3700.年初の農作業
珍しく、メドヴェージのおっさんが山裾の畑に来た。
「よぉ、坊主。朝から精が出るな」
「おっさん、どうしたんだ?」
「メドヴェージ、おはよう。いい所に来たな」
モーフは驚いて手を止めたが、ソルニャーク隊長は笑顔で迎えた。
……おっさんに会ったの、夏の結婚式以来だな。
去年の夏はとても暑く、十二月は雪が多かった。
年明けからはよく晴れて、一月最初の日曜の今日は雪がない。
他の連中は、滅多にここへ来ないおっさんをチラ見しただけで、すぐ教会の炊き出し用の葉物野菜を収穫する作業に戻った。
リストヴァー市東教区の山裾に作った畑は、毎年少しずつ開拓して、今ではモーフが地元に帰ってきた年の倍くらいの広さになった。
一応、雑木林と畑の間には、石を重ねた塀や木の柵を立ててある。鹿や猪など、畑を荒らす害獣はそこそこ防げるが、魔獣には通用しない。
魔獣を防げる強力な【魔除け】の敷石は、街に敷く分もまだまだ足りず、山の畑に回す分など到底ないらしい。
リストヴァー市民は、無原罪の清き民ばかりだ。魔装兵は巡回してくれるが、運悪く、救助が間に合わないことが偶にあった。
ソルニャーク隊長が畑の隅っこにある物置から農具を出し、おっさんに軍手と一緒にメモを握らせる。
メドヴェージのおっさんは運送会社の正社員だ。普段はトラックで荷物を運ぶ仕事で忙しい。紙束をジャンパーのポケットに捻じ込んで、軍手を着けながら、他の連中の作業をざっと見回した。
ソルニャーク隊長の傍にしゃがんで、葉物野菜の収穫を手伝い始める。
モーフは隣の畝で、冬採り品種の大根を引っこ抜いた。
畑に敷いた藁が黒い土と一緒に飛び散り、ミミズが飛び出す。畝の横に落ちたミミズは動かなかった。夏場ならすぐ土に戻る。死骸かと思ったが、よく見るとじわじわ動いているようだ。土を掛けて埋め戻してやった。
「おっさん、休みの日に畑仕事なんかして、あのセンセイみてぇにぶっ倒れたらどうすんだ?」
「おっ、坊主、心配してくれンのか? やっさしぃなぁ」
運転手のおっさんが、目尻の皺を一緒に旅した頃より深くして笑う。
ソルニャーク隊長が頷くと、おっさんは笑いを消して話し始めた。
「去年、メシ屋でリゴルネットの仕事の愚痴吐く奴にいっぱい会ってな」
「そんなの、ここでも学校でも、何人も言ってんぞ」
モーフも畑と工業高校の教室で聞いた。
近頃は寄ると触るとそんな話ばかりだ。
「隊長にリゴルネットの配達したことあるヤツの愚痴をまとめてもらったんだ」
「そんなの集めてどうすンです?」
モーフは冬採り大根の土を払う手を止めて、ソルニャーク隊長に聞いた。
「リゴルネットの労働条件があまりに酷ければ、抗議した方がいいからな。証言を集めているのだ」
「抗議……バルバツムの会社って、文句言って通じるンすか?」
モーフは、学び直し事業と工業高校で共通語も勉強したが、今も簡単な単語をほんの少ししか読めない。
「ローク君に頼むのだ」
戦時中、一緒に旅したローク兄ちゃんは凄く賢い。平和になった後、大聖堂のあるバンクシア共和国に留学したから、バルバツムの会社が相手でも、みんなの代わりに共通語で文句を言うくらい、お安い御用だろう。
モーフは納得して聞いた。
「みんなそんな酷いんスか?」
「酷ぇだろうがよ」
メドヴェージのおっさんが言うと、近くで農作業する連中がうんうん頷いた。
「ローク君は偶にこちらへ来るが」
「近い内に来るンすか?」
モーフは嬉しくなって、思わずソルニャーク隊長の先回りをした。
話の腰を折られた隊長が苦笑する。
「彼もなかなか忙しいからな。アゴーニさんに託けて届けてもらうのだ」
「あのおっさん、葬式以外でも動いてくれるんスか?」
アゴーニは湖の民で魔法使いの葬儀屋だが、戦時中、一緒に旅した仲間だ。
戦争が終わってからも、このリストヴァー市の西教会に来て、ラクエウス議員たちの葬式をした。
モーフは何年も顔を合わせていないが、葬儀屋のおっさんは長命人種だ。十年や二十年では様子が変わらないだろう。
メドヴェージのおっさんが、みんなで旅した頃より老けた顔で言う。
「こないだゼルノー市のメシ屋で会ったけどよ、仲間の好で動いてくれるっつってたぞ」
「おっさん、正社員なのに運送屋の社員食堂じゃなくて、ゼルノー市のメシ屋行くんだ?」
「隣町つっても、いちいちメシ食いに会社戻ってちゃ、間に合わねぇよ」
モーフは、トポリ空港でロークを出迎えた時のことを思い出して聞いた。
「でも、ローク兄ちゃんの教会ってクレーヴェルだろ? ネモラリス島にも部品運ぶのかよ?」
「いいや? 戦争終わってから行った一番遠くは、北はサカリーハ、南はグロムまでだ」
「他の島には行かねぇんだ?」
「ネモラリス島行きの部品は、トポリで他のトラックに積替えるんだ」
トポリ市にはピナが居る。
モーフは、また会いたいと思ったが、空港の屋台村でのことを思い出して胸の奥が痛んだ。
山裾の木立で何かが動いた。
不吉な予感に甘い感傷が吹き飛ぶ。
「たッ隊長ッ! あれッ! あそこッ!」
モーフが指差すと、ソルニャーク隊長とメドヴェージのおっさん、近くで作業する者たちが一斉にそちらを見た。
四つ足の魔獣の顔には、目が四つある。
モーフはネモラリス島の村で戦った時のことを思い出した。あの時は、村長に借りたライフルがあったが、今は丸腰だ。口の中が一瞬でカラカラに乾く。木立の中でこちらを窺う四眼狼の群から目を逸らさず、ゆっくり立ち上がった。
ソルニャーク隊長が、首に提げた警笛を力いっぱい鳴らす。
農作業に来た連中が一斉に畑を飛び出し、街へ走りだした。
モーフも大根を放り出し、みんなに続いて坂を駆け降りる。
ピッピッピィー! ピッピッピィー! ピッピッピィー!
隊長も、三回続けて鳴らしながら畑を出る。
先に行った連中の頭の上を越え、戦闘服姿の魔装兵が飛んできた。
モーフが足を緩めて振り向く。
魔法で飛ぶ緑髪の兵士二人は、何もない空で立ち止まった。何も持たない手で弓を引く真似をしながら、モーフが聞いたコトのない呪文を唱える。
魔力の塊が光輝く矢になって雑木林に次々と吸い込まれた。
弓を引いたのは一回だけなのに【光の矢】は何本も飛んだ。
四眼狼の群が、叩かれた犬のように甲高い悲鳴を上げて灰になる。
追いついた隊長がモーフの肩を叩いた。
「いいから走れ!」
「ッス!」
二人揃って【魔除け】の敷石に囲まれた広場へ逃げ込んだ。




