3709.内職の説明会
ヘリカ包装株式会社の社宅自治会で書記を務める中年女性が、集会室の壁際でスイッチを操作して明かりを消した。
ファーキルは書記が着席するのを待って、資料のスライドをプロジェクターで白壁に投影し、内職の説明を始める。
「呪符作りの作業は、魔力を持たない人でも途中までは手伝えます」
「途中とはどこまでですか? 全体の工程はどうなっていますか?」
早速、社宅の自治会長から質問が飛んだ。
ファーキルは、レーザーポインターで示しながら説明する。
「専用の道具と材料を使って、書き順を間違えずにお手本通りに書くところまでです。工程は……このスライドの通り、専用インクによる羊皮紙への書込み、仕上げの術、魔力充填の三工程に分かれます」
「私たち、無原罪の清き民にできるのは、書くところまでなんですね?」
社宅自治会の副会長が確認する。
「はい。書込みまででしたら、どなたでも可能です。戦時中、アミトスチグマ王国に設置された難民キャンプで、ネモラリス人の魔力を持たない小中学生も、呪符作りに携わっていました。仕上げの術は【編む葦切】学派の呪符職人でなければ掛けられませんが、魔力充填は、魔力さえあれば、素人でも幼児でも可能です」
社宅住民たちは薄暗い集会室で目を瞠ったが、自分のタブレット端末でメモを取る手は休めない。
「道具は銀製の付けペンです。扱いには慣れが必要ですので、まずは普通のインクで練習してから本番に当たって下さい」
「付けペンって映画でしか見たコトないし、アナログの筆記具自体、電子教科書になってから使わなくなったし、他のじゃダメですか?」
大学生が、鎮花茶の効果で気を取り直し、困惑の声を上げる。
ファーキルは道具の説明ページを表示させ、落ち着いた声で理由を語った。
「この銀のペン先とペン軸には、羊皮紙に魔力回路を刻み込む加工が施されています。同じインクを使っても、他の筆記具では魔力回路を定着できませんので、必ず、支給された銀のペンで書いて下さい」
社宅住民から溜息が漏れる。
ファーキルは構わず続けた。
「制作をお願いする【魔除け】の呪符は、キルクルス教の聖典に記された善き業ですので、あなた方の信仰上、何ら問題ありません」
「インクも、そちらが用意する特殊インクじゃないとダメなんですね?」
大学生が確認する。
「はい。専用の黒インクは魔法を掛けた瓶に入れてお渡ししますので、必ずそれを使って下さい。他のインクでは魔力回路を構築できません」
インクの材料が、魔獣の消し炭と鶏の生き血であることは伏せた。
普通の瓶では、鶏の生き血が異界から魔物を呼び寄せる扉になりかねないが、瓶に【保存】と【立入禁止】が掛かっていれば、腐敗や魔物の発生を防げるので安全だ。
「他の瓶に移すとインクが劣化してしまいますので、お渡しした瓶のままお使い下さい」
ファーキルは、慎重に情報を絞って注意事項を伝える。
社宅住民たちは、スライドを見詰めたまま頷いた。
「書き損じは、お渡しした羊皮紙百枚につき三枚まででしたら、コストで吸収しますが、それ以上は弁償していただきますので、充分に練習してから本番の材料で書いて下さい」
「あの……納品の〆切は何日なんでしょう?」
弁償と聞いて、社宅自治会で会計を務める中年女性が声を震わせた。
「特に設けていませんので、焦らず、ゆっくり作業して下さい」
「えッ?」
ヘリカ包装株式会社の一同から驚きの声が上がる。
「買取った呪符の販売先は、アーテル共和国内とバルバツム連邦などアルトン・ガザ大陸北部の科学文明国を予定しておりますが、急ぎの案件ではございません。当面は、アーテル市場での販売を優先します」
「えっと、じゃあ、極端な話、一枚仕上げるのに一年掛かっても大丈夫……みたいな?」
魔獣に襲われて足が不自由になった大学生が、すかさず質問した。
ファーキルは、他人事のような顔で答える。
「はい。一枚幾らの歩合給ですので、弊社はそれで構いません。ただ、それでは社宅の皆さんの食料事情が大変なことになるのではないかと」
「あッ……!」
「見本として呪符のコピー、練習用にトレーシングペーパー、赤インクと羊皮紙の切れ端をお渡しします。まずはそれで、鉛筆か何か慣れた筆記具で、手が形を覚えるまで練習して、それから銀の付けペンに普通の赤インクをつけて練習。書き順通りに間違いなく書けるようになってから、本番の羊皮紙と黒インクをお使い下さい」
「聖典の護符は、実際に使ったコトがありますけど、あれを手書きで……?」
社宅自治会の副会長が青褪める。
「本日、内職の契約を締結していただきましたら、来週、こちらへ【編む葦切】学派の職人を講師として派遣します。その際、改めて練習のコツをお聞き下さい」
「は、はい……!」
「最低でも一カ月は、鉛筆とトレーシングペーパーで練習、並行して銀の付けペンでも練習。二月末頃にもう一度、講師を派遣しますので、早くても、内職を始めるのは三月頭くらいになると思います」
「三月から内職を始めたとして、お給料の……食べ物のお支払いはいつ頃になるんですか?」
社宅の自治会長が、住民を代表して質問した。
フラクシヌス教の聖職者が配達する食料品を受取るより、キルクルス教徒に「聖典の護符」と呼ばれる【魔除け】の呪符を作る方が安全だと判断したのだろう。
……来るか来ないかわからない星の標より、餓死の方が怖いと思うけどな。
ファーキルは、彼らの判断に矛盾がある気がしたが、敢えて指摘せず、商談を続けた。
「週払いです。毎週金曜、弊社の子会社から呪符職人を派遣します。その場で仕上げの術を掛けて検品して、問題なければ、こちらの一覧表にある通り、食料品などを社員食堂に即時払いします」
彼らに払う呪符作りの手間賃は、アミトスチグマ王国の十分の一以下だが、呪符職人に護衛を付けるので、人件費が高くつく。
総合商社パルンビナ株式会社は当面の間、利益が見込めないが、それでも、経営陣がラゾールニクの提案に乗ったのは、ラキュス湖周辺地域の安全保障とアーテル市場の活性化を目指してのことだ。
今回の内職提携先は、アーテル共和国資本の地元企業だが、ここでの成果によっては、アーテル領内に展開するバルバツム連邦資本の外資系企業の社宅にも手を広げる。
内職で作らせた【魔除け】の呪符がアーテル本土で出回れば、それだけ輸送や移動の安全を確保できるようになる。
物流や労働者の安全を確保できれば、工場の稼働率が上がり、輸出品が増える。また、安全に買い物できるようになれば、国内経済も活性化される。
アーテル共和国のミェーフ大統領は、年内の国家再統合を目指すと意気込むが、これまでの経緯を考えれば、そうすんなりまとまるとは思えない。ラキュス・ラクリマリス王国との再統合実現までの繋ぎとして、必要な事業なのだ。
社宅の代表者から、魔道具作りの内職をすることへの反発が全く出ない。
「他にご質問などはございませんか?」
「はい。後で出るかもしれませんが」
「その時は、メールでお気軽にご相談下さい」
ファーキルが言うと、書記はパルンビナ株式会社の名刺に視線を落とした。
「こちらが、ヘリカ包装株式会社の社宅にお住いの皆様と弊社の内職一括契約書になります」
自治会長は、ファーキルに言われるまま【渡る白鳥】学派の術が施された契約書に署名した。
☆ラゾールニクの提案……「3674.記者の儲け話」参照




