3718.探る許容範囲
軍医レーグルスが、防護ゴーグルの向こうで微笑む。
「ちょっと時間掛かったけど、一応できたね」
「一応……できましたね」
薬師キルシウスが防護マスクの中で安堵の息を吐く。
「これ……品質は……どうなんでしょう?」
薬師アウェッラーナは、不安を口にした。
軍医レーグルスが、三人のフラスコを見比べて言う。
「それは【明かし水鏡】で検証するから、フラスコにシール貼ってくれる?」
「シール……?」
「あぁ、こちらですね」
製薬会社勤務の薬師キルシウスが、作業台に置いてあった台紙を手に取った。
「番号は、第一中間素材と同じ物にして」
「畏まりました」
この防護手袋はゴワゴワして細かい動きが難しいが、キルシウスは器用にシールを剥がしてフラスコに貼り付けた。
キルシウスが一番、アウェッラーナが二番、軍医レーグルスは三番だ。
軍医レーグルスが試験管立てを掌で示して言う。
「じゃ、さっきの工程をもう三回よろしくね」
研修生が調合した低品質の第一中間素材は試験管十二本分ある。再び第二中間素材を調合し、残り九本についても同じ操作を繰返した。
どうやら、第一中間素材の品質が下がれば、反応速度が遅くなり、完成した脳解毒薬の濁りが濃くなるようだ。
十二番目の第一中間素材を使用した脳解毒薬は、明らかに液本来の色が薄く、完成品に混じる紫の濁りが酷い。
「第一中間素材の品質が下がると、脳解毒薬と廃液の分離が上手くゆかなくなるようですね」
薬師キルシウスが、誰にともなく言って動画に記録を残す。
薬師アウェッラーナも、調合中の変化を言語化した。
「最終工程の反応時間は、第一中間素材の品質が関係するようですね。品質の低さに比例して時間が長くなりました」
軍医レーグルスが、試験管立て二台に分けて横一列で並べた脳解毒薬十二本を掌で示した。
「これ、五番目以降は、どう見ても毒のある廃液が混ざっちゃってて、患者さんに飲ませたら死にそうだね」
一番のシールはやや色が薄いが、使っても問題なさそうに思えた。だが、十二番目は分離が不完全で、僅かに生成できた薄緑色の脳解毒薬に紫の廃液が混じって何とも言えない色だ。
「目視では大丈夫そうな感じがしますけど、四番目も【明かし水鏡】で安全性を確認しないことには、怖くて使えませんね」
薬師アウェッラーナは、記録と注意喚起を兼ねて発言した。
軍医レーグルスは、完成品が並ぶ試験管立てを隣の作業台に置いて言う。
「そうだね。お疲れ様。じゃあ、続きをしよう。今度は、私が作った第一中間素材と、二人が作った第二中間素材を混ぜて脳解毒薬を作ってみよう」
「畏まりました」
軍医レーグルスが作った高品質の第一中間素材と、平民の薬師二人が作った第二中間素材を使う。
アウェッラーナが作った第二中間素材でキルシウスが調合し、キルシウスの中間素材はアウェッラーナが使った。
反応速度は、どちらの場合も、アウェッラーナが全工程を自分で調合した場合と変わらない。
完成した脳解毒薬は、全く問題ない品質に仕上がった。
次は、平民の薬師二人が作った第一中間素材と、軍医レーグルスの第二中間素材で、仕上げの調合も人を入替える。
この組換えでも、結果は同じで上質の脳解毒薬が生成された。
軍医レーグルスが記録の為、当たり前のことを口頭で確認する。
「中間素材をそれぞれ別の人が作って、それを更に第三者が調合しても、品質と腕前さえ良ければ、問題ないみたいだね」
「そのようですね」
「では、やはり、中間素材の品質確認が重要……と」
アウェッラーナが頷くと、キルシウスは隣の作業台に並べた出来損ないの脳解毒薬に目を遣った。
軍医レーグルスが、平民の薬師二人に聞く。
「検品作業をなるべく省力化したいんだけど、どうすればいいと思う?」
「色見本……でしょうか」
キルシウスが少し自信なさそうに答える。
アウェッラーナには、全くそんな発想がなかった。
薬科大の卒業後はずっと病院勤務で、製薬会社から様々な魔法薬を仕入れたが、それらは品質や安全性の検査が済んだ「完成品の商品」ばかりだ。
アウェッラーナは、製薬会社勤務の薬師キルシウスに尊敬の眼差しを向けた。
……流石は大手のメンサ製薬さんね。
軍医レーグルスが納得する。
「成程ね。使ってもギリギリ大丈夫な第一中間素材の色を記録して、それと比較するワケだ」
「左様でございます」
「それなら、いちいち【明かし水鏡】で調べなくていいから楽だね」
軍医レーグルスがにっこり微笑む。ゴーグルと防護マスクで隠れているが、この王子様は黙っていれば、少しボーイッシュな女子高生のような容姿だ。
笑顔のまま、もう一人の薬師に聞く。
「アウェッラーナさんは何かない?」
「えーっと……すみません……思いつきません」
「あ、いや、別に責めてるワケじゃないんだ。私も何も思いついてないし」
「ご配慮賜り、恐れ入ります」
レーグルス王子が少し傷付いた顔になる。だが、アウェッラーナは、記録動画を意識して恭しい態度を崩さない。後で誰に何をされるか知れたものではないのだ。
「うん……えーっと、じゃあ、今回、検証したい組合わせは調合できたから、成果物を使っても大丈夫か、お昼ごはん食べてから検証しよう」
軍医レーグルスが減圧室での作業の終了を告げた。
完成品の脳解毒薬を詰めた試験管を試験管立てごと更衣室に運ぶ。
三人で手伝い合ってお互いに【操水】で洗浄。使い捨ての防護服を脱いだ。
紫連樹の樹液がほんの僅かでも残留すれば、触れた部分の蛋白質が分解されて大変なことになる。
試験管なども【操水】で念入りに洗浄した。
減圧室の更衣室を出る。
廊下で待機する近衛兵五人が、レーグルス王子の無事な姿に安堵した。
完成した脳解毒薬を二階の実験室へ運ぶ。試験管立て二台はアウェッラーナとキルシウスが持った。
レーグルス王子は、実験室の扉を開くなり、気さくに声を掛けた。
「みんな、お疲れ様。これの検査、午後からでいいからね」
「畏まりました」
研究員五人が作業の手を止め、王子の方を向いて一斉にお辞儀する。
髪色と年齢層は様々だが、首から提げた徽章は全員【思考する梟】学派だ。
レーグルス王子は、アウェッラーナとキルシウスにも気安く言う。
「それ、【明かし水鏡】が置いてあるとこに置いといてくれる?」
「畏まりました」
二人は声を揃えて応じ、銀の深皿【明かし水鏡】だけが置かれた作業台に試験管立てを並べた。
緑髪の研究員が試験管をざっと見て、平民の薬師二人に言う。
「実験の様子は画面越しに拝見させていただきましたが、あなた方の腕前を以てしても、低品質の素材では使い物にならないのですね」
「それは……どの魔法薬でも同じですよね」
薬師アウェッラーナは苦笑した。
金髪の研究員も作業台に来て、様々な色合いに仕上がった脳解毒薬を見詰めて言う。
「当研究所では現在、低品質の薬草から高品質の傷薬を調合する研究を進めています」
「えッ? そんなコトできるんですか?」
アウェッラーナとキルシウスの驚きが重なった。




