3737.復帰した呪医
アーテル共和国軍のフリグス基地は目と鼻の先だが、援軍は期待できなかった。
魔哮砲戦争で疲弊したアーテル軍は戦後八年以上経つ現在も、戦力を回復させるどころか、戦後に始まった薬物依存症問題で、最低限の兵員確保にも苦心する。
駐留するバルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊の装備では、十トントラックを易々とひっくり返す大型魔獣に全く歯が立たない。
五、六人の一団が、東西を走る六車線道路に忽然と姿を現した。
緑色の髪を夏の風になびかせた彼らは、ラキュス・ラクリマリス王国軍の租借地駐留部隊だ。
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊に所属する輸送第三部隊の副隊長デルタは、裏返ったトラックの運転席で安堵の息を吐いた。
租借地駐留部隊の魔装兵が何かを投げる動作をした直後、閃光が走り、緑色の雄牛を貫いた。槍のような光の塊が何本も刺さり、巨体が地響きを立てて斃れる。
魔装兵が剣を抜いた。
デルタ伍長はトドメを刺すと思ったが、彼は魔獣の赤い角に剣を振り下ろす。
救援物資を満載した十トントラックを軽々とひっくり返した頑丈な角は、一刀の許に両断された。もう一人が戦闘服のポケットから小さな袋を出し、太さが大人の腕二本分はある角に押し当てた。掌に収まる袋は、遙かに大きい角を易々と飲み込んだ。
更に別の魔装兵が、腰を屈めて魔獣の周囲を一周する。再び元の位置に戻ると立ち上がり、何事か唱えた。巨大な火柱が上がり、緑色の雄牛が紅い炎に呑まれる。
残る三人の魔装兵は、頻りにフリグス基地を……その上空に目を遣った。
裏返ったトラックの運転席からは見えないが、あの巨大な猛禽類のような魔獣がまだ居るのだろう。
救援物資を運ぶ十トントラックと、荷捌き要員を乗せた兵員輸送車。基地と租借地の間を走る六車線道路をどの車輌がどちらへ逃げたかわからない。少なくとも、デルタ伍長たち、西のアルブム市方面へ向かった車輌は、緑色の雄牛型魔獣と鉢合わせして悉くひっくり返された。フリグス基地内で空を飛ぶ巨大な魔獣に襲われた車輌も、多数ある。
王国軍の魔装兵がトラックに歩み寄り、何か呪文を唱えた。
デルタ伍長はアーテル共和国に派遣されてから八年近く経つが、未だにこの魔力の制御符号……力ある言葉を聞き取ることができない。
緑髪の魔装兵が軽く手を触れると、積荷を満載した十トントラックは段ボール製の模型のように軽々と向きを変え、タイヤをアスファルトに着地させた。
激しい痛みが襲い、デルタ伍長は悲鳴すら上げられなかった。
「自力で出られるか?」
ラキュス・ラクリマリス王国軍の魔装兵は、訛のない共通語で聞いた。
返事をしようとしたが、デルタ伍長は口の中がカラカラに乾いて声が出ない。
諦めて、シートベルトを外しにかかる。手が震えてなかなか外せなかった。動く度にシートベルトの食い込んだ部分が痛む。
ようやく外し、自力で運転席のドアを開けられたが、足に力が入らない。片手をドアの把手に掛けたまま高い運転席から落ちた。
逞しい腕がデルタ伍長を抱き留める。魔装兵のお陰でアスファルトに叩きつけられずに済んだが、負傷した部分に激痛が走り、声にならない悲鳴を上げた。
「特に出血などはなさそうだが……どこか負傷したのか?」
デルタ伍長は声もなく首を縦に振った。その動きでさえ、痛みの源を刺激する。
緑髪の魔装兵が呪文を唱えた。何度か聞いたことがあるものだ。
軽い目眩に続いて、風景が一変する。
もう何度も搬送された仮設アルブム港湾病院だ。
あの詐欺動画の一件以来、ベテラン男性呪医の巡回診療がなくなった。
院長を務める赤毛の女医も治癒魔法の腕は確かだが、彼の代わりに呪医を目指す王女が研修で詰め、その指導で院長の手が取られる。
今のところ、治癒魔法を失敗したことはないが、それでも王女の治療は何かと抜けがちで、時間も掛かる。男性呪医や院長の治療なら感じることのなかった痛みもあった。
救急処置室の扉前で、待ち構えた看護師たちが魔法で水を操る。ぬるま湯が、生き物のようにデルタ伍長の全身を這って洗滌した。
魔装兵はデルタ伍長を看護師に預けると、魔法で姿を消した。現場へ戻ったのだろう。
水の担架に乗せられて救急処置室に入る。
早朝の仮設アルブム港湾病院は、既に大勢の負傷者が搬送されていた。
血臭が鼻を刺す。デルタ伍長はざっと見回した。全員バルバツム連邦陸軍兵だ。魔獣に手足を食い千切られた者が多い。
先程の魔装兵は赤い刺繍入り戦闘服だったが、救急処置室を警備する王国兵は同じ刺繍が入った立派な軍服を纏う近衛兵だ。
まだあどけなさの残る緑髪の女性研修医が、苛立った声を手近の近衛兵に叩きつける。
「まだ、巨翼の顎を道路に誘き出せないのですか?」
「現場で土涎香を焚いておりますが、風向きの関係で時間が掛かるようです」
デルタ伍長は湖南語が堪能だが、ドゼンコーが何かわからない。キョヨクノアギトは、巨大な魔獣二種のどちらかだろう。
薄水色の刺繍入り白衣の女性院長が、赤い刺繍の白衣を纏う研修医を窘める。
「ヴェスペルゴ王女殿下、今は負傷者の治療に専念なさって下さい」
「でも、あの大きさでは一般の魔装兵は太刀打ちできないと思うの」
「近衛兵の方々に出ていただくのは」
「近衛兵でも【従僕の絆】が要るわ」
ジューボクノキズナは聞き憶えがある気がしたが、意味は思い出せなかった。
赤い刺繍入り白衣の小柄な男性が、処置台に座らされた負傷兵に呪文を唱えながら手を伸ばす。緑髪は半分近くが白髪で、三つ編みにして背中に垂らしてある。
負傷兵が意味を成さない叫びを上げ、腰のホルスターから拳銃を抜いた。
あっという間の出来事だ。
銃声が轟き、負傷兵が大きく目を見開いて白衣の人物の方へ倒れ込む。
傍らに控えた近衛兵が負傷兵の手首を捩じり上げ、拳銃を取り上げた。
白衣の男性が近衛兵に顔を向ける。
見知った横顔にデルタ伍長の心臓が跳ねた。
男性呪医が近衛兵に緑色の眉を顰める。
「そんな乱暴にしないであげて下さい。怪我人なのですよ」
「しかし」
「魔獣に襲われて恐慌に陥っただけですから」
「セプテントリオー様が撃たれたのですよ?」
近衛兵が呆れ、片手で制圧された負傷者が呻く。
男性呪医は、同じく呆れた顔で言い返した。
「この軍医用白衣に鉛弾など通用するワケがないでしょう。跳弾が当たったのは患者さん自身なのですよ?」
……セプテントリオー医官……復帰できたんだ!
デルタ伍長は束の間、傷の痛みを忘れ、見覚えのある横顔に見入った。
☆セプテントリオー医官……「3315.母親との通話」参照
☆土涎香……「1949.道沿いの素材」参照




