3698.命の安い国民
デルタ伍長は久々にバルバツム連邦への帰郷を果たし、田舎町の懐かしい我が家で家族と共に新年の食卓を囲んだ。
気が緩んだのか、満腹と時差で眠気を催した。
「ちょっと昼寝していい?」
「あぁ、ゴメンね。疲れてるわよね」
「自分ちなんだから、遠慮しなくていいのよ」
母と祖母が、少し寂しそうな微笑で食堂兼台所から送り出す。
自室に入るなり、ベッドに潜り込んだ。
布団がふかふかだ。母は息子の不在中も掃除を欠かさなかったらしい。
……母さんと祖母ちゃん、俺が魔獣に食われても、毎日掃除しそうだな。
やわらかな掛け布団に頬を寄せ、デルタ伍長は微睡みの中でぼんやり考えた。
兵役義務でバルバツム連邦陸軍に入隊。当初は半年の訓練後、連邦内で勤務すると説明された。
だが、実際には、バルバツム連邦内どころか、アルトン・ガザ大陸を出て、チヌカルクル・ノチウ大陸西部にあるアーテル共和国に派遣。魔哮砲戦争が終結したとは言え、同国本土には無数の魔獣が跋扈する。市街地でも、この世ならざる存在に脅かされた。
多くの同僚や上官、現地人が目の前で魔獣に捕食され、凄惨な最期を迎える。姿のない魔物に丸呑みにされ、文字通りの意味で姿を消す者まで居た。
デルタ伍長も例に漏れず、何度も魔獣に襲われ、ギリギリのところで死地を潜り抜けてきた。
重傷を負っても五体満足で帰郷できたのは、アーテル共和国領に居た魔法使いたちのお陰だ。
ラキュス・ラクリマリス王国軍の租借地駐留部隊、あるいはランテルナ島で雇った魔獣駆除業者が魔獣を駆除。租借地の病院で、魔法による高度な治療を受けられたからだ。
バルバツム連邦は科学の先進国だが、祖国の医療では助からなかっただろう。
魔法使いの医療者は、骨折、手足の切断、内臓の損傷などの重傷例も、患者の息さえあれば、数秒、遅くとも一時間以内に完治させた。
治癒魔法で魔力を流し込まれた無原罪の清き民は、衰弱して自力でナースコールすらできなくなるが、その酷い倦怠感も数日で回復する。
連邦政府は、租借地で掛かった医療費を全く出さない。
ルスタートル司令官や退役軍人会、兵士の身内や友人知人、篤志家からの寄付で賄うしかなかった。
どうにか支払いを踏み倒さずに済んだのは、そんな高度医療でも、銀製品や魔法薬で物納でき、祖国でも調達できる魔法薬素材が安価だからだ。
……もし、こっちの病院であんな治療を受けたら、一体幾ら掛かるんだろう?
バルバツム連邦では、最先端の高度医療を受けられるが、それは、富裕層に限られる。
デルタ伍長のような庶民の家庭は、莫大な借金を負って破産するか、そもそも救急搬送を拒否されるだろう。
支払い能力のない患者には、連邦政府が医療費を全額、あるいは一部を肩代わりする制度もあるが、審査が厳しく、誰にでも適用されるワケではない。
デルタ伍長の祖国では、命にわかりやすい値札が付くのだ。
……兵役義務も、カネ払えば回避できるんだよなぁ。
富裕層の子弟は大抵、デルタ伍長の年収の何倍もの額を国防総省に支払って、兵役義務を回避する。
男子の一部は、武官としての名誉を得る為に敢えて兵役義務に参加し、職業軍人になる者も居るが、少数派だ。
宗教上の理由が認められれば、兵役を免れるのにカネが掛からない。神学生や家族に聖職者が居る者、一般信徒でも聖典読書会派など非戦派のキルクルス教徒は、実家の資産状況に関わりなく、堂々と兵役を忌避した。
兵役忌避の為だけに神学校を目指す者や、子供が生まれてすぐ聖典読書会派に入る家庭まであるくらいだ。
デルタ伍長の家族も親戚もキルクルス教徒だが、日曜礼拝で近所の教会に通うだけで、特定の宗派には所属していない。身内に聖職者も神学生も居なかった。
……これって、信仰に基づく差別じゃないのか?
キルクルス教徒の中でも、聖職者の身内や神学生、特定の宗派に属する者だけが命の危険から守られる。連邦政府が「彼らの命は、異教徒や、他のキルクルス教徒より価値が上だ」と言うにひとしい。
デルタ伍長はふと、フラクシヌス教の祈りの詞の一節を思い出した。
……我らすべて ひとしい ひとつの水の子……だっけ?
湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信徒は、水を必要とするこの世の生き物すべてを仲間と看做す。聖職者は布教活動せず、ラキュス湖の畔に居合わせる者すべてを乾きや魔獣の脅威から守る。
……湖の女神の聖職者だから、アーテルの避難所に給水支援を続けてたのか。
デルタ伍長の頭の中で、彼らの行動と信仰が結びついた。
目が冴えて、ベッドに寝転んだままタブレット端末を弄る。
今月……印暦二二〇二年一月十日からは、フラクシヌス教団とその信徒会に属する魔法戦士が、給水支援だけでなく、食料品など救援物資の輸送を担う。
ラキュス・ラクリマリス王国政府は、アーテル共和国政府を通じてバルバツム連邦陸軍にも伝達した。
同王国のローク・ディアファネス大司教は、キルクルス教団と世界各地のキルクルス教系慈善団体にその件を連絡。教団と慈善団体は、アーテル向けの救援物資を隣国のラニスタ共和国に集積し、バルバツム連邦での集積をやめると決定した。
連邦領の倉庫などで、異端者の星の標や密売組織などが、救援物資の医薬品を鎮痛剤系違法薬物にすり替える事件が相次いだせいだ。
それでも、デルタ伍長の所属する連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊は、アーテル領から撤収する予定がない。
デュクス大統領と連邦議員の多くは、聖典読書会派が主要な支持基盤だ。アーテル北部の経済特区に進出した企業からも、多額の献金を受ける。また、軍需産業界も、新兵器開発とその実験の為に資金援助を惜しまない。
既に数万人もの「命の安い国民」が犠牲になったが、兵役義務を逃れられる者たちや、それをカネ儲けに利用する者たちは、何の痛痒も感じないのだ。
魔獣に捕食された兵士の遺族が中心となり、アーテル派兵反対デモを繰返すが、連邦政府は、彼らの主張に耳を傾けるフリをするだけで何ひとつ行動を変えない。
デルタ伍長は、ブックマークした湖南語のニュースを読み返した。




