3699.報道と罪悪感
デルタ伍長が読むのは、ラキュス・ラクリマリス王国の全国紙「湖水日報」の記事だ。
外語大学卒で、元々語学に興味がある。アーテル共和国への派兵が決定してからは、ラキュス湖南岸地域の国々の公用語「湖南語」の習得に努めた。
兵役義務の訓練期間中から八年余り勉強を重ね、今では問題なく日常会話をこなせる。魔術用語や医学用語も、ある程度ならわかるようになった。
湖水日報は、主に湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信徒向けの日刊紙だ。
湖の民の多いネモラリス島を中心に発行するが、希望すれば、ネーニア島でも購読できる。
魔哮砲戦争の終戦後、ラキュス・ラクリマリス王国を構成する旧ネモラリス王国がインターネットを導入してからは、配信にも力を入れ始めた。自社サイトだけでなく、湖南語圏で事業展開する複数のポータルサイトでも読める。
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊に所属するデルタ伍長は、アーテル共和国の救援物資輸送任務に従事する自分と部下の命を守る為、湖南語での情報収集に多くの時間を費やしてきた。
タブレット端末に表示させたのは、印暦二二〇二年一月一日……現地時間で今日の午後に配信されたばかりの記事だ。
セプテントリオー・ラキュス・ネーニアが、ネモラリス島にあるクレーヴェル城で、新年の一般参賀に参加したと言う。
彼は、ラキュス・ラクリマリス王国の一翼を担う湖の民の王族だ。
写真には、バルコニーから国民に手を振る王族たちの左端に彼の姿があった。租借地の病院で目にしたのと同じ、やさしい微笑を一般参賀の国民に向ける。緑髪がかなり白くなり、写真の説明文がなければ見落としただろう。
セプテントリオーは保健省の医官として、旧ネモラリス領と租借地の公立病院を巡回診療したが、戦後七年余り不休で働き続けた結果、昨年四月に過労で倒れた。
同日、彼を性犯罪者に仕立て上げる虚偽の告発動画が公開されたこともあり、過労と心労、どちらが狭心症の原因かはっきりしない。
狭心症自体は、魔法薬による治療で完治したが、衰弱が続き、まだまだ予断を許さない体調が続くようだ。
デルタ伍長は、租借地の救急処置室で見た彼の働き振りを鮮明に思い出した。
緑髪の呪医は小柄な中年男性で、瀕死の重傷をでも易々と完治させられる。
彼が魔法で操る水が患部に触れると、魔獣の爪や牙で引き裂かれた肉が、瞬く間に復元し、何事もなかったかのように傷が塞がった。
科学の外科医なら、どんなに縫合の腕が良くても、傷が完全に消えるまで数カ月を要する。症状によっては別途、瘢痕治療が必要だ。
あの呪医は、王国軍の兵士が魔獣に食い千切られたバルバツム兵の手足を奪還すれば、ほんの数分で元通りに繋ぎ合わせた。
科学の医療でも、繋ぎ合わせるところまではできるだろう。だが、その手術には十時間以上掛かる上、後遺症が残り、完全に元の動きを取戻せる可能性は低い。
……あの呪医が倒れたのって、俺たちが余計な仕事増やしたせいだよな。
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊は、アーテル領内で救援物資輸送任務に当たる。
大抵の場合、魔獣に襲われ、ほぼ確実に死傷者を出した。
運良く、死者を出さずに済んでも、必ず誰かが負傷する。
魔獣による襲撃現場が租借地に面した道路上なら、ラキュス・ラクリマリス王国軍の駐留部隊は、租借地内の病院に搬送した。
アーテル人とバルバツム兵はキルクルス教徒だが、彼らは、租借地で働くフラクシヌス教徒の自国民と分け隔てなく扱う。
……国籍や信仰で差別しないの、フラクシヌス教の教義のお陰なんだろうな。
デルタ伍長は、租借地の病院で「ほぼ女神様」の呪医が向けたやわらかな微笑を思い出した。フラクシヌス教の祈りの詞の一節「我らすべて ひとしい ひとつの水の子」を改めて噛みしめる。
近年では、いかなる差別にも反対する立場を取るが、キルクルス教は、魔力の有無で人間を差別してきた歴史を抱える。長らく続いた聖典の閲覧制限と解釈のせいで、魔術のすべてを悪しき業と看做し、魔力を穢れた力として、それを持つ者を火炙りにするなど、苛烈な差別と迫害を繰返してきたのだ。
現在は人道主義に基づき、多くの国で「穢れた力を持つ者」にも、建前上は人権を認める。
魔法使いでも、高額な査証があれば、国教をキルクルス教と定める国々への入国を認められる。それでも、バルバツム連邦をはじめとするキルクルス教国での差別は根強かった。
バルバツム連邦軍は、魔獣に対して無防備だ。
デルタ伍長の提案で、アーテル共和国にある魔法使いの自治区ランテルナ島で、魔獣駆除業者を雇うようになってからは、幾分かマシになった。
だが、連邦政府は租借地の医療費だけでなく、魔獣駆除業者の人件費も全く出さない。
これも、ルスタートル司令官らの自腹で綱渡りが続く。寄付が足りない日は、護衛なしで任務に当たらざるを得ず、そんな時は死者が増えた。
……ホルィさんとか、魔法使いでもイイ人はいっぱい居るのになぁ。
バルバツム連邦でも一応、魔法文明圏出身の労働者や留学生、観光客などを受容れるが、魔法使いは様々な制約を課され、酷い差別に直面した。
一方、ランテルナ島の魔法使いたちは、支払いさえきちんとすれば、キルクルス教徒で無原罪の清き民のバルバツム兵とも、対等に商売してくれる。
ホルィは、最初に護衛契約を結んでくれた魔獣駆除業者だ。
後で知ったが、彼は旧王国時代には貴族で、ラキュス・ラクリマリス王国軍の騎士だったらしい。
バルバツム人の詐欺師が、虚偽の告発動画で王族のセプテントリオーを貶めて以来、ホルィも他の魔獣駆除業者も、連邦軍の依頼を受けてくれなくなった。
今のところ、ランテルナ島の店は、変わらず商売を続けてくれるのが救いだ。
虚偽の告発動画を投稿した一味は、投げ銭で荒稼ぎしたが、詐欺容疑で逮捕された。だが、魔法使いたちはその後も、バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊への協力を拒否し続ける。
緑髪の湖の民を治めるラキュス・ネーニア王家は、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる一族だ。湖水の王家出身の呪医は、性別に関係なく「ほぼ女神様」と崇められる。
呪医のセプテントリオー・ラキュス・ネーニアは、単なる王族ではなく、フラクシヌス教徒から篤い信仰を集める現人神なのだ。
その「ほぼ女神様」を性犯罪者に仕立て上げたバルバツム人への怒りは、簡単に治まりそうもなかった。
複数の記事をまとめると、セプテントリオーは、過労が原因で魔力基と魔力嚢が不安定な状態らしい。
魔力基は脳の下部に存在する魔力を制御する器官、魔力嚢は心臓の裏側にある魔力を生成する器官だ。
魔力基の不調で、魔力の出力調整などの制御が安定せず、いつもなら術を使わなくてもできる程度の魔力検知すらできない。
魔力嚢も不調で、魔力の生成が不安定だ。ほんの少し魔法を使っただけでも、身体に負荷が掛かりやすく、疲労困憊して、魔力量の回復に数日を要した。
魔力が枯渇すれば昏倒し、場合によっては命に関わる。
湖水日報の記事によると、王族である彼は、魔力基と魔力嚢の回復が中途半端な状態では、別の危険も発生するらしい。
本人の意思とは無関係に膨大な魔力が一気に放出され、最悪の場合、本人の身体が崩壊、辺り一帯を破壊し尽くしてしまう可能性があると言う。
呪医としての業務の再開は、全く目途が立たないらしい。
……俺たちのせい……だよな。
デルタ伍長は、言い知れぬ罪悪感の中で眠りに落ちた。




