3724.分娩の打合せ
呪医セプテントリオーは【家守る鸛】学派の呪医マトローナが作成したウェルム王女のカルテを二度見した。
……問題ないどころか、とんでもない……いや、殿下に持病がないのも、胎児に先天性疾患がないことも、嘘ではないな。
この件を先に言って欲しかったが、話の順番の都合だろう、と思い直す。
呪医セプテントリオーは、マトローナ教授を責める言葉を引っ込めて聞いた。
「逆子……何故【こちらを向いて】で向きを正していないのですか?」
「誠に申し訳ございません。すべては私の力不足が原因でございます」
「どう言うコトですか?」
予想外の答えに思わず声音が強くなる。
年配の女性呪医マトローナは、申し訳なさそうな顔で答えた。
「その前のページに記載致しましたが、胎児の魔力が私より遙かに強く、術に抵抗されてしまったのです」
「えぇ……ッ?」
呪医セプテントリオーは仰天した。
少なくとも、四百年余り呪医として働いてきたセプテントリオーは、見たことも聞いたこともなかった。もしかすると、七千年以上続くラキュス・ネーニア王家の記録を隈なく調べれば、同様の症例がみつかるかもしれない。
だが、半世紀の内乱と魔哮砲戦争で喪われた人材を補う為、グロム医科大学で後進の育成に励む傍ら、膨大な古文書を調べるのは困難だろう。
傍らで控える医療秘書官ヂェーニも息を呑んで固まる。
マトローナ教授は旧王国時代、ヂェーニと同じ伯爵位にあった。平民より遙かに強い魔力を有するが、王族には敵わない。
呪医マトローナは、項垂れて続けた。
「ご夫君のドラコ様にお手を拝借致しまして、サファイアを介して魔力を融通していただきました。しかし、それでも私如きでは術の圧が足りず、力及びませんでした」
「そこまでしても無理だったのですか」
呪医セプテントリオーは嘆息した。
「はい。申し訳ございません。そこで、科学のベテラン産科医と連携し、手技で骨盤位を正しい位置にしようと試みました。しかし、それも叶わず、他の産科医にも応援を依頼しましたが、彼女の外回転術も失敗に終わりました」
マトローナ教授は、グロム医科大に在籍する科学の産科教授らに協力を仰いだのだろう。
呪医セプテントリオーは念の為に確認した。
「その後は胎児の成長が進んで、打つ手がなくなったのですね?」
「左様でございます。力及ばぬこと、誠に申し訳なく、お詫びの言葉もみつかりません」
「いえ、手を尽くした上で、無理せず現状維持に努めたあなた方の判断は、何も間違っていませんよ」
呪医セプテントリオーは、消沈した呪医マトローナに安心させる為の微笑を向けた。無理に外回転術を続行すれば、胎児の心拍低下や早産や流産など、様々な危険が生じる惧れがあるのだ。
「巨大児で逆子。それ故に帝王切開を実施すること、了解しました」
「はい。明後日の分娩では、何卒お力添え賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
「勿論です」
呪医セプテントリオーが、やわらかな微笑で応じる。
マトローナ教授だけでなく、看護師三名と侍女三名も安堵に頬を緩めた。
呪医セプテントリオーが表情を改め、円卓に着く緑髪のベテラン看護師たちに声を掛ける。
「恐らく必要ないとは思いますが、念の為、輸血の準備は整っていますか?」
「いえ……それが……未だに【立入禁止】を施した血液バッグが不足しておりまして、どなたかのご協力が得られない場合は、輸液での対応になります」
声を震わせ、新生児集中治療室経験者の看護師が答えた。
血液を放置すれば、それが異界との扉になる惧れがある。
特にラキュス湖周辺地域は、三界の魔物を封印したムルティフローラ王国に近いせいか、魔物が出現しやすかった。
この地では、血液バッグに【立入禁止】の術を施し、異界との扉が開かないようにするのが鉄則だ。
だが、半世紀の内乱と魔哮砲戦争では、医療者だけでなく、多くの【編む葦切】学派や【弔う禿鷲】学派の術者も命を奪われた。
ネモラリス王国とラクリマリス王国は、二年前に再統合を果たして国号をラキュス・ラクリマリス王国に戻したが、魔哮砲戦争では中立を貫いた旧ラクリマリス王国領でも、半世紀の内乱による人手不足が尾を引くことに変わりない。
付与魔術を行使する職人たちは、血液バッグだけでなく、魔法の服や、輸送に用いる【無尽袋】や【無尽の瓶】などの制作、食肉処理なども担う。それらもまた、復興や日々の暮らしを支える重要な仕事なのだ。
ある程度なら輸液で代用できることもあり、血液バッグは後回しにされてきた。
呪医セプテントリオーは過労で倒れる以前、再三に亘って増産を指示したが、ない袖は振れない。
予算不足で職人を確保できず、戦後は最低限の数すら揃えられない年が続いた。
……王族の出産に際しても、用立てられないとはな。
呪医セプテントリオーはげんなりした。
マトローナ教授と看護師たちの顔の暗さで想像はつくが、念の為に確認する。
「ウェルム王女殿下と同じ血液型で、輸血できる体調の人物がみつからないのですね?」
「はい。申し訳ございません。王女殿下のご両親様は既にお隠れになり、兄上様は持病のお薬をお召しでございます。また、エウロアウステル元侯爵家の皆様は血液型が異なります」
「成程……わかりました」
呪医セプテントリオーは、予想通りの答えに落ち着いた声で応じた。
紙ファイルの表紙裏にポケットがある。中身は分娩当日の予定表だ。
「帝王切開の執刀は、マトローナ呪医がなさるのですね?」
「はい。お力添えの程、よろしくお願い申し上げます」
「勿論です。まずは、私がウェルム王女殿下の腹部に【麻酔】と【止血】を掛けて、マトローナ呪医が切開して、お子を取り上げて、臍帯を切って、胎盤を出し、私が【癒しの水】で傷を塞いで、万一、感染の兆候が見られれば、呪医が魔法の消毒薬を投与する……と言う手順でよろしいですね?」
呪医と科学の産科医が連携する両輪分娩の標準治療だ。今回は、科学の産科医の資格も併せ持つ呪医マトローナが執刀する。
呪医セプテントリオーは民主化後、軍医を辞して以来、公立病院などで数え切れないくらい分娩を補助してきた。
過労で倒れる以前なら、睡眠不足でぼんやりした頭でも、間違いなくこなせた処置だ。
……うん。連続して三種類の術くらい……何とかなる……よな?
患者の意識が清明な場合、稀にその気がなくとも【麻酔】に抵抗されてしまう場合がある。
呪医セプテントリオーには、王族の末席に辛うじて引っ掛かる程度の魔力しかなく、王位継承権を持つウェルム王女に抵抗されては、全く歯が立たない。だが、患者の緊張を解けば、意識的に魔法障壁を緩め、呪医の術をすんなり受付けるようになる。
……問題なかろう……私が途中で倒れたりしなければ。
過労で倒れて以来、主治医のオレニョノクには魔法の使用を禁止された。
それでも、何度か必要に迫られて治癒魔法を使ったことがある。
女官見習いランクスが魔力切れで昏倒した際の【見診】と【魔力の水晶】を介した魔力の譲渡。クレーヴェル城を訪れたファーキルが火傷した際は【癒しの水】と【見診】で手当てした。
力なき民の料理人が全身に重度の熱傷を負った労災事故では、近衛兵たちを振り切る為に【操水】で水塊に乗って城の厨房へ駆け付け、【見診】して【癒しの水】で完治させた。
いずれの場合も、その後は寝込んだ。
改めて思い返すと、月日が経つにつれて過労からの回復が進み、できることが増えてゆくのがわかった。
……まぁ、大丈夫だろう。
最悪の場合、王女と胎児を救命できさえすれば、それで構わないと思った。
☆【こちらを向いて】……「1589.最初から難民」参照
☆血液バッグが不足……「3137.秘書官の怒り」参照
☆血液バッグは後回し……「2910.血と人手不足」参照
☆魔法の消毒薬……「3014.開発した事情」参照
☆女官見習いランクスが魔力切れで昏倒……「3515.見習いの女官」「3516.魔力別の階級」参照
☆ファーキルが火傷……「3517.お茶会の来客」参照
☆力なき民の料理人が全身に重度の熱傷……「3664.厨房での騒動」参照
【参考】お隠れになる
皇族や王族など高貴な人物が「亡くなる」の意。




