3738.近衛兵の進言
王家出身の保健省医官セプテントリオーが、片言の共通語で負傷兵にやさしく声を掛ける。
「怖くナイ、怖くナイよー。ココ、マジュー来まセん。私の騎士たち、アなタ、護ルしますよー」
怯えきったバルバツム兵は白衣の肩を右手で掴み、左手は血の溢れる腿をきつく押さえた。全身が小刻みに震え、青い眼は焦点を結ばない。
ラキュス・ラクリマリス王国軍の近衛兵たちが、苦い顔で護衛対象の医官を見詰める。
医官セプテントリオーは近衛兵に構わず、仮設アルブム港湾病院の看護師に湖南語で命じた。
「鎮花茶をなるべく濃く淹れて下さい」
「畏まりました」
黒髪の看護師が壁際の戸棚から小さな紙袋を出し、水を魔法で操って宙に浮かべる。煮え滾る湯に袋の中身を一掴み投入した。
甘い芳香が立ち昇り、救急処置室の血臭と混じる。
デルタ伍長の肩から力が抜けた。他の負傷兵たちも、幾分か表情が和らいだ。
王族である医官を撃ったバルバツム兵は、蒼白な顔で虚空を見詰めて動かない。
医官セプテントリオーは力ある言葉で呪文を唱えた。
デルタ伍長は何度聞いても、単語のひとつのも聞き取れないが、これが魔法の麻酔であることならわかる。
「もう痛クない? ダイじょーブ?」
医官セプテントリオーが片言の共通語で、自分を銃撃したバルバツム連邦陸軍の負傷兵に話し掛ける。負傷兵の目が焦点を結び、辛うじて首を縦に振った。
医官セプテントリオーが、処置台に座らされた負傷兵にそっと手を添え、慎重に横たえる。
「跳弾を除去します。メスとピンセット、消毒薬を下さい」
「御意」
命じられた金髪の看護師が、膿盆にそれらを盛って医官セプテントリオーの傍らに立つ。
黒髪の看護師が負傷兵のズボンを鋏で切り開き、跳弾の食い込んだ傷を露わにした。小瓶を開け、魔法の消毒薬を血が溢れる傷に一垂らし掛ける。
医官セプテントリオーが患者の腿に左手を触れて呪文を唱え、銃創をメスで抉るように開いた。ピンセットを捻じ込み、強引に抉って掴み出す。
バルバツム連邦では考えられない乱暴な治療だが、新たな出血はない。
メスとピンセットを膿盆に返し、茶色の小瓶に持ち替えて治癒魔法の呪文を唱える。小瓶から流れ出た少量の水が宙を漂い、意志を持つかのような動きで、血の流れない肉の穴に入った。薄赤く染まった水が出ると同時に傷が拭い去られたように塞がる。
黒髪の看護師が呪文を唱え、水の支配を交替した。血液などの汚れをステンレスのゴミ箱に排出し、使用済みの水をバケツに注ぐ。
デルタ伍長は傷の痛みも忘れ、久々に目にするベテラン呪医の手際に感心した。
……相変わらず、凄いな。
医官セプテントリオーが負傷兵に微笑を向け、片言の共通語で言う。
「ホネ、治ル、します」
力ある言葉で呪文を唱え、自分を撃った負傷兵に再び手を触れた。
これも、デルタ伍長は何度も掛けてもらったことがある。骨折を瞬時に癒やす魔法だ。
医官セプテントリオーを銃撃した負傷兵の顔色が良くなった。
他の処置台では、赤毛の院長と緑髪の研修医も、負傷兵の治療を進める。彼女らは、出血の多い患者から順に魔法で傷を塞いだ。
デルタ伍長は裏返ったトラックの運転席で、何人ものバルバツム兵が頭部や腹部を貪られるのを目撃した。
仮設アルブム港湾病院に搬送されたのが、手足を負傷した兵士ばかりなのは、つまり、そう言うコトだ。
デルタ伍長は、無茶な命令のせいで無駄に命を散らした仲間たちに瞑目した。
顔を上げると医官セプテントリオーと目が合った。湖南語で話し掛けられる。
「おや、あなたは……まだ辞めさせてもらえないのですね」
「は、はい……」
デルタ伍長は頷いた瞬間、傷の痛みを思い出して顔を顰めた。
医官セプテントリオーがすっかり聞き慣れた診察の呪文を唱え、デルタ伍長の首筋に触れる。
「右鎖骨を骨折、右の肋骨の上から三本目までと右の肩甲骨にもヒビ、打撲と酷い内出血もあります」
湖南語で説明され、咳で激痛が走った理由がわかって少しスッキリした。
医官セプテントリオーが、これまた何度も聞いた呪文を唱える。骨折を癒やす魔法だ。
研修医のヴェスペルゴ王女とは別の呪文で、体内をやさしくあたたかな流れが巡る。ものの数秒で、複数個所の骨が一度に修復された。
術の反動で疲れが一気に押し寄せ、デルタ伍長は座って我が身を支えるのもやっとの状態だ。
医官セプテントリオーが傍らの医療秘書官に聞く。
「空き病床は足りますか?」
「はい。ございます。……バルバツム軍が救援物資を輸送する回数と、星の標によるテロが減りましたので」
「そうですか。それはよかったです」
医官セプテントリオーがいつから巡回診療に復帰したか不明だが、王族の彼は医療秘書官に晴れ晴れとした微笑を向けた。
大柄な女性近衛兵が苦い顔で、医官セプテントリオーに銃口を向けたバルバツム兵を掌で示す。
「この者は如何致しましょう?」
「単に恐怖で混乱しただけでしょう。念の為、入院中は毎日、鎮花茶を処方してあげて下さい」
医官セプテントリオーは、後半をこの病院の薬剤師に向けた。
魔法使いの薬剤師が恭しく拝命し、医療秘書官が大判のタブレット端末を操作して電子カルテに入力する。
大柄な女性近衛兵は、苛立ちを押さえた声で進言した。
「バルバツム連邦に厳重抗議し、国際社会に彼の国の非を明らかにして、この問題を大きくすれば、兵を退くきっかけになるのではないかと愚考いたします」
……あッ! その手があったか!
医官セプテントリオーを貶める詐欺動画だけでも、ラキュス・ラクリマリス王国軍の駐留部隊は出動を遅らせ、ランテルナ島の魔獣駆除業者はバルバツム連邦軍の護衛から完全に手を引いたのだ。
バルバツム兵が王族である医官セプテントリオーを銃撃した件が広まれば、王国軍もバルバツム兵の救助を拒絶するだろう。
租借地駐留部隊による救助と、租借地の病院で与えられる魔法による治療がなければ、アーテル共和国に派遣されたバルバツム連邦軍は、遠からず全滅する可能性が高い。
兵員を逐次増派して欠員を補っても、国内の反発は更に激しさを増す。
……いや、でも、辞めさせてもらえなかったら、俺も死ぬよな?
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊で輸送第三部隊の副隊長を務めるデルタ伍長は、固唾を飲んで医官セプテントリオーの顔色を窺った。
昨春より緑髪がかなり白くなった医官が、ひとつ溜息をこぼして答える。
「……今は治療を優先します。その件は、持ち帰って検討しましょう」
「御意」
大柄な女性近衛兵は、表情の読めない顔で敬礼した。
男性近衛兵の声が救急処置室に響く。
「巨翼の顎、フリグス基地を出ました!」
「じゃ、行くわね」
研修医のヴェスペルゴ王女が嬉々として応じる。
中年の医官セプテントリオーは、王女の背に声を掛けた。
「ヴェスペルゴ殿下、ご武運を」
「任せて!」
中学生くらいに見える王女が片手を振り、軽やかな足取りで救急処置室を出る。
王女付きの近衛兵五名も、主に続いた。




