3736.まだ続く運用
バルバツム連邦軍は印暦二二〇二年七月現在も、未だ、アーテル共和国に駐留し続ける。
変わったのは、共通語と湖南語の通訳兵を増派したことくらいなものだ。
本国の訓練施設にアーテル人を講師として迎え、外語大学出身の新兵に湖南語を学習させた。講師は魔哮砲戦争中、バルバツム連邦へ逃れたアーテル共和国の富裕層らしい。
アーテル共和国軍フリグス基地内に設けたバルバツム連邦陸軍の駐屯地にも、通訳兵が配備されたが、輸送第三小隊にはデルタ伍長が居るので増員されなかった。
連邦軍がアーテル人の孤児に呪歌【癒しの風】を仕込み、治癒魔法専門の衛生兵としてアルトン・ガザ大陸南部の紛争地域に送り込んだ件が発覚して以来、アーテル共和国は態度を硬化させた。
これを受け、キルクルス教団は救援物資をバルバツム連邦に集積させず、アーテルの隣国ラニスタに輸送。フラクシヌス教団に協力を依頼し、魔法使いの神官戦士が輸送を担う体制を構築した。
世界中から集まるキルクルス教系慈善団体からの救援物資の輸送は、バルバツム連邦の手を離れた。だが、連邦政府や国内に本部を置く世俗の慈善団体からの救援物資は、相変わらず、連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊が輸送を担当する。
アーテル政府の決定前に搬入された物資を合わせても、量と輸送頻度は著しく減少した。それでも、輸送部隊の車列はほぼ毎回、魔獣の襲撃を受けた。
今朝は特に酷い。
フリグス基地の敷地内に大型旅客機並みの魔獣が出現したのだ。
猛禽類に似るが、首から上を硬い鱗が覆う。嘴の中には鋭い歯が見えた。解体用油圧圧砕機のような鉤爪で十トントラックを掴み、羽ばたき数回で軽々と持ち上げる。
鳥類か爬虫類か判然としない魔獣は、巨体に見合わぬ速さで空を飛び、こちらの攻撃が当たり難い。命中したところで、魔法ではない単なる戦車砲や対戦車擲弾では、何の痛痒も感じないだろう。
積み込みの終わったトラックや兵員輸送車は、命からがら脱出。デルタ伍長のトラックは、東西を走る六車線道路で別の魔獣に襲われた。
赤い角の生えた緑色の雄牛は、戦車と遜色ない大きさだが、戦車より遙かに動きが速く、小回りが利く。進路上に躍り出て頭を低くすると、赤い角で十トントラックを突き上げた。
トラックが横転するのはよくある事故だが、縦に後方宙返りしたのはこれが初めてではないか。三回転して、荷台がアスファルトに叩きつけられた。
デルタ伍長は衝撃で寸の間、息が詰まり、次の瞬間には激しく咳込んだ。咳込む度に激痛が走る。
咳が止まるのを待ってそろりそろりと腕を上げ、痛む肩に手を触れた。落下の衝撃でシートベルトが食い込み、鎖骨かどこか骨折したかもしれない。だが、手は動く。頚椎は損傷しなかったようだ。
シートベルトとヘルメットがなければ、もっと重傷だっただろう。
自分を落ち着かせようと、大きく息を吐く。
痛みの芯がじくじく熱を持って存在を主張する。
裏返ったトラックのフロントガラスの向こうで、緑の雄牛が頭突きや体当り、角の突き上げで車輛を次々ひっくり返すのが見えた。
もしかすると、トラックや兵員輸送車を「縄張りを荒らした魔獣」か何かだと認識したのかもしれない。
……外に出なければ、食べられない……のか?
デルタ伍長は、都合のいい推測で自分を奮い立たせる。
逆さ吊りの身にシートベルトが食い込み、自力で外せそうもなかった。息をする度に骨折したらしい部分が熱を帯びて疼く。頭に血が上り、バックミラーを見るまでもなく、頬が紅潮するのがわかった。
身動き取れないが、思考はめまぐるしく働いて、冷徹な分析が止まらない。
昨春の詐欺動画以来、ランテルナ島の魔獣駆除業者は一斉にバルバツム連邦軍の護衛任務から手を引いた。無茶な任務で派遣されたバルバツム兵を気の毒がり、なにくれとなく親切にしてくれたホルィでさえそうだ。
ラキュス・ラクリマリス王国軍の租借地駐留部隊も、それ以前に比べ、明らかに出動が遅くなった。
国防省は対魔獣装備の研究開発を続けるが、バルバツム連邦陸軍は未だに大型魔獣から身を護る手段がない。
約六百年前の大航海時代には、銀の弾丸や砲弾が小型から中型の魔獣を倒した記録がある。だが、古文書の解析や魔法文明圏の文献、国連魔術機関への照会で、それは偶然、魔獣の存在の核に命中した幸運な例だと判明した。
鉛弾や徹甲弾などでは、中型以上の魔獣には攻撃が通らないが、銀製ならそこそこ、魔法による防禦を抜けられると言う。
それでも、攻撃魔法の足下にも及ばない威力だ。アルトン・ガザ大陸南部に進出した大型船は、存在の核に当たるまで攻撃を続け、銀で表面を覆った弾の物量で押し切ったらしい。
防衛省が開発した新装備は従前通り、薬物依存症の兵に試用させる。
攻撃が上手くゆかなくても、データは取れる。死んでも惜しくない使い捨ての実験台扱いなのだ。
昨夏、ルブラ王国領ミクランテラ島にある魔法薬学会で、脳解毒薬に関する会議が開かれた。
バルバツム連邦のローシカ製薬は、最高経営責任者を送り込んだ。ローシカ社長は、脳解毒薬の開発者であるラキュス・ラクリマリス王国のレーグルス王子の怒りに触れ、何らかの魔法を掛けられた。
ローシカ社長の口から、自社の鎮痛解熱剤には強い依存性があると明かされる。生配信で世界中に知れ渡り、数日で販売停止に追い込まれた。
それ以前にローシカ製薬の鎮痛解熱剤を服用した者は、未だに薬物依存症で苦しむ。
バルバツム連邦軍は、医療キットに件の鎮痛解熱剤を採用したせいで、入隊後に薬物依存症に罹患率する者が多かった。
通常なら、薬物依存症の兵士は除隊されるが、防衛省は新兵器を試用させる捨て駒として置く。
科学文明圏での薬物依存症治療は、徐々に減薬して断薬に導くしかない。断薬は生涯継続しなければならず、一度でも手を出せば再発する。
断薬に失敗した兵士は、掃いて捨てる程居た。
ローシカ製薬製鎮痛解熱剤の販売停止後、貧しい国民は、類似の成分を持つ違法薬物に手を出すようになった。薬物依存症の新規患者は、減るどころか、却って増加。本来なら、身体検査で弾かれる薬物依存症患者が、アーテル共和国へ派遣されるようになった。
連邦軍は作用の緩やかな薬物を投与して減薬を維持し、離脱症状を防いで彼らを運用する。
自国では完治させることが不可能な「社会的負担となる存在」を体よく始末するのが目的としか思えない。
デルタ伍長は、横転した兵員輸送車から這い出たバルバツム兵が、生きたまま緑の雄牛に捕食されるのを成す術もなく見守った。




