3694.演説のBGM
「あのー……午後からの予定は、実行しても大丈夫なのでしょうか?」
寝台に横たわったセプテントリオーは、主治医に恐る恐る聞いた。
元日に呼出された呪医オレニョノクはイヤな顔ひとつせず応じる。
「ご予定とは、どんな内容でしょう?」
セプテントリオーは、視線に期待と不安を籠めて答えた。
「会議室で……動画を閲覧します」
「その程度でしたら、問題ないかと存じます」
「観てもいいんですね?」
思わず声が弾んだ。
「お召し物は、ご負担の少ないこの部屋着で、横たわってご覧になることをお勧め致します」
クレーヴェル城の居館に与えられたこの私室には、インターネット回線がない。
行政棟で閲覧する予定だが、こんなゆるい部屋着で会議室に入るのは、流石に抵抗がある。恥ずかしいが、背に腹は代えられなかった。
「……わかりました」
「くれぐれもご無理なさいませんよう」
呪医オレニョノクは一礼して、一般参賀の救護所に戻った。
女官たちの運んできた昼食は、平素より少し豪華だ。セプテントリオーは女官と近衛兵に見守られながら、残さず食べた。
昼食後、近衛兵テーメニとルガビークが先に出て、会議室に簡易ベッドなどを用意する。
セプテントリオーは、近衛兵ラシーハが【操水】で浮かべた水塊に乗って、行政棟へ移動した。
正月休みなだけあって、事務室はどこも灯がない。
バルコニーのある三階にはそれなりに人が居たが、二階の廊下には事務官の姿がなく、警備兵が巡回するだけだ。
「あけましておめでとうございます」
会議室に入ると、軍服姿の陸の民二人が、部屋着姿で水塊に横たわるセプテントリオーを明るい笑顔で迎えた。金髪のラゾールニク少佐と赤毛で大柄な魔装兵だ。
「おめでとうございます。二人とも、今日はよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ……お手柔らかにお願いします」
ラゾールニク少佐がニヤリと笑う。
近衛兵ラシーハが力ある言葉で水塊に命じ、セプテントリオーを簡易ベッドに移した。アルボル女官長がそっと羽根布団を掛ける。
ラゾールニク少佐と赤毛の魔装兵は、簡易ベッドの傍らに設置した低い木製の台に大型の画面とデスクトップパソコンを据えた。
アルボル女官長と衛生兵が、ベッドの傍らに控えて作業を見守る。
セプテントリオー付きの近衛兵四人は、扉脇や窓際、ベッドの傍に分かれて警備を続けた。
ラゾールニク少佐がパソコンを操作して、いつになく丁寧な口調で聞いた。
「湖南経済新聞の動画ニュースでございます。本日は、政財界の年頭挨拶を中心に五十八本上がっておりますが、どれをご覧になられますか?」
「全部でどのくらい時間が掛かりますか?」
「とんでもない! 一本か二本でお願いします」
アルボル女官長がすかさず釘を刺した。
「どれをご覧になられますか?」
ラゾールニク少佐は笑顔を崩さないが、露草色の眼は笑っていない。
どうやら彼も、手短に済ませたいらしい。
「政財界の年頭挨拶は昨年末の録画を本日公開、最新の八本は本日の撮影です」
赤毛の魔装兵が付け加えた。彼の声には聞き覚えがある。
……確か、魔獣駆除業者に変装して、ルフスの病院で護衛してくれた兵だな。
「えぇっと……最新の二本でお願いします」
「クレーヴェル城の一般参賀とミェーフ大統領の年頭挨拶ですね」
「それでお願いします」
ラゾールニク少佐に確認され、セプテントリオーは簡易ベッドに横たわったまま頷いた。
……そう言えば、長い間、シポーブニク大佐を見ていないな。
ミェーフ大統領の護衛を命じたのは、セプテントリオーだ。
印暦二二〇〇年元日、王都ラクリマリスで国家再統合記念式典に参列したミェーフ大統領を狙ったテロが発生した。
事件を受け、近衛兵セルペンチニートの厄介払いを兼ねて、シポーブニク大佐に命じたのだ。
今年は印暦二二〇二年。
命じた当時は、こんな長期任務になるとは思わなかった。
シポーブニク大佐は、ミェーフ大統領警護任務の責任者だ。アーテル共和国で昨夏、実施された大統領選に際しては、人員を増強しただろう。
セプテントリオーは、この件に関する情報を断片的にしか得られなかった。
ひとまず、ミェーフ大統領が今日……印暦二二〇二年の元日まで生き延びられたことに安堵し、この場に居ない大佐に感謝する。
まず、一本目の動画を再生してもらう。
赤毛の魔装兵が、パソコンを操作した。
記者会見場で、ミェーフ大統領が年頭挨拶を始める。
「日月星が蒼穹巡り、知の灯に照らされて、本日から印暦二二〇二年が始まりました。謹んで、新しい一年の到来をお慶び申し上げます」
ピアノの音色が流れ、記者席がざわついた。
会議室でニュース動画を視聴するセプテントリオーも驚く。
「あれっ? 普通は演説にBGMなんて付けませんよね?」
赤毛の魔装兵が動画を一時停止した。
ラゾールニク少佐が答える。
「反対派の都合のいいように編集したものを拡散されない為の措置です」
「動画の編集とは、そのようなことまでできるのですか?」
門外漢のセプテントリオーは、信じられない思いで質問した。
情報将校のラゾールニク少佐が、何でもないことのように頷く。
「一部の切貼りだけでなく、前後の入替えなどもお手の物です。なまじ音声が本物なだけに、より一層、悪質と言えます」
セプテントリオーは、改めて画面を見た。
ラゾールニク少佐がしれっと付け加える。
「……と、言うことをミェーフ大統領にお伝えして、BGMを提案しました」
「ラゾールニクさんが?」
金髪の情報将校に驚いた目を向ける。
ラゾールニク少佐は恭しく一礼した。
「はい。ミェーフ大統領も了承済みで、実行はシポーブニク大佐です」
「……そうですか。ところで、この曲は?」
「神々の祝日の為の聖歌メドレーで、演奏はスニェーグさん。生配信ではなく、録音の再生です」
ラゾールニク少佐が澱みなく答える。
久々に懐かしい呼称が耳に触れた。セプテントリオーは、白髪のピアノ奏者の演奏と、彼の平和を目指す働き掛けの数々が同時に甦り、言葉が出なかった。
何か言わなければと焦り、言わずもがななことを聞く。
「アーテル政府の記者会見で、フラクシヌス教の神々の賛歌を流して大丈夫だったのですか?」
「アーテルのキルクルス教徒は常命人種ばかりですからね。彼らはフラクシヌス教絡みの曲など何ひとつ知りませんよ」
ラゾールニク少佐はニヤリと笑う。
セプテントリオーは、俄かには信じられなかった。
「本当に誰一人として知る者がないのですか?」
「ユアキャストなどで、敢えて閲覧する者は、再統合賛成派でしょう」
「成程……」
セプテントリオーが納得したところで、赤毛の魔装兵が動画の再生を再開した。
☆ルフスの病院で護衛した兵……「2398.都立中央病院」~「2401.あらゆる欠乏」参照
☆ミェーフ大統領の護衛を命じた……「2968.大統領の警護」参照
☆ミェーフ大統領を狙ったテロ……「2940.救護班を指揮」「2941.善意への対価」「2953.テロ事件概要」参照
☆この件に関する情報……「3477.名指しの公務」参照




