3697.故郷での新年
デルタ伍長にしては珍しく、二二〇二年の元日はバルバツム連邦に帰省できた。
昨夏、ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者に乞われ、通訳としてルブラ王国領ミクランテラ島にある魔法薬学会に赴いた件以来、デルタ伍長は連邦軍内で腫れ物扱いだ。
この帰省も、微妙な立場の彼に対する配慮のような気がしたが、敢えて確認しなかった。
デルタ伍長の故郷は、連邦南部に位置するマクルラ共和国のリラシナ市郊外にある小さな田舎町だ。
母と祖母が、玄関前で小刻みに足踏みしながら待っていた。
デルタ伍長は父が運転する車を降りて、極力何でもないような顔で言う。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
母と祖母が両側からデルタを抱きしめる。
ビデオ通話で毎日、お互いの息災を知っていても、直接顔を合わせた途端、何故か涙が滲んだ。
海から届く冬の風が砂埃を舞い上げる。
母と祖母のぬくもりで、頬に触れる風の冷たさが際立った。
母が手を放し、先に立って入りながら言う。
「新年のご馳走、たくさん用意したから、遠慮しないでおかわりしてね」
「うん……って言っても、もう育ちざかりじゃないから程々にしとくよ」
デルタ伍長が言うと、祖母が驚いた顔で見上げた。
食卓では、姉夫婦と幼い甥と姪が待っていた。
子供たちが声を揃えて叔父を迎える。
「おかえりなさーい」
「ただいまー。いい子にしてたか?」
「うん!」
イイ笑顔で答えた子供たちの隣で、姉夫婦が苦笑する。
七面鳥のパイを手際よく切り分けながら、祖母がデルタ伍長に聞いた。
「今年こそ、転職するんでしょ? 通訳士とか、翻訳家とか」
「うーん……このまま辞めさせてくれたらいいんだけどなぁ」
デルタ伍長は頭を掻きながら座った。
姉が呆れた声で聞く。
「えぇッ? 辞表、まだ保留されてるの?」
「提出して受理されたら、法律上は、一カ月後には辞めていいんだけど」
義兄が渋い顔で呟いた。
デルタ伍長は、父から珈琲の入ったマグカップを受取って言う。
「それは、普通のお仕事の場合ですね」
「軍は違うの?」
母がスープを装う手を止めて、怯えた顔で聞く。
「違うみたいっていうか、その“受理”を保留されてるんだ」
「受取った癖に受取らなかったことにしてるのか?」
「無茶苦茶じゃないか」
父と義兄が眉を吊り上げる。
連邦政府に逆らう力などなくても、家族が自分の為に怒ってくれることが嬉しかった。
祖母がみんなに七面鳥のパイを行き渡らせる。
「さぁさ。冷めない内に召し上がれ」
「アーテルって何が流行ってるの?」
小学生の甥が瞳を輝かせて聞く。
デルタ伍長は、難しい質問に苦笑した。
「うーん……わかんないなぁ……?」
「えぇ? 何で? テレビとか見ないの?」
甥っ子が有り得ないものを見る目を叔父のデルタ伍長に向けた。
デルタ伍長は大袈裟に肩を竦めてみせる。
「基地にはテレビがないんだよ」
「えッ? ニュースとかも見ないの?」
甥っ子は予想通りに驚いた。
「ニュースは端末で読んでるよ。あっ、今日はアーテルの隣の国で新年コンサートがあるんだってさ」
「隣の国って?」
「ラキュス・ラクリマリス王国って言う魔法の王国だよ。基本的に異教徒の国だけど、キルクルス教の信仰も認めてるから、ちゃんと教会があるし、大聖堂から司祭様が何人も派遣されて、宣教活動してるんだ」
「スゲェ……魔法の国の動画ニュースってある?」
甥っ子が瞳を輝かせた。
「あるよ」
デルタ伍長はフォークを置いて、タブレット端末を操作した。
行儀悪いが、両親も祖母も何も言わない。高校生の頃なら、父に一喝され、祖母に手を叩かれただろう。
「えぇっと……あった。クレーヴェル教会のコンサートだって」
デルタ伍長は、湖南経済新聞の公式サイトから動画を開き、端末を甥に向けた。
小学生の甥っ子が首を傾げた。
「これってホントに外国? 近所の教会とあんま変わんないよね?」
「そりゃ、教会の内装なんてどこも似たようなモンだろ」
父と義兄が揃って苦笑する。
演奏が始まり、何か言い掛けた祖母は、パンを口に入れた。
編成は吹奏楽団で、湖南語で歌う聖歌隊が加わり、荘厳な曲が切れ目なく演奏される。久々に顔を揃えた一家は、耳慣れない曲を聴きつつ、新年のご馳走を口に運んだ。
新年に家族と集まって、笑顔と他愛ないお喋りを交わすのは、一体、何年振りになるか。デルタ伍長は数えるのをやめて曲に耳を傾けた。
「あれッ……! これって聖歌?」
姉がデルタ伍長の端末に顔を向けた。両親と祖母が無言で頷く。
知らない旋律に続いて演奏された聖歌は、やけに鮮烈に響いた。
耳に馴染みのある旋律に乗せて、共通語で聖歌の歌唱が加わる。
曲が終わると、大司教の衣を纏った青年が説教壇に上がった。
甥っ子が小さな画面に目を凝らし、デルタ伍長を上目遣いに見る。
「この人って、この教会の大司教様? 何て言ってんの?」
「善良なる信徒の皆様、あけましておめでとうございます、だってさ」
「これって何語?」
「アーテルと同じ湖南語だよ」
「ふぅーん?」
小学生の甥は頷いたが、何もわかっていない顔だ。
姉も興味津々で聞く。
「先に演奏してたのって、この国の国歌とか、新年を祝う民謡か何かなの?」
「えーっと、この大司教様が言うには、旧王国時代に制定された神様たちの祝日をお祝いする用の接続曲らしいよ」
「旧王国時代って何時代?」
デルタ伍長は、甥っ子の学習意欲に感心して答えた。
「ラキュス・ラクリマリス王国は、少し前まで共和制で、民主主義だったんだけど、今回の戦争が終わってから王政に戻したんだ。民主主義になる前の王政の時代が旧王国時代」
デルタ伍長はアーテル共和国に派遣されてから、娯楽小説「冒険者カクタケア」で知識を仕入れ、アーテル共和国政府やラキュス・ラクリマリス王国政府の公式サイトなどで、現実の歴史を確認した。
祖母が呆れる。
「湖南語だけじゃなくて、そんなコトまで勉強したのかい?」
「うん……だって、王国軍の租借地駐留部隊の機嫌損ねたら、怪物から助けてくれなくなるかもしれないじゃないか。それで、地雷踏まないように……失礼がないように色々調べたんだよ」
デルタ伍長は何となく、咎められた心地になり、言い訳めいた言葉を並べた。
「余計なコトまで勉強するから、便利に使われて、辞めさせてもらえないんじゃないか?」
父も苦言を呈する。
痛い所を突かれ、デルタ伍長は返事に詰まった。少し考えて、後付けの理由をつらつら並べる。
「えぇっ……うーん……いや、でも……租借地のお医者さんと薬剤師さんに顔を覚えられたお陰で、今までずっと助かってたんだ。王子様にまで顔を覚えられて、例の会議でも普通に話し掛けられたし、そう言う場で失礼なコトしたら、最悪、命がヤバくなるだろ?」
「外国の王子様と直接お話する機会なんて、普通はないわよねぇ」
姉がうっとりする。
義兄はそんな姉に微妙な顔を向けた。
☆姉夫婦と幼い甥と姪……「3202.兵の遣り甲斐」参照
☆王子様にまで顔を覚えられて……「3247.お喋りに夢中」参照
☆例の会議……「3543.最大の関心事」「3549.飛び交う批難」参照




