傷兵の手足が回収されたのは、医官セプテントリオーの命令なのだ。
……バルバツム人が……キルクルス教徒があんな酷いコトしたのに。
昨春、医官セプテントリオーを性犯罪者に仕立て上げる詐欺動画がキルクルス教圏を中心にバズって以来、バルバツム連邦のみならず、インターネットでは共通語の罵詈雑言が溢れた。
詐欺師一味の逮捕以降、少しは減ったような気はするが、未だに王族である医官セプテントリオーを誹謗中傷する言葉がSNSに出回る。
デルタ伍長は今年一月、湖南経済新聞公式サイトで新年の動画ニュースを観た。
クレーヴェル城で一般参賀したラキュス・ラクリマリス王国民の女性は、医官セプテントリオーの知合いで、危うく詐欺師を呪うところだったと怒りを吐露した。
詐欺動画の公開直後は、フラクシヌス教徒や魔法文明圏から、訂正や反論の声が上がったが、キルクルス教徒は聞く耳を持たなかった。
租借地の病院で治療を受けたバルバツム兵も、反論に加わる。だが、彼らも同胞から嘘吐き呼ばわりされ、誹謗中傷する輩には説明を受容れられなかった。
ラキュス・ラクリマリス王国出身のローク・ディアファネス大司教も、治癒魔法の身体的条件について聖典を根拠に説明したが、彼の生配信に耳を傾けるのは敬虔な信徒だけだ。
自ら学ばないせいで予備知識がない者程、未知の分野や自分には理解が難しい事柄を虚偽と断定するのは何故なのか。
デルタ伍長は例の動画が公開されて以来、SNSで飛び交う不毛な言い争いを目にする度に考えたが、答えは出なかった。
昼食は出ず、六人部屋を埋めるバルバツム兵は全員、栄養剤の点滴に繋がれる。
治癒魔法の反動で衰弱して食事もままならないからだ。
魔法にかなり慣れてきたデルタ伍長は比較的マシで、会話やナースコールを押す程度の動作は可能だが、それでも、起き上がって食事できる程ではなかった。
出血が酷かった兵士や、初めて治癒魔法を掛けられた兵士は、言葉を発することすらできない。
食事の時間、看護師は鎮花茶を持って来たが、誰にも飲ませなかった。
心を鎮める薬効があるのが、甘い芳香だからだろう。
夕飯の時間に水を操る魔法で再加熱して芳香を立て、消灯時間前には新たに淹れ直した。
早ければ、そろそろ今朝の事件がニュースに出る頃だろう。
医官セプテントリオー自身は「恐怖で混乱したせいだ」と不問にしたが、近衛兵は王族に銃を向けたバルバツム兵を許さない様子だった。
バルバツム連邦政府が無視を決め込んでも、ラキュス・ラクリマリス王国人とフラクシヌス教徒は、今朝の兵士の所業を許さないに違いない。
デルタ伍長は【灯】を消された病室で貴重品入れの抽斗に手を伸ばし、タブレット端末を出した。たったそれだけの動作でも軽く息切れする。
単語の組合せを変えて、湖南語で検索した。
端末の画面をつつくだけでも、泥を泳ぐように腕が重く怠い。
デルタ伍長は、目当ての記事を発見する前に寝落ちした。
☆魔法薬学会での会議に通訳として引っ張り出され……「3527.業務外の依頼」→「3543.最大の関心事」参照
☆デルタ伍長の部下も片足を喪って除隊……「3412.痛みを忘れる」「3413.報道が繋がる」「3645.退役兵の配信」参照
☆新年の動画ニュース……「3696.一国民の反応」参照




