3726.二人分の輝き
マトローナ教授が周産期カンファレンスの終了を宣言し、カルテの紙ファイルを回収して円卓の席を立った。
「お待たせ致しました。ウェルム王女殿下のお部屋へご案内致します」
「よろしくお願いします」
呪医セプテントリオーは白衣を羽織り、近衛兵五人を伴って、密議の間からウェルム王女の寝室へ移動した。
看護師三名は、ウェルム王女の入院準備を整える為、勤務先のグロム医科大学附属病院へ戻る。
会議に参加した王女付きの侍女三名は、それぞれの持ち場へ向かった。一人は王女の寝室に同行する。
緑髪のベテラン侍女が、護衛の近衛兵に会釈して寝室の扉を叩いた。
「ウェルム殿下、セプテントリオー殿下とマトローナ教授がお越しです」
「どうぞ」
女主人の声と同時に近衛兵が扉を開く。
デプルスム城に設けられたウェルム王女の寝室は、王位継承権を有する女性のものとは思えないくらい質素だ。
呪医セプテントリオーは、思わずクレーヴェル城で与えられた自室と比べ、ウェルム王女の顔を見た。遙かに格上の分家出身の王女は、ドラコとの婚姻から二百年以上も、この飾り気のない部屋で過ごしたのだ。
自然分娩なら、この部屋でお産に臨んだのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。
「今日は、お二人で【見診】して下さるのでしたわね」
ウェルム王女は編み物の手を止め、窓辺の椅子から立ち上がった。近衛兵の女性がさりげなく手を貸して支える。
私室だからか、王女は学派を示す徽章も、魔力を蓄積するサファイア付きの宝飾品も身に着けていなかった。最低限の防禦魔法を刺繍したマタニティドレスだけを纏い、髪飾りも化粧気もなく、清楚と言うより質素な印象だ。
……いや、ご本人の希望でこうなのかもしれないし、決めつけは良くないな。
王族出身でも聖職者は質素を好む。
確か、ウェルム王女の娘二人は民主化後、呪医を目指してネーニア島の神殿で修業を始めたと耳にした憶えがある。
呪医セプテントリオーは、彼女らがどこの神殿附属病院に弟子入りし、どの学派の徽章を得たか、詳しいことを何も知らないことに気付いた。
グロム医科大学のマトローナ教授が、穏やかな微笑を湛えて妊婦に声を掛ける。
「ウェルム殿下、お加減いかがですか?」
「お気遣い恐れ入ります。大事ありません」
ウェルム王女が、大きな腹をそっと撫でて微笑を返す。
セプテントリオーが最後に顔を合わせたのは旧王国時代の末期だ。二百年余りの時を経ても、王女の容色には衰えが見られなかった。三百歳前なら、長命人種としては青年期に当たる。少女のあどけない面影は薄れたが、成熟した大人の落ち着きを纏い、別種の美しさを身につけたように思えた。
呪医セプテントリオーも微笑を浮かべ、王女に一歩近付いて言う。
「左様でございますか。マトローナ呪医の【見診】だけで充分ではありますが、念の為に私も診せていただきますね」
「はい。よろしくお願いします。帝王切開は初めてのことですので、心強いですわ」
「そちらにお掛けになって、楽になさって下さい」
呪医セプテントリオーが着席を促すと、妊婦は素直に従った。侍女が主人の手を取って支え、そっと座らせる。
産科のマトローナ教授が妊婦の右手、外科の呪医セプテントリオーが左手を繋いで、同時に呪文を唱えた。
「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者
白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病
命の解れ 詳らか 綻び塞ぐ その為に」
ウェルム王女の中に一際強く輝く命の光が診えた。
二人分の命の水脈が重なる部分では、その輝きに押され、母体であるウェルム王女自身の命の水脈を視認し難い。
呪医セプテントリオーは、注意深く、ウェルム王女自身を頭部から順に診た。
脳内には血栓やその兆候は見られない。
血圧はやや高い気がするが、正常の範囲内だろう。先程のカルテには、妊娠高血圧症候群などの所見はないと明記してあった。明日、グロム医科大学附属病院に入院すれば、看護師たちが定期的に血圧計で測定する。
消化器や呼吸器が、大きく膨らんだ腹部に圧迫されて苦しそうではあるが、これも妊娠後期には当たり前の状態だ。
呪医セプテントリオーはひとつ深呼吸して、妊婦の腎臓に注目した。胎児の強い輝きとは異なる落ち着いた光にじっくり目を凝らす。
腎臓を巡る命の水脈にも、特に問題はなさそうだ。これなら、痙攣発作や昏睡を起こす心配はないだろう。
次に胎児が発する強い光に目を向けた。
臍帯を通じ、母体から胎児へ一筋の流れが診える。
ウェルム王女の子宮の中で、命の水脈が坩堝のように渦を巻く。
出産予定日の七週前とは思えない大きさだ。この分ならば、大丈夫だろう。
誰一人として性別に言及しないので、科学の検査で判明していても、夫婦には伝えない方針なのかもしれない。
胎内に在る内から、これ程までに強い魔力を宿すのだ。女児なら、確実に王位継承権を授与されるだろう。
この件に関して、呪医から言えることは何もない。【見診】では胎児の性別は診えないのだ。
息を詰めてしばらく目を凝らしたが、病変を示す暗い影や色の濁りは、特に診えなかった。
「母子ともにご壮健ですね」
呪医セプテントリオーが【見診】結果を告げる。
マトローナ教授は、妊婦から手を放して頷いた。
ウェルム王女付きの侍女と近衛兵たちが、安堵の息を吐く。
王女自身も緊張を解き、表情を緩めた。
「丁寧に診て下さいまして恐れ入ります。これで安心して出産に臨めますわ」
「明日の朝食後、お迎えに上がります」
「はい。入院の準備は、既に整えております」
マトローナ教授が予定を告げると、王女付きの侍女が間髪入れず答えた。
呪医セプテントリオーが、初めて帝王切開に臨む妊婦に安心させる為の微笑を向ける。
「私も同行しますし、グロム医科大学は様々な症例の蓄積がありますので、万が一、不測の事態が生じたとしても、きちんと対応してもらえますよ」
「はい。呪医方を信じております。明後日のお産、よろしくお願いします」
妊婦が明るい笑顔で応じる。
「当日は、ドラコさんも分娩室に入って、ウェルム殿下に力を貸してくれますので、ご安心下さい」
ウェルム王女は呪医セプテントリオーの一言で目を瞠った。
素早く視線を巡らせ、声を潜めて言う。
「ドラコだけですか? お義姉様やお義兄様は、何も言いませんでしたか?」
「え? 私は、ドラコさん以外のエアロアウステル家の方々とは、まだどなたとも顔を合わせておりませんし、彼らの予定などについても特に連絡は受けておりませんので、わかりかねます」
呪医セプテントリオーは、王女の意外な言葉に面食らったが、正直に答えた。
これまでの病院勤務では、孫の誕生を自分の目で見ようと、分娩室にまで押しかける祖父母世代が偶に現れた。だが、基本的に配偶者か、体力を融通する登録ボランティア以外の一般人は立入禁止だ。
大抵は、看護師などの病院職員が説明すれば大人しく引き下がるが、極稀に警備員が対応しなければならないこともあった。
……伯父伯母予定者が分娩室に入りたがるのは……経験がないな。
呪医セプテントリオーは、民主化から二百年余りの記憶を手繰ってみたが、心当たりがなかった。
妊娠中に夫が死亡し、夫の兄弟姉妹が代わりに体力の融通を申し出た例ならあるが、健在の場合にわざわざ言う例はなかったように思う。
文献で目にしただけだが、科学文明圏では古い時代、王妃の出産には高位貴族複数名が臨席し、その子を確かに王妃が産んだことを証明する習慣があったと言う。
魔法文明圏には、そんな習慣はない。
マトローナ教授をそっと窺うと、産科の呪医も微妙な顔で首を傾げた。
教授が背筋を伸ばして告げる。
「グロム医科大学附属病院に限らず、どの病院でも、体力を融通する夫やボランティア以外の分娩室への立入りは、固くお断りしておりますので、ご安心下さい」
「そうですか。病院で産むのも初めてなので、少し神経質になり過ぎたかもしれません」
「分娩室の警備には、ウェルム殿下の近衛兵だけでなく、私の近衛兵も就きますので、ご安心下さい」
「有難うございます」
ウェルム王女が心からの笑顔で礼を言う。
何となく懸念の理由を聞けない空気が醸し出され、呪医二人はウェルム王女の寝室を辞した。




