3714.広がった裾野
印暦二二〇二年一月末。
今日も、クルィーロは水知樹の樹液や絶光蝶の鱗粉などの仕入れで、トポリ営業所からネモラリス島南部のデレヴィーナ市に【跳躍】した。
街を囲む防壁の門を見上げた途端、戦時中、林業組合と共に森へ入った時のコトを思い出した。
デレヴィーナの森では、警備会社や地元の狩人が、薬草園や水知樹の栽培地、絶光蝶の養殖場を護る。
だが、当時は魔獣と戦える人材を戦争に取られたせいで、林道に敷かれた結界の敷石の保守点検も、養殖場の世話も満足にできなかった。
クルィーロはいつも通り、森林産素材を専門に扱う卸売問屋を訪れた。
「御免下さい。カルタルス商会です。ネットで注文した分、受取りに来ました」
「あ、これはこれは……どうも」
受付職員がタブレット端末で注文番号を確認し、内線で倉庫に声を掛ける。小さくまとまった事務所のようなカウンターの奥にあるのは、倉庫の扉だ。
程なく、倉庫の担当者が木箱を抱えて出て来た。
「毎度有難うございます。ご確認お願いします」
「こちらこそ、いつも有難うございます」
カウンターに木箱の中身を並べた。クルィーロと倉庫担当者の二人で、発注書にある品名、数量と現物が合っているか確認する。
株式会社カルタルス商会では、数年前から、呪符の制作用具や呪符用素材の調達案件が急増した。分業体制を整え、力なき民でも内職として雇う呪符工房が増えたからだ。
取扱量は年々増え、先月は、羊皮紙と銀の付けペンの新規発注が多かった。
魔獣の消し炭は充分な在庫がある。魔獣駆除業者や租借地の駐留部隊がアーテル共和国領で調達したからだ。戦前よりかなり安値で取引される。値崩れと言ってもいいくらいだが、内職する力なき民は気兼ねなく練習できるだろう。
魔哮砲戦争の終戦から間もなく八年。
魔獣駆除業者は戦時中から戦後数年間、空襲の焼跡に大量発生した魔獣の駆除に追われた。
現在は、それぞれの地域で戦前からの通常業務に携わる。
カウンターに並べられた水知樹の樹液も、絶光蝶の鱗粉も高品質だ。染料にもなる薬草類は、年々、この店が取扱う種類も量も増えてゆく。
あの時、素材屋プートニクが森林組合の保守点検作業員に同行を申し出てくれなければ、現在の復興はなかったかもしれない。
保守点検の作業員は、魔獣に襲われながらも、命懸けで養殖場へ続く道に新しい敷石を並べ直したのだ。
クルィーロは、問屋に心からの笑顔を向けた。
「凄く品質が良くて助かります」
「いえいえ、こちらこそ、今後ともご贔屓に」
受領証に署名して、木箱ごと【無尽袋】に詰め込んだ。
翌日。今度はアミトスチグマ王国の夏の都に出張した。
クルィーロは、定期連絡で総合商社パルンビナ株式会社の役員マリャーナ宅を訪問し、ファーキルにいつものようにデータを渡す。
データの複写を待つ間、世間話風に情報交換する。
「あぁ、そう言えば、アルトン・ガザ大陸南部でも、素人に手伝わせる呪符工房が増えましたね」
「そうなんだ? でも、SNSで見た王子様やアウェッラーナさんたちの様子だと、あっちの薬師さんたちはこっちの小学生以下なんだろう? 素人だったらもっとアレじゃないかな?」
クルィーロは、去年見た投稿を思い出して首を捻った。
ファーキルが微妙な顔になる。
「うーん……俺は力なき民なんで、魔法のことはあんまりわかりませんけど、呪符を書き写すだけだったら、キルクルス教徒でもできるっぽいんで大丈夫みたいですよ」
「あっ、そっか。魔法薬は、成分の抽出とか細かい魔力操作が要るから難しいけど、見本通りに書き写すだけだったら小学生でもできるもんな」
「戦時中に難民キャンプでしてた呪符作りの内職、小学生の参加者も多かったですからね」
ファーキルの一言で、戦時中の辛かった記憶がクルィーロの脳裡を駆け巡った。
「それで、【魔除け】の呪符には、キルクルス教徒の応募者が殺到するんですけど、それ以外の……家に貼る【防火】や【耐寒】とかの呪符は、募集掛けても、来るのが【霊性の鳩】しか使えない魔法使いばっかりなんだそうです」
「え? 何か問題ある?」
クルィーロは首を傾げた。
魔法使いなら、呪符作りの素人でも魔力の流れならわかる。書き損じにすぐ気付けるので、検品作業員も兼ねられて好都合の筈だ。
「どこの両輪の国でも大抵、力なき民の方が貧困率が高いですからね」
「あぁ、貧困対策のつもりで発注したのに年収高い魔法使いが応募したら意味ないよな」
クルィーロはすぐに合点がいった。
ファーキルが頷く。
「そうなんですよ」
「募集要項に『力なき民限定』って書いてないんだ?」
クルィーロが誰でも思いつく対策を口にすると、ファーキルは渋い顔になった。
「でも、それすると、やっかみで差別が酷くなるから、表向きの求人条件は『誰でもいい』じゃないとダメらしいんですよ」
「景気対策って難しいんだなぁ」
クルィーロはしみじみ頷いた。だが、すぐ疑問が浮かんだ。
「何で【魔除け】だけそんな大人気なんだ? 【耐寒】の方が簡単だよな?」
「あれが“聖典に記された善き業”だからですよ」
「えッ? キルクルス教の聖典って【耐寒】載ってないの? 教会は?」
クルィーロは、動画で目にしたキルクルス教の教会を思い返したが、流石に細部まではわからない。
ファーキルがパソコンを操作して、聖典の該当箇所を表示させる。
「聖典の一般信徒向けの部分に【魔除け】の呪文……って言っても共通語訳とかで、力ある言葉じゃないんですけど、まぁ、なんせ呪文が載ってるんですけど、教会の建物に付与する【耐寒】は星道記に書いてあるだけで、起動の呪文は載ってませんし、一般信徒はまず見ないんで」
「あぁ、自分がよく知ってるから……かぁ」
クルィーロは遠い目になった。
ファーキルが執成す顔で言う。
「それでも、呪符作りの内職で、力ある言葉に触れる人の裾野が広がった意義は大きいですよ」
「うん。キルクルス教徒の魔法使いに対する差別意識が少しでも薄れたら、星の標みたいな連中が減って、テロとか内戦とか……減るよな?」
クルィーロは期待を籠めて聞いた。
「それは……すぐには無理でしょうけど……でも、大聖堂が聖典を全文公開してから、それまで魔道具の輸入が全面禁止だった国でも解禁するとこが増えたんで、少しずつでも、意識が変わってきてると思いたいですね」
ファーキルは、総合商社パルンビナ株式会社の営業社員として、バルバツム連邦などキルクルス教圏の純粋な科学文明国の動向にも詳しい。
聖典の全文公開後、バルバツム連邦でも【魔除け】の呪符が持て囃され、輸入が解禁されるや否や敬虔な信徒が飛びついた。
それに目を付け、紛い物を売りつける詐欺や、本物でも、アルトン・ガザ大陸南部の犯罪組織が資金源にするなど、売れ筋商材につきものの経済犯も出現。急激な変化が、キルクルス教圏に熱狂と混乱を巻き起こしたのだ。
クルィーロは、彼の歯切れの悪い言葉から、その辺りの難しい空気を感じ取ってげんなりした。
☆デレヴィーナの森……「1917.組合との交渉」「1942.労働人口流動」参照
☆林業組合と共に森へ……「1946.森林へ至る道」~「1959.絶光蝶の養殖」参照
☆あっちの薬師さんたちはこっちの小学生以下……「3460.研修生の愚痴」「3461.商売ネタ情報」参照




