3731.生命力を移す
ドラコが予定を変更し、ウェルム王女の病室に泊まり込んだが、特に何事もなく無事に翌朝を迎えた。
定刻になり、産婦のウェルム王女と周産期ケアチームが分娩室に入る。
「只今より、両輪分娩を開始します」
執刀するマトローナ教授が宣言した。
彼女は【家守る鸛】学派の呪医であり、科学の産科医療も修めた。魔法と科学両輪の医療者だ。
外科領域を掌る【青き片翼】学派の呪医セプテントリオーは、グロム医科大学附属病院の分娩室で帝王切開の補助についた。
「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者
白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病
命の解れ 詳らか 綻び塞ぐ その為に」
呪医セプテントリオーが【見診】で診ながら、産婦であるウェルム・ラキュス・ネーニア王女の腹部に【麻酔】を掛ける。
「今閉ざす 偽の鍵以て 時刻む 門戸を塞げ
痺れゆけ 命の水脈よ ゆるゆる眠れ」
術の効果範囲は、最低限の部分に限定した。
今の呪医セプテントリオーは、過労で魔力基と魔力嚢が傷み、魔力の出力と制御が不安定だ。胎児を取り上げ、傷を塞ぎ終えるまで、【麻酔】と【見診】を維持しなければならない。術を維持できなくなれば、産婦を大変な苦痛が襲うのだ。
天井のライトを見詰めるウェルム王女が緊張に顔を強張らせた。
ドラコが分娩台の傍らに立ち、妻であるウェルム王女を見守る。
たったこれだけの【麻酔】で、呪医セプテントリオーは軽い倦怠感に見舞われ、不安を抱いた。
マトローナ教授が、メスで王女の下腹部を横に切開する。
続いて、呪医セプテントリオーは切開部位に【止血】を掛けた。
「身のほつれ 漏れだす命 内に留め 澪標
流れる血潮 身の水脈巡り 固く閉じ 内に流れよ」
マトローナ教授が、魔法で出血を抑えた傷にラテックス手袋で包んだ手を挿し入れた。
ウェルム王女が歯を食いしばり、分娩台の手摺りを掴む。白くなった指先に夫のドラコが手を重ねた。
マトローナ教授が傷に両手を入れ、五キロ近くまで育った骨盤位の胎児を慎重に胎内で回転させる。
「ウェルム殿下、もう少しですから、ご辛抱下さいね」
教授が産婦に声を掛け、胎児を頭からゆっくり外の世界へ導き出す。
呪医セプテントリオーは【見診】と【麻酔】に加えて【止血】も維持する。
過労で倒れる前なら、特に意識する程のことのなかった術の並行維持で、頭痛がし始めた。
ふらついた呪医セプテントリオーを【鎧】の上から術衣を纏った近衛兵ラシーハが支える。
魔法で出血を抑え、局所【麻酔】下にある帝王切開とは言え、巨大児を取り上げるのは、小柄なウェルム王女には負担が重い。
産婦の額に汗の玉が浮かび、看護師が汗を拭き取って励ましの声を掛ける。【見診】の視界で産婦の命の水脈が揺らいだ。
「ラシーハ、私から離れて下さい」
「御意」
大柄な女性近衛兵が呪医セプテントリオーを支える手を離す。
呪医セプテントリオーは素手のままの左手をドラコと繋ぎ、ウェルム王女の首筋に右手を添えて【活力移送】を唱えた。
「開け門 個の垣越え 高きから低きへ 命の水脈流れよ」
提供者であるドラコの体力が、術者の呪医セプテントリオーに流入する。
生命力の奔流は術者を介し、即座に生命力の弱った患者に流れ込む筈だが、何故か、ウェルム王女に流れない。
「あっ? あれっ?」
驚きが漏れ、慌ててドラコと繋いだ手を振り払った。術が失効し、生命力の奔流が止む。動揺で【麻酔】と【止血】まで失効させないよう、気を張った。
一年近い療養のせいか、未だに本調子でないからか。
以前の呪医セプテントリオーなら、手術や分娩の最中に患者を不安にさせる声を漏らすことなどなかった。
自分の失言に内心、臍を噛む。
産婦のウェルム王女が不安な声で問う。
「な、何が……何があったのです?」
「お子様はお元気ですよ。もう少しの辛抱ですからね。もう、お頭は出ましたからね」
産科のマトローナ教授が【見診】で診ながら、胎児を腹の傷から導き出しつつ、産婦に安心させる為の微笑を向けて声を掛ける。
呪医セプテントリオーは、戸惑いに震える声で答えた。
「それが……ドラコさんの生命力がウェルム殿下に流れてゆかないのです」
「俺は大丈夫です。続けて下さい」
ドラコが呪医セプテントリオーの左手首を掴む。
「如何にドラコさんと雖も、あまり生命力を融通しては」
「大丈夫です。【流転の腕環】を用意してきましたので」
「えッ?」
ドラコが袖を捲って手首を見せた。
複雑な意匠が施され、サファイアが嵌め込まれた銀の腕環がある。
「魔力を生命力に変換する腕環です」
「そんな便利なものがあるのですね」
呪医セプテントリオーは初耳だ。
ドラコが自慢げに微笑む。
「つい最近、職人に作らせたばかりですから」
「これがあれば、【活力移送】を掛けやすくなりますね」
「かなり魔力の圧を掛けなければ変換できないので、装備できる者は限られますが……セプテントリオー殿下、俺のことは気にせず、続けて下さい」
ドラコが呪医セプテントリオーに強い視線を浴びせる。
呪医セプテントリオーはひとつ深呼吸すると、【活力移送】を唱え直した。
ドラコの説明を信じ、手を握り続ける。
生命力の奔流がセプテントリオーの身の内に溜まって渦を巻く。あたたかな光が身体の隅々にまで行き渡る感覚が心地よい。
頭痛が消え、身体の怠さもなくなった。
……身体に力が入る……?
この一年近く、なかった感覚だ。
両足で分娩室の床を踏みしめ、自分の足できちんと立てる。
「今閉ざす 偽の鍵以て 時刻む 門戸を塞げ
痺れゆけ 命の水脈よ ゆるゆる眠れ」
再び【麻酔】を掛け、範囲を広げてみたが、先程のような重い手応えはない。
過労で倒れる以前と同様、何の負担も感じることなく、無意識に維持できる。
あたたかな流れの向きが変わった。【見診】の視界で目を凝らす。ドラコの生命力が、ようやくウェルム王女に流れ始めたのだ。
産婦の表情が緩む。
「今、ドラコさんの生命力がウェルム殿下に流れました」
「有難うございます!」
ドラコが、呪医セプテントリオーと繋いだ手を押し戴いて礼を言う。
胎児の全身が母体から外の世界に出た。分娩室に力強い産声が響く。
看護師が嬰児を受取り、マトローナ教授が改めて【見診】を掛けた。
「大変お元気なお姫様でございます」
「おめでとうございます」
「有難うございます!」
教授と看護師が祝福する。
ドラコがマスク越しにもわかる満面の笑みで叫んだ。ウェルム王女は額に汗を浮かべ、疲れ切った顔だが、微笑を湛えて娘を見上げた。
マトローナ教授が臍帯と胎盤を処置する。
呪医セプテントリオーは、夫婦から手を放し、看護師が嬰児を産着で包む傍らで【癒しの水】を唱えた。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
分娩台の傍らに置かれた瓶から純水が起ち上がり、ウェルム王女の下腹部を生き物のように這う。出産で傷付いた胎内と切開の傷を癒し、何事もなかったかのように復元した。
看護師の一人が【操水】を唱え、血液を含んで薄赤く染まる水の支配を代わる。
呪医セプテントリオーは【見診】【麻酔】【止血】を解除すると、無事に久々の手術を終えられたことに安堵の息を吐いた。




