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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第七十二章 平和の譜

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3726.二人分の輝き

 マトローナ教授が周産期カンファレンスの終了を宣言し、カルテの紙ファイルを回収して円卓の席を立った。

 「お待たせ致しました。ウェルム王女殿下のお部屋へご案内致します」

 「よろしくお願いします」

 呪医セプテントリオーは白衣を羽織り、近衛兵五人を伴って、密議の間からウェルム王女の寝室へ移動した。

 看護師三名は、ウェルム王女の入院準備を整える為、勤務先のグロム医科大学附属病院へ戻る。

 会議に参加した王女付きの侍女三名は、それぞれの持ち場へ向かった。一人は王女の寝室に同行する。



 緑髪のベテラン侍女が、護衛の近衛兵に会釈して寝室の扉を叩いた。

 「ウェルム殿下、セプテントリオー殿下とマトローナ教授がお越しです」

 「どうぞ」

 女主人の声と同時に近衛兵が扉を開く。


 デプルスム城に設けられたウェルム王女の寝室は、王位継承権を有する女性のものとは思えないくらい質素だ。

 呪医セプテントリオーは、思わずクレーヴェル城で与えられた自室と比べ、ウェルム王女の顔を見た。遙かに格上の分家出身の王女は、ドラコとの婚姻から二百年以上も、この飾り気のない部屋で過ごしたのだ。

 自然分娩なら、この部屋でお産に臨んだのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。


 「今日は、お二人で【見診】して下さるのでしたわね」

 ウェルム王女は編み物の手を止め、窓辺の椅子から立ち上がった。近衛兵の女性がさりげなく手を貸して支える。

 私室だからか、王女は学派を示す徽章(きしょう)も、魔力を蓄積するサファイア付きの宝飾品も身に着けていなかった。最低限の防禦魔法を刺繍したマタニティドレスだけを纏い、髪飾りも化粧気もなく、清楚と言うより質素な印象だ。


 ……いや、ご本人の希望でこうなのかもしれないし、決めつけは良くないな。


 王族出身でも聖職者は質素を好む。

 確か、ウェルム王女の娘二人は民主化後、呪医を目指してネーニア島の神殿で修業を始めたと耳にした憶えがある。

 呪医セプテントリオーは、彼女らがどこの神殿附属病院に弟子入りし、どの学派の徽章(きしょう)を得たか、詳しいことを何も知らないことに気付いた。


 グロム医科大学のマトローナ教授が、穏やかな微笑を湛(たた)えて妊婦に声を掛ける。

 「ウェルム殿下、お加減いかがですか?」

 「お気遣い恐れ入ります。大事ありません」

 ウェルム王女が、大きな腹をそっと撫でて微笑を返す。


 セプテントリオーが最後に顔を合わせたのは旧王国時代の末期だ。二百年余りの時を経ても、王女の容色には衰えが見られなかった。三百歳前なら、長命人種としては青年期に当たる。少女のあどけない面影は薄れたが、成熟した大人の落ち着きを纏い、別種の美しさを身につけたように思えた。


 呪医セプテントリオーも微笑を浮かべ、王女に一歩近付いて言う。

 「左様でございますか。マトローナ呪医(せんせい)の【見診】だけで充分ではありますが、念の為に私も診せていただきますね」

 「はい。よろしくお願いします。帝王切開は初めてのことですので、心強いですわ」

 「そちらにお掛けになって、楽になさって下さい」

 呪医セプテントリオーが着席を促すと、妊婦は素直に従った。侍女が主人の手を取って支え、そっと座らせる。


 産科のマトローナ教授が妊婦の右手、外科の呪医セプテントリオーが左手を繋いで、同時に呪文を唱えた。


 「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者

 白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病(やまい)

 命の解(ほつ)れ 詳(つまび)らか 綻(ほころ)び塞(ふさ)ぐ その為に」


 ウェルム王女の中に一際(ひときわ)強く輝く命の光が診えた。

 二人分の命の水脈(みお)が重なる部分では、その輝きに押され、母体であるウェルム王女自身の命の水脈を視認し難い。


 呪医セプテントリオーは、注意深く、ウェルム王女自身を頭部から順に診た。

 脳内には血栓やその兆候は見られない。

 血圧はやや高い気がするが、正常の範囲内だろう。先程のカルテには、妊娠高血圧症候群などの所見はないと明記してあった。明日、グロム医科大学附属病院に入院すれば、看護師たちが定期的に血圧計で測定する。

 消化器や呼吸器が、大きく膨らんだ腹部に圧迫されて苦しそうではあるが、これも妊娠後期には当たり前の状態だ。


 呪医セプテントリオーはひとつ深呼吸して、妊婦の腎臓に注目した。胎児の強い輝きとは異なる落ち着いた光にじっくり目を凝らす。

 腎臓を巡る命の水脈(みお)にも、特に問題はなさそうだ。これなら、痙攣発作や昏睡を起こす心配はないだろう。


 次に胎児が発する強い光に目を向けた。

 臍帯(さいたい)を通じ、母体から胎児へ一筋の流れが診える。

 ウェルム王女の子宮の中で、命の水脈(みお)が坩堝(るつぼ)のように渦を巻く。

 出産予定日の七週前とは思えない大きさだ。この分ならば、大丈夫だろう。


 誰一人として性別に言及しないので、科学の検査で判明していても、夫婦には伝えない方針なのかもしれない。

 胎内に在る内から、これ程までに強い魔力を宿すのだ。女児なら、確実に王位継承権を授与されるだろう。

 この件に関して、呪医から言えることは何もない。【見診】では胎児の性別は診えないのだ。


 息を詰めてしばらく目を凝らしたが、病変を示す暗い影や色の濁りは、特に診えなかった。


 「母子ともにご壮健ですね」

 呪医セプテントリオーが【見診】結果を告げる。

 マトローナ教授は、妊婦から手を放して頷いた。

 ウェルム王女付きの侍女と近衛兵たちが、安堵の息を吐く。


 王女自身も緊張を解き、表情を緩めた。

 「丁寧に診て下さいまして恐れ入ります。これで安心して出産に臨(のぞ)めますわ」

 「明日の朝食後、お迎えに上がります」

 「はい。入院の準備は、既に整えております」

 マトローナ教授が予定を告げると、王女付きの侍女が間髪入れず答えた。


 呪医セプテントリオーが、初めて帝王切開に臨む妊婦に安心させる為の微笑を向ける。

 「私も同行しますし、グロム医科大学は様々な症例の蓄積がありますので、万が一、不測の事態が生じたとしても、きちんと対応してもらえますよ」

 「はい。呪医方(せんせいがた)を信じております。明後日のお産、よろしくお願いします」

 妊婦が明るい笑顔で応じる。


 「当日は、ドラコさんも分娩室に入って、ウェルム殿下に力を貸してくれますので、ご安心下さい」


 ウェルム王女は呪医セプテントリオーの一言で目を瞠(みは)った。

 素早く視線を巡らせ、声を潜(ひそ)めて言う。


 「ドラコだけですか? お義姉様やお義兄様は、何も言いませんでしたか?」


 「え? 私は、ドラコさん以外のエアロアウステル家の方々とは、まだどなたとも顔を合わせておりませんし、彼らの予定などについても特に連絡は受けておりませんので、わかりかねます」

 呪医セプテントリオーは、王女の意外な言葉に面食らったが、正直に答えた。



 これまでの病院勤務では、孫の誕生を自分の目で見ようと、分娩室にまで押しかける祖父母世代が偶に現れた。だが、基本的に配偶者か、体力を融通する登録ボランティア以外の一般人は立入禁止だ。

 大抵は、看護師などの病院職員が説明すれば大人しく引き下がるが、極稀(ごくまれ)に警備員が対応しなければならないこともあった。


 ……伯父伯母予定者が分娩室に入りたがるのは……経験がないな。


 呪医セプテントリオーは、民主化から二百年余りの記憶を手繰ってみたが、心当たりがなかった。

 妊娠中に夫が死亡し、夫の兄弟姉妹が代わりに体力の融通を申し出た例ならあるが、健在の場合にわざわざ言う例はなかったように思う。


 文献で目にしただけだが、科学文明圏では古い時代、王妃の出産には高位貴族複数名が臨席し、その子を確かに王妃が産んだことを証明する習慣があったと言う。

 魔法文明圏には、そんな習慣はない。



 マトローナ教授をそっと窺うと、産科の呪医も微妙な顔で首を傾げた。

 教授が背筋を伸ばして告げる。

 「グロム医科大学附属病院に限らず、どの病院でも、体力を融通する夫やボランティア以外の分娩室への立入りは、固くお断りしておりますので、ご安心下さい」

 「そうですか。病院で産むのも初めてなので、少し神経質になり過ぎたかもしれません」

 「分娩室の警備には、ウェルム殿下の近衛兵だけでなく、私の近衛兵も就きますので、ご安心下さい」

 「有難うございます」

 ウェルム王女が心からの笑顔で礼を言う。


 何となく懸念の理由を聞けない空気が醸し出され、呪医二人はウェルム王女の寝室を辞した。

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◆野茨の環シリーズ 設定資料◆
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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