3704.政治への影響
ミェーフ大統領の年頭挨拶の視聴を終え、ローク・ディアファネス大司教は大きく息を吐いた。
若い大司教の膝の上で、白黒のハチワレ猫があくびする。
「この演説、再統合反対派が聞いたら星の標の残党を嗾けそうですよね」
ロークは、膝の上で座り直したハチワレ猫に話し掛けた。
クレーヴェル教会の大司教執務室は、彼と猫二人きりだ。
猫は膝の上で身を捻って、監視対象の大司教を見上げた。
ロークは、パソコンのテキストエディタを起動して言う。
「大統領には護衛が付いていますから、大丈夫だとは思いますが」
このハチワレ猫は、ラキュス・ラクリマリス王国政府職員の使い魔だ。
ロークは、どこの部署のどんな職員か知らされなかったので、王国軍の極秘任務について慎重に情報を絞って聞いた。
シポーブニク大佐が率いる数人だけでは、一般の有権者全員を守ることなど不可能だ。国家再統合反対派に揺さぶりを掛けられ、再統合を望む「魔力も経済力もない無力な人々」が翻意しないとは限らない。
一番届けたいアーテル共和国内に居る国家再統合反対派には、ローク大司教の声が届かないのがもどかしかった。
「どうすればいいんでしょうね?」
猫が右手を執務机の端に掛け、左手でキーボードに触れる。
星の標はともかく、富裕層ならカネの匂いをさせれば動くのでは?
王国政府職員は、猫の手で器用に文字を入力した。
「礼拝で経済に絡めて教義を語れば、視聴した在外アーテル人のSNSなどを経由して、アーテルの財界が反応するかもしれない、と言うことですね?」
ハチワレ猫が無言で頷く。
ロークは考えを巡らせた。
……元手と危険性が少なくて、最大限の利益が見込めそうなコト……か。
呪符屋でアルバイトした経験が蘇る。
聖典に記された善き業の呪符は、大聖堂が聖典を全文公開して以来、アルトン・ガザ大陸北部の科学文明国で人気商品になった。
かつて、アルトン・ガザ大陸北部の科学大国から植民地支配を受けた南部の両輪の国は、【灯】や【魔除け】の呪符を増産して北部へ輸出。ここ数年で急激に外貨を稼ぎ、財政赤字が大幅に改善した国もある。
ファーキルが勤務する総合商社パルンビナ株式会社は、完成品の呪符を輸出するだけでなく、呪符の材料や呪符制作に必要な道具をアルトン・ガザ大陸南部の国々に輸出して手堅く利益を増やす。
ロークがクレーヴェル教会での礼拝で、「聖典に記された善き業」の呪符の作り方、無原罪の清き民でも呪符作りに携われること、魔法使いの協力を得られれば、実際に使えるものを自分の手で作れることを伝えれば、喜んで食いつくキルクルス教徒は少なくないだろう。
ランテルナ島民の協力体制を構築できれば、呪符作り関連の雇用が創出され、本土の住民への経済支援になる。
その呪符をアルトン・ガザ大陸北部の科学文明国に輸出すれば、かなりの外貨を稼げるだろう。
国内で消費しても、【魔除け】が土魚に対する防禦になり、少しでも死傷者を減らせるだろう。
作業員を護衛する魔獣駆除業者の人件費を捻出できず、停滞したインフラ復旧工事が少しでも進めば、それだけ、アーテル本土で暮らす力なき民の生存率が上がる筈だ。
材料と道具、【編む葦切】学派の職人の手配をどうするか。
実現には様々な壁が立ち塞がるだろう。だが、それも、フラクシヌス教団とパルンビナ株式会社の協力を取り付けられれば、何とかなりそうな気がする。
……それよりも、呪符作りの内職する人が、星の標に襲われないかが心配なんだよな。
呪符職人は、少なくとも、ゲンティウス店長なら引受けてくれるだろう。
アーテル本土の住民をあまり快く思わない彼だが、アーテル本土出身でルフス神学校を中退したスキーヌムをアルバイトとして雇い続ける。ファーキルの話によると、最近では彼に少しずつ魔法を教えているらしい。
スキーヌムには魔力があるから、本土での迫害に同情してそうするのかもしれないが、店長は人情に篤い人物だ。
情に訴えかければ、呪符作りの指導は無理でも、呪符の仕上げだけは引受けてくれるかもしれない。
……呪符の作り方だけなら、俺が実際に作るのを配信できるんだよな。
これは、火曜日に大聖堂公式チャンネルの生配信の方がいいだろう。
ランテルナ島の他の呪符職人も、フラクシヌス教団からの要請があれば、動いてくれる可能性がある。
……そっちはフィアールカさんに頼めばいいかな?
「クレーヴェル教会の礼拝動画は、我が国の信徒だけでなく、在外アーテル人にも視聴されています」
ロークは、使い魔を介してラキュス・ラクリマリス王国政府の職員に情報の一部を共有した。
ハチワレ猫がキーボードを操作して文字を入力する。
何故そう思うのです?
「ユアキャストのコメント、SNSでの礼拝動画の共有です。一部のアカウントは、プロフィールなどで出身地がわかりました」
ハチワレ猫がロークの膝の上で頷く。
それらのプロフィール欄は、出身地や現在地に何でも自由に書ける。
無料サービスには本人確認などないのをいいことに「海底」や「次元の狭間」など好き放題だ。「アーテル共和国」と書いた者が、本当にアーテル人である保証はない。
だが、嘘でもなんでも、発信者や共有者のプロフィール欄に「アーテル共和国」と書いてあれば、巡り巡って本物のアーテル人のアカウントに表示される可能性が上がるのだ。
「世界的に見て、湖南語話者は少数派です。その中でも、キルクルス教徒は更に少数派です」
使い魔の猫が首を縦に振って先を促す。
「キルクルス教団アーテル支部は終戦まで、星の標と組んだポデレス政権に逆らえませんでした。その為、在外アーテル人には、星の標の異端思想から逃れる為に国外へ逃れた人々が含まれています」
ミェーフ大統領もその一人と言える。
彼は国外で、在外アーテル人を味方につけて初めての大統領選を戦い、見事に当選を果たした。
「在外アーテル人の多くは、経済的な余裕のある層です。戦争難民として国外へ逃れた彼らが戻らないのは、魔獣を避ける為だけでなく、魔獣の害を取除くことを妨げる星の標を警戒しているからです」
猫がテキストファイルに文字を綴る。
星の標を何とかしない限り、アーテル難民が帰還しないと言うことですね。
彼らは、現地語より、湖南語の礼拝を好むが、本国の礼拝は信用できない、と。
「そうです。避難先で就労できた人はいいのですが、そうでない人は、経済的に厳しくなっているかもしれません」
猫は、画面を見詰めたまま頷いた。
「礼拝で【魔除け】の呪符は、無原罪の清き民でも制作の手伝いができると言えば、まず、在外アーテル人が反応して、SNSなどを通じてアーテル本土の富裕層にも伝わる筈です」
各方面への根回しは必要だが、在外アーテル人から本国の富裕層に伝わるまで時間が掛かる。
ロークは明日の礼拝で語る説教の草稿を作り始めた。




