3716.会社員の薬師
二月十五日。
薬師アウェッラーナは、迎えに来た魔装兵と共にラキュス・ラクリマリス王国軍トポリ基地へ【跳躍】した。
トポリ市立東市民病院の主任薬師だが、不定期に三日間、陸軍病院に徴用されて脳解毒薬を調合する。今日は、印暦二二〇二年最初の呼び出しだ。
跳んだ先は分厚い防壁に護られた門の前で、魔装兵の門番二人が待ち構える。
門番は敬礼して、薬師と魔装兵を迎えた。
「おはようございます、アウェッラーナ薬師」
「……おはようございます」
魔装兵の許可証で、アウェッラーナも【認証】の掛かった門を通過した。
白衣を来た緑髪の人物が、近衛兵に囲まれて少し先を歩く。
魔法薬学会で開かれる脳解毒薬調合講座が終わったとの情報はない。
……王子様? 講義はどうしたの?
前回、トポリ基地で軍医レーグルスと顔を合わせた時は、責任重大で胃の痛い仕事を押し付けられた。
薬師アウェッラーナは、今度は何を言われるかと身構えた。こっそり歩調を落として距離を開ける。
「おはようございます、キルシウス薬師」
「おはようございます」
門番たちが、次の訪問者に挨拶した。
白衣の人物が振り返る。案の定、軍医レーグルスだ。
「アウェッラーナさん! キルシウスさん! おっはようっ!」
「おはようございます。王子殿下」
レーグルス王子には無邪気な笑顔で手を振られたが、平民の薬師二人は、近衛兵の目を気にしてお辞儀する。
案内の兵士に促され、軍医レーグルスに追いついた。
……前はお昼休みにちょっと帰っただけだったのに今日は何で朝から居るの?
薬師アウェッラーナは、喉元まで出掛かった質問を飲み込んだ。
陸軍病院の研究所へ歩きながら、軍医レーグルスが言う。
「今日は自習させてるんだ」
「左様でございますか」
薬師キルシウスが微妙な顔で相槌を打つ。
「ヘタクソのお守り、疲れるんだもん」
「彼らは未だに殿下のお手を煩わせ、中間素材のひとつもまともに調合できないのですか?」
薬師キルシウスが呆れた顔で聞く。
「今は二番目の中間素材を練習させてるけど、息抜きも必要だよ……私に」
「えッ? 一番目の中間素材は全員が調合できるようになったんですか?」
薬師アウェッラーナは喜び半分、驚き半分で思わず聞いた。
「うん。アウェッラーナさんとトラーフニク教授が基礎訓練してくれたお陰で、自主的に修行を積んで、どうにかそこまではできるようになった人が増えたんだ」
「それは良うございました」
薬師アウェッラーナは笑みがこぼれた。
薬師キルシウスが怪訝な顔で聞く。初耳らしい。
「基礎訓練……ですか?」
「泥水を純水にできるようになるまで【操水】させたり、傷薬や地虫の解熱剤を作らせたりしました」
「基本中の基本じゃないですか。受講生は小学生ではなく、大人の上級者なんですよね?」
緑髪の男性薬師キルシウスが驚く。彼の目に侮蔑の色はない。本当にただ純粋に驚いただけなのだ。
薬師アウェッラーナは、彼らから聞いた苦しい事情を思い出し、泣きたいような気持で答えた。
「そうですけど……あちらの政府の意向で、初級相当の人たちが無理に送り込まれてたんです。話を聞いたら、アルトン・ガザ大陸南部の両輪の国は、魔術教育全体の水準が凄く低くて、彼らがそれぞれの国で最高の技術を持つ薬師でした」
「えぇッ?」
「ご本人たちは身の程知らずだって、ちゃんとわかってましたけど、家族を人質に取られたり、断ったら莫大な借金を負わされるとかで、仕方なく」
中年の薬師キルシウスは、溜息を吐いて天を仰いだ。
軍医レーグルス・ラキュス・ネーニアが話に混じる。
「まぁ、でも、研修生は随分減ったよ」
「えッ? 何があったんですか?」
薬師アウェッラーナは、一週間だけとは言え教え子だった彼らが心配になった。
「製薬会社が見切りを付けて、自分の国の政府に進言して、研修生を帰国させたんだ」
答えた軍医レーグルスは、何故か残念そうだ。
「そうなんですか」
「会社は脳解毒薬全体の調合を諦めて、一番目の中間素材だけに絞るコトにしたんだ」
「品質は大丈夫なんでしょうか」
薬師キルシウスが懸念を口にする。
「それは大丈夫だよ。研修生はみんな、あの中間素材だけならどうにか使用に耐える品質で調合できるようになったから」
「左様でございますか」
薬師キルシウスが表情を緩める。
軍医レーグルスは、朝っぱらから不満をぶちまけた。
「却って検品が大変だから、私はそんなの買いたくないんだけど、伯母さんは、これからたくさん要るから省力化できる部分はそうした方がいいって言うんだ」
「検品係を確保する目途が立ったのでしょうか?」
薬師アウェッラーナはイヤな予感がしたが、聞かずにいられなかった。
軍医レーグルスが微妙な顔で、製薬会社に勤務する男性薬師を見る。
「うん。だから、今日はキルシウスさんを呼んだんだよ」
「中間素材を事前にたくさん用意して【保存】の容器で保管しておけば、紫連樹の葉が入荷した際、すぐ調合できますからね」
会社員のキルシウスはにっこり微笑んだ。
検品業務も受注すれば、会社は儲かる。シェラタン女王の案に否やはなかろう。
薬師アウェッラーナは合点がいった。
……あぁ、それで会社員のこの人が基地に呼ばれたのね。
脳解毒薬の調合業務は、チャール研究所、陸軍病院研究所、モースト薬科大学、減圧調剤室を備えた大手の製薬会社三社に振り分けられた。
公立病院で勤務するジーマラスチやアウェッラーナ、薬局経営者のメッラなど、設備のない所で働く呪医と薬師は、トポリ基地にある陸軍病院の研究所に呼出されて調合する。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラに仕える神官は、ラキュス・ラクリマリス王国政府が運営するチャール研究所に引き抜かれた。
トラーフニク教授は、後進の育成を兼ねてモースト薬科大学で調合を実演する。
大手製薬会社三社に所属する呪医と薬師は、それぞれの勤務先で、王国政府が割当てた素材を使って調合業務に従事した。
薬師キルシウスは、謁見の間で、生配信の有無を確認してくれた製薬会社の社員だ。脳解毒薬の承認を祝う慰労会では隣の卓だった。
今日も、あの日と同じ、襟に製薬会社の社章が付いた白衣だ。
……この社章はメンサ製薬ね。
メンサ製薬株式会社は、魔法薬製造の老舗だ。本社はネーニア島の医療産業都市クルブニーカにある。
「今日の調合は、ちょっと変則的な方法を試して欲しいんだ」
軍医レーグルスの一言で、薬師アウェッラーナの胃がぎゅっと縮まった。
☆前回、トポリ基地で軍医レーグルスと顔を合わせた時……「3601.トンデモ依頼」参照
☆脳解毒薬の承認を祝う慰労会では隣の卓……「3176.コツを伝える」参照




