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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第七十二章 平和の譜

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3692.初めての半休

 印暦二二〇二年一月一日の勤務は、午前中で終わった。

 午後からは、部下の薬師(くすし)ソビョーノクに引継いで帰宅する。

 ほんの数年前まで、元日に半休を取得できるなど、夢にも思わなかった。


 「あら、アウェッラーナ薬師(せんせい)、お帰りですか?」

 トイレ帰りの入院患者が、廊下で私服姿のアウェッラーナと行き会って驚く。

 主任薬師のアウェッラーナは、愛想笑いで応じた。

 「えぇ。部下が優秀なので、安心して任せられます」

 「そうよねぇ。新しい人、二人ともお若いのに優秀ですもんねぇ」


 この老婦人は、持病が悪化する度に入院する常連だ。

 戦時中は治療薬が入手できず、アウェッラーナがトポリ市立東市民病院に採用された直後は、かなり容態が悪かった。長期入院を経て無事に退院できたが、その後も、数カ月に一回程度、数日から数週間は入院する。


 「勿論(もちろん)、アウェッラーナ薬師(せんせい)にも感謝してますよ。薬師(せんせい)のお陰であの時死なずに済みましたし、寛解(かんかい)が長くなって、悪化しても戦前より入院が短くなりましたし、今年もよろしくお願いします」

 「いえいえ、こちらこそ……今年はお孫さんが産まれますし、お大事になさって下さいね」

 「えぇ。孫が大きくなって、曾孫の顔を見るまで頑張りますよ」

 老婦人は車輪付きの点滴棒を連れ、上機嫌で病室に戻った。


 半休とは言え、元日に帰宅できるのは、アウェッラーナがトポリ市立東市民病院に採用されて以来、初めてのことだ。例年は、年末年始もずっと入院患者や救急外来の対応で、ほぼ帰宅できなかった。


 部下のソビョーノクは、薬科大生の頃に研修生として受容れた奨学生だ。正式採用後、病院の実務を通じてどんどん腕を上げ、任せられることが増えた。

 もう一人の部下、ソーフカも中堅の薬師(くすし)として日々成長する。


 薬師三人体制に加え、脳解毒薬の褒賞として人事を願った結果、昨春には【青き片翼】学派の呪医リーリヤが配属。アウェッラーナの負担は、終戦直後とは比べ物にならないくらい減った。



 帰宅後、兄のアビエースと共に昼食を共にする。

 新年料理の魚を食卓の真ん中に据え、二人で取り分けた。

 大きな魚にスパイスをまぶしてこんがり焼いたもので、パンとスープはどちらも緑青(ろくしょう)をたっぷり入れた湖の民用だ。


 兄が目尻に笑い皺を寄せて言う。

 「去年最後の網が豊漁でな」

 「何か特別なコトしたの?」

 「去年の春、沖に漁礁を増やしたんだ」

 「その効果が出たのね」

 アウェッラーナも漁師の娘だ。その一言で合点がいった。


 「漁協のみんなも喜んでたよ。今年、もうひとつ増やすか相談中だ」

 「餌が足りるといいんだけど」

 「何年か前、レサルーブの森の沼沢地に濡首獣と多刺蟹の養殖場ができたろ」

 「あぁ、半世紀の内乱中に埋め立てられたとこを復旧したとか何とか、患者さんが言ってたわね」

 「それだけじゃなくて、新規の養殖場も幾つかできてな。雨が降ると養殖場の養分が湖に流れ出て、プランクトンが増えて、水草もよく育ってるんだ」

 「へぇー……陸の養殖が湖にもいい影響を与えてるのね」

 アウェッラーナは戦時中、アガロート養殖沼を見学した記憶が甦った。

 兄アビエースもそうで、地元民と釣に行った思い出話に花を咲かせる。


 ……後何回、兄さんとお正月を迎えられるんだろう?


 兄のアビエースは常命人種で、毎年老いてゆく。既に老齢に差し掛かり、高血圧の薬を常用する身だ。何かの弾みで脳梗塞や心筋梗塞を発症し、急死する危険を抱える。

 アウェッラーナは長命人種で、外見は童顔と相俟って、中学生か高校生くらいにしか見えない。特に持病などもなく、何事もなければ、今後も七百年余りは生きられる。


 アウェッラーナは、そう遠くない別れの日を意識から追いやって、目の前の焼菓子に集中した。


 食後のデザートは、秦皮(トネリコ)の甘い樹液を混ぜた焼菓子だ。

 何種類もある祝い菓子のひとつで、主神フラクシヌスの信者が新年に食べるものだが、兄がトポリ漁協の仲間からお裾分けされた。

 パンとクッキーの中間くらいで、食感が軽く、少し濃い目に入れた紅茶とよく合う。


 湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信者向けの新年菓子は、白い雛菊(ヒナギク)の葉の粉末を生地に練り込んだクッキーだ。表面に花弁を添えて焼き上げる。

 こちらは日持ちするので、明日用に取っておく。


 「それにしても、また、こうしてラーナと一緒に新年を過ごせるとは思わなかったよ。病院は去年まで忙しそうだったもんなぁ」

 「忙しいったって、私はセプテントリオー呪医(せんせい)程じゃないけどね」

 アウェッラーナは苦笑した。

 市民病院では薬師(くすし)の業務だけで済むが、呪医セプテントリオーは病院業務だけでなく、王族としての公務や保健省の業務も担う。多忙を極め、戦後七年余り三百六十五連勤が続いた結果、過労で倒れたのだ。


 「あの呪医(せんせい)、まだお元気にならないのかな?」

 「後輩のソーフカさんが、ニュースをずっと追いかけてるんだけど、全然そんな話ないみたいね」

 「ソーフカ……あぁ、あの……王室ファンの」

 兄が、薬師ソーフカが何者か思い出した顔になる。


 「そう。郷土資料館の入館者十万人目の記事を教えてくれた人」

 「あれはびっくりしたなぁ。まさかアマナちゃんが十万人目になるとは」

 兄が目尻の皺を深くする。

 「そうよねぇ。水の縁(えにし)って凄いわよね」

 「あの呪医(せんせい)の実家に十万人もお客が行ったのもびっくりだ」

 「記事でしか見てないけど、すっごいお屋敷よね」

 アウェッラーナはそのニュースからしばらく経った頃、新聞記事を切抜いたものを兄に見せてもらったのを思い出した。


 兄がしみじみ言う。

 「なんせ世が世なら公爵様だもんなぁ。今も王族だけど」

 「一緒に旅してた頃は、全然そんな感じしなかったけど」

 「そうだなぁ……呪医(せんせい)、今日はどうしてるんだろうな?」


 「調べてみよっか」

 アウェッラーナも一応、私物の端末を持っている。

 検索してみたが、呪医セプテントリオー関連の記事はみつからなかった。


 ポータルサイトには、新年のニュースがどんどん流れて来る。二人は、アーテル共和国のミェーフ大統領が年頭の挨拶をする動画ニュースをみつけた。

☆ソビョーノク……「2918.千年茸奨学生」参照

☆呪医リーリヤ……「3393.短信での報道」参照

☆アガロート養殖沼……「1801.養殖沼の見学」~「1805.食用蛙と大鯰」参照

☆地元民と釣……「1815.流入する棄民」参照

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◆野茨の環シリーズ 設定資料◆
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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