3725.だっこの順番
産科の呪医マトローナが、外科の呪医セプテントリオーに確認する。
「ウェルム王女殿下はご壮健でございますが、小柄であらせられます。ご夫君のドラコ様が、万一に備えて分娩に立会いたいとの仰せでございますが、いかがなさいますか?」
「ドラコさんの体力なら、どちらでも充分耐えられる筈です。是非、立ち会っていただきましょう」
産婦の夫が健康なら分娩室へ入れ、陣痛が長引くなどして産婦が著しく消耗した際は、【家守る鸛】学派の【精力移送】で夫の体力を分け与えて凌ぐのだ。
それでも不足する場合、病院に登録したボランティアを招集し、【白き片翼】学派の【活力移送】に切替え、更に体力を融通する。
いずれも強い方から弱い方へ生命力を流し込んで均等化する術で、【精力移送】は効果が比較的緩やかだ。
呪医セプテントリオーは、より強力な【活力移送】なら使えるが、提供者の状態を【見診】で監視した方が安全だ。
両者の差が開けば開く程、初期の短時間で流入する生命力の量が多くなる。提供者が危険に晒される為、数秒で産婦と提供者を引き離さなければならなかった。
……マトローナ呪医が【精力移送】するなら、【見診】もしてくれるだろうが。
帝王切開でどの程度消耗して、どちらが必要になるか、当日にならなければわからない。
呪医セプテントリオーは、グロム医科大で産科医を育成するマトローナ教授に聞いた。
「念の為、私もウェルム殿下を【見診】しておきたいのですが」
「はい。ウェルム王女殿下には、私からお伝えしております」
呪医セプテントリオーが、ウェルム王女付きの侍女たちに確認する。
「では早速、この後、よろしいですね?」
「御意」
看護師の傍らに控える侍女たちは、一斉に貴族式の礼で応じた。
彼女らは三人とも、旧王国時代には下級貴族だったのだろう。だが、神政復古しても貴族制は復活させなかったので、現在は平民の身分だ。
昔も今も、王族のセプテントリオーに問われれば、イヤでも否とは言えない。
形式的な確認でしかないが、彼女らも周産期ケアに携わるチームの一員だ。彼女ら自身が、王族と対等に言葉を交わすなどとんでもないと考え、円卓に座ることさえできないにしても、会議に参加して欲しかった。
呪医マトローナが、タブレット端末に地図を表示させて言う。
「自然分娩でしたら、ウェルム王女殿下の寝室でのお産になりますが、今回は帝王切開を実施します。明日のお昼には、グロム医科大学附属病院へお移りいただきます」
「私たちも明日、移動するのですね?」
呪医セプテントリオーは、地図から顔を上げて確認した。
グロム医科大学は、マトローナ教授の勤務先だ。ネーニア島南部のグロム半島最南端の大都市にある。王都ラクリマリスで大神殿に詣でた参拝客がついでに立ち寄るので、昔から人の出入りの多い観光都市だ。
つまり、グロム医科大学には、様々な症例の蓄積があった。
この看護師三名は、グロム医科大学附属病院の職員なのだ。
呪医セプテントリオーが、看護師たちと新生児についても手順を確認する。
「マトローナ呪医が赤ちゃんを【見診】して健康状態を確認、致命的な先天性疾患などがなければ、呪医が臍帯を処置するのですね?」
「はい。当日も改めて確認しながら進めて参ります」
呪医マトローナが応じると、他の面々も頷いた。
呪医セプテントリオーが、新生児集中治療室経験者の看護師に言う。
「では、あなたが赤ちゃんを軽く清拭して、産着で包んで、ウェルム殿下が病室に移動してからだっこさせてあげて下さい」
「ドラコ様が先にだっこをお望みの場合、いかが致しましょう?」
「その辺りは、まぁ……ご夫婦で話し合って決めていただきましょう」
セプテントリオーが微笑で答えると、看護師は納得した顔で頷いた。
小児科病棟担当の看護師が、難しい顔で質問を追加する。
「では、エアロアウステル元侯爵ご夫妻が先にだっこをお望みの場合は」
「当日は病室に立ち入らせませんので、その心配はありません」
呪医セプテントリオーは、皆まで言わせず、看護師の懸念を否定した。
看護師たちが、何やら通じ合った顔で同僚と微笑みを交わす。
彼女らの傍らで控えるウェルム王女付きの侍女たちは、そのような経験がないらしく怪訝な顔だ。
呪医セプテントリオーは民主化後の病院勤務で、新生児の祖父母……特に夫の両親が先にだっこしたせいで、先を越された産婦が精神的に不安定になり、それを起点に産後鬱になるなどして、関係の悪化が後々まで尾を引き、終には離婚に至った夫婦を少なからず目にした。
出産直後の消耗した状態で、妻が関係の微妙な舅姑に応対せざるを得なかった心労や、出産で疲弊した妻への労わりより自分の親孝行を優先した夫の態度も、原因のひとつだろう。
呪医セプテントリオーは戦後の巡回診療で、呪医の居ない病院の方が、産後の離婚率が高いことを知った。恐らく、出産中に【精力移送】や【活力移送】などで夫から体力的な支援を受けられず、治癒魔法で出産時の傷を速やかに癒せない為、身体の回復に時間が掛かることが原因だろう。
数年で良縁を得て別の男性と再婚し、次の出産に臨んだ妊婦たちが、隣の病床の者と話すのを幾度となく耳にした。
離婚ならまだいい方だ。
産後鬱が原因で、自殺や新生児との心中を図り、救急搬送された母親も少なくない。未遂で搬送されるならまだしも、成功してしまえば取り返しがつかないのだ。
……前回まではどうか知らないが、万全を期すに越したことはないからな。
舅や姑との関係は、外から見ただけではわからないのだ。
セプテントリオーは一応、ウェルム王女の親戚だが、遠縁なのでこの家庭の内情など全くわからない。
ウェルム王女と次男ドラコとの婚姻で、ラキュス・ネーニア王家の姻族にはなれたが、領地は直轄領として召し上げられた。代官として統治を続けられたので、旧王国時代の業務内容は変わらなかったが、雇われ領主にされたのだ。
元侯爵夫妻には、何か思うところがあるかもしれない。
……昨日も今朝も、元侯爵夫妻は私と全く顔を合わせていないしなぁ。
表向きは、セプテントリオーに余計な気を遣わせて疲れさせないようにとの配慮だが、実際のところ、どんな思惑があってのことか読めなかった。
☆【白き片翼】学派の【活力移送】……「2056.死線を彷徨う」参照




