3721.周辺から探る
セプテントリオーは、約一年振りに保健省の医官として白衣を纏い、張り切ってクレーヴェル城を出立。だが、デプルスム城で思わぬ壁にぶち当たり、肩透かしを食った。
……ままならんものだな。
だが、焦っても仕方がない。
この分では、ウェルム王女の診察も、呪医セプテントリオー単独ではさせてもらえないだろう。
経過を全く教えてもらえないのは、妊婦か胎児の状態に何か懸念があり、その情報が漏れれば国民に動揺が走るからかもしれない。
ウェルム王女と侯爵家次男ドラコ夫妻は、旧王国時代末期に子を儲けたが、半世紀の内乱ですべて暗殺された。
呪医セプテントリオーの家族も、キルクルス教徒に毒ガス兵器で皆殺しにされ、あの時代は王族と雖も、身の安全を確保するのが困難だったのだ。
魔哮砲戦争中にも、更に王族の命が奪われた。
新たな王族の誕生には、大きな期待が掛かる。
湖の民のラキュス・ネーニア王家は、女性が優先的に王位継承権を持つ。
ウェルム王女はラキュス・ネーニア王家六番手の分家出身で、自身の王位継承順位は第二十四位だ。彼女が玉座に就く可能性はまずないので、政治的な発言力はないに等しいが、湖水の護り手としては重要な存在だ。
ラキュス・ネーニア王家の王位継承権は、呪歌【水呼び】を魔法の補助具を用いず、単独で謳い得る者に与えられる。
大神殿の地下に安置された青琩、または塋域の島オーストロフ島で眠る碧玲を前に謳えば、大量の水を生み出し、ラキュス湖の水位を増して周辺地域を潤し、旱魃の龍の封印を強化する。
サファイアに術を施し、疑似的に青琩や碧玲を模した効力を付与することも可能だが、本物には敵わない。
魔哮砲戦争中、隠れキルクルス教徒狩りを実施した双子のサル・ウルとサル・ガズは、クレーヴェル市内の神殿に設置した疑似青琩のサファイアに休みなく【水呼び】を謳う罰を科された。
現在は二人とも島守として、塋域の島オーストロフ島で本物の碧玲を前に謳う。
ウェルム王女の懐胎した子が、王位継承権を付与される程度に強い魔力を持って無事に産まれれば、それだけ、この地域全体の安全が盤石になる。
万が一、死産や流産すれば、ラキュス・ラクリマリス王国どころか、ラキュス湖周辺地域全体に落胆が広がるだろう。
……無事に産まれてから報道発表すると言うのはわかるが。
周産期医療チームの一員として呼ばれた呪医セプテントリオーにすら、事前に情報共有しないのは如何なものか。
体調が万全でないことに配慮し、余分な心労を掛けまいとする気遣いかもしれないが、それで連携が上手くゆかなくなっては本末転倒だ。
呪医セプテントリオーは白衣を脱いで、クレーヴェル城から伴った女官のモルムに預けた。緑髪若い女官が【操水】で白衣を軽く濯ぎ、客間の衣裳棚に片付ける。
デプルスム城で勤務する中年の女官が、緊張した面持ちで壁際に控える。
セプテントリオーは紅茶を一口含み、茶を用意した女官に安心させる為の微笑を向けた。
「美味しいですね。あなたはこの城に勤めて長いのですか?」
「は……はいッ! 畏れながら、ウェルム王女殿下のお輿入れ以来、お勤めさせていただいております」
呪医セプテントリオーは穏やかな声で聞いたが、緑髪の女官は氷の定規でも入れられたように背筋を伸ばして答えた。
「ウェルム王女殿下付きの侍女なのですか?」
「いえ……家事担当の女官でございます」
中年の女官が申し訳なさそうに答える。
「お子を授かって間もない頃、王女殿下のお食事はどうでした? きちんとお召し上がりでしたか? それとも、悪阻であまり召し上がれませんでしたか?」
「生憎、私は厨房や給仕の担当ではございません。来客対応や、応接室と客間の清掃が担当なのでございます」
壁際で控えるデプルスム城の女官は、ほぼ女神様と称えられる呪医の顔色を怯えた目で窺った。
「そうですか。他の使用人から何か聞いたことはありませんか?」
「王女殿下の悪阻が酷かったと言うお話は、寡聞にして存じません」
女官はますます縮こまった。
担当外の彼女が知らされなかっただけか、本当に悪阻がなく、順調だったかわからない。
医療秘書官ヂェーニが、セプテントリオーの傍らで首を横に振った。
……使用人は口止めされているのだな。
呪医セプテントリオーは以前、ファーキルから「人間が最大のセキュリティホールだ」と教えてもらったのを思い出した。
ウェルム王女の状態を周辺から探ろうと試みたが、【制約】の可能性に気付いて諦める。
……明日まで待つしかないな。
デプルスム城では、カンファレンスや診察などで忙しくなると思い、時間潰しできるものを何も持って来なかった。
「そうですか。しばらく休みますので、下がって結構ですよ」
「御意」
セプテントリオーは、デプルスム城の女官が退室するのを待って、緩い部屋着に着替えると、寝台に潜り込んだ。
魔力の消費量が少ない服に着替えただけで身体が一気に楽になり、ほんの僅かな外出で疲労したことを思い知らされた。
「セプテントリオー様、そろそろ昼食のお時間でございます」
アルボル女官長に声を掛けられ、セプテントリオーは寝台に身を起こした。
知らない部屋だ。
窓を見て、デプルスム城に呼ばれたのだと思い出す。
部屋着から先程の服に着替え、少し考えて、白衣は置いてゆくことにした。
デプルスム城の女官に案内され、食堂に足を運んだ。
セプテントリオー付きのアルボル女官長と近衛兵二人だけが入り、他は別室で昼食を摂る。
ウェルム王女と夫のドラコは、先に食卓に着いて会話を楽しんでいた。
緑髪の王女は比較的若い長命人種だ。確か、シェラタン女王よりやや年上……二百九十代前半だったような憶えがある。大きく膨らんだ腹は、細身で小柄な彼女には不釣合いに見えた。
……もしかして、巨大児なのか?
マトローナ教授が今回の出産に関して、ウェルム王女と彼女の夫にどこまで危険性を説明したかわからない。
セプテントリオーは、【見診】もしない内に憶測で懸念を口にするのが憚られ、不安を飲み込んだ。
「セプテントリオー様、御機嫌よう。本日は私の為にご足労いただきまして有難うございます」
「いえ、こちらこそ、お招き下さり恐れ入ります」
「今、王家の血を引く【青き片翼】はあなた様しかおられませんでしょう? それで、どうしても私のお産をお願いしたかったんですの」
ヴェスペルゴ王女が、租借地の病院で臨床研修を受けるが、彼女は学生の身だ。一年近く経つ今もまだ【青き片翼】学派の徽章を授与されていないらしい。
魔法戦士の【急降下する鷲】学派から転向する彼女は、幼少期から呪医を目指したセプテントリオーより苦労するだろう。
……王族とは言え、療養中の私を敢えて頼るとは……不安を感じる異常があるのだな。
呪医セプテントリオーは、食卓に並べられた前菜そっちのけでウェルム王女を観察した。
☆青琩……「534.女神のご加護」「542.ふたつの宗教」「684.ラキュスの核」参照
☆碧玲……「1488.水呼びの呪歌」参照
☆休みなく【水呼び】を謳う罰……「2116.償いの水呼び」「2117.湖水の回復量」「2624.血族が集まる」参照
☆現在は二人とも島守……「2630.家族が壊れる」参照
☆ヴェスペルゴ王女……「3322.代役を立てる」参照




