3683.懐かしい音楽
印暦二二〇二年一月一日。
今年は、ラキュス・ラクリマリス王国中の教会や神殿で特別な曲が演奏された。
リストヴァー市の東教会でも、高校生たちの楽器を奏でる音が、扉を開け放たれた礼拝堂から外へ流れる。
教会の庭は、着膨れた信徒がギュウギュウ詰めだ。
モーフと母ちゃんは、一張羅のコートを着て教会前の道で立ち見する。
二人は戦後の学び直し事業のお陰で、字が読めるようになった。
先月、教会の掲示板に貼り出された「新年コンサート」の文字に心を躍らせて、今朝は時間丁度に来たが、礼拝堂どころか庭にすら入れない。
この寒い中、みんながいつから並んで礼拝堂に入ったか、モーフは想像もつかなかった。
……あれっ? これ、聴いたコトあるな。
モーフは耳を澄ませながら記憶を手繰った。
戦時中、ピアノの爺さんが小さいピアノで弾いて、ネモラリス島の東の端っこにある大きな街では、地元の高校生たちが演奏した長い曲だ。
ピナたちと一緒にトラックで知らない街を巡った旅の日々は、すっかり遠くなった。旋律に乗せて、あの懐かしい日々が鮮やかに蘇る。
頭の中で、真っ白な髪の爺さんがピアノで弾くのを聴いた時の感動と、今の演奏の感動が重なった。身体の奥がじんわり温かくなる。
モーフは何ひとつ楽器を使えない。
長い曲をこんなに大勢で一斉にやって、一人も間違えずに奏でられるのは、何かの魔法ではないかとさえ思う。
ピアノの爺さんは魔法使いだが、リストヴァー市の高校生たちはみんなキルクルス教徒だ。
あの爺さんもそうだが、一体、どんな修業をすればこんな複雑な音を出せるのか不思議だった。
モーフと母ちゃんは、ラキュス湖から吹く風の冷たさを忘れて聴き入る。教会の庭にすら入れなかった住民たちも、モーフたちと並んでじっと耳を傾けた。
楽器の余韻が風に飛ばされる。
三十分以上もある曲が終わったのだ。
一人、また一人と教会前の道から離れてゆく。
モーフと母ちゃんも新年の礼拝を諦め、毛糸の手袋に包まれた手で肩をさすりながら仮設住宅に帰った。
仮設住宅は数年で片付ける仮住まいの予定だったが、魔哮砲戦争が終わって八年目の今年もまだまだ住民が居る。
ちゃんとした集合住宅の建設が、人手不足や資材不足で計画通りに進まなかったからだ。
プレハブの仮設住宅はあちこちガタがきた。それでも、戦前のバラック小屋とは比べ物にならないくらい快適で上等だ。
モーフは、きちんと鍵が掛かるドアを開けながら思った。
……別にずっとこの家でもいいけどな。
二人は、コートと手袋を蔓草細工の籠に入れ、新しい食卓に向かった。
以前の食卓は丸太を切っただけの代物だが、去年の夏、手に入れたこれは、定食屋のように脚が四本ある頑丈な二人掛けだ。
椅子は引き続き丸太の切れ端でも、食卓はちゃんとした家具を買えた。
移動放送局プラエテルミッサからもらった二段ベッドの一段分もあって、モーフたちの部屋は仮設住宅の中でも金持ちっぽく見える。
「あったかいの、割と長持ちするんだな」
モーフは食卓の下を覗いた。
天板の下には、十八リットルの四角い缶が置いてある。中に灰を詰めて、共同台所の竈で温めた石を据えた暖房器具だ。
部屋の中で火を使わないので火事の心配がなく、そこそこ温まる。
この冬、この缶と、焼けた石を挟む火挟みが、初めて仮設住宅に配布された。
「前の冬は寒かったけど、有難いもんよねぇ」
母ちゃんも食卓の下を覗いてしみじみ言った。
前の冬までは、家の中でも服をありったけ着た上に毛布を肩に掛けて、寒さをやり過ごした。
……ちゃんとしたアパートに住める奴は電気代払えるくらい稼ぎがいいから、電気ストーブってヤツを使うって聞いたけどな。
モーフは、電気ストーブとやらを見たことがないので、どんなものかすらわからない。家電製品の工場で働く同級生や、配達の仕事をする同級生から話を聞いただけだ。
モーフが通う工業高校の生徒は、午前か午後のどちらかは仕事をして、それ以外の時間に学校で勉強する。
生徒は十代の子供からおっさんまで幅広く居て、みんな色々な仕事をするから、いろんな話を聞けた。
母ちゃんが、ベッドの柵に引っ掛けた蔓草細工の籠を取って、編み物を始める。毛糸は、救援物資の古いセーターを解いたものだ。今、かぎ針で編んでいるのは帽子だと言う。
「今年からアーテルの信徒がフラクシヌス教の聖職者に食べ物を届けてもらうって聞いたけど、ホントにそんなコトできるのかねぇ?」
「あぁ……何か、ニュースの板でもやってたな」
モーフが働く工場の社員食堂には、ニュースを映す大きな板が壁に掛けてある。平日は、そこに表示される短信ニュースを読みながら昼メシを食べるのだ。
母ちゃんがするニュースの話は大抵、蔓草細工を納品する雑貨屋の店長か、居合わせた客から聞きかじったものだった。
「何でまた急に異教徒がそんなコト言いだしたんだろうね?」
「バルバツムの軍隊が、アーテルの孤児を攫って、遠くの国の戦場に送ったからだってよ」
工業高校の先生は、重要だと思った記事を学校備え付けのパソコンとプロジェクターを使って、みんなに見せてくれる。今回の情報源も冬休み前の授業だ。
母ちゃんが編み物の手を止めて聞いた。
「えぇッ? 軍隊が人攫いしてたのかい?」
「うん。それがバレて、アーテルの大統領が怒って、お前らの助けなんざもう要らねぇって」
モーフは、動画ニュースで見たミェーフ大統領の様子を思い出した。
若い大統領は顔と声に怒りを滲ませたが、乱暴な言葉遣いをせず、丁寧な口調でバルバツム連邦の援助を断わったのだ。
……俺だったらブチ切れて怒鳴っちまうけどな。
母ちゃんが遠くの信徒を心配する。
「でも、それだと食べ物とかどうするんだい?」
「それで、フラクシヌス教団が配達するようになったんだ」
「でも、アーテルに届くのは、世界中の信徒が送った救援物資なんだろ? 今年からフラクシヌス教団がくれるのかい?」
「バルバツムの軍隊は救援物資集めてアーテルに届けてたけど、今年からは隣のラニスタに集めるようになって、フラクシヌス教団はそれをアーテルに運んで避難所とかに配達するんだってよ」
「ラニスタだって国教が聖者様の教えだし、星の標の本部もあるんだろ? 大丈夫なのかい?」
いつもは、モーフがこうして次々質問を繰り出すが、今日は母ちゃんだ。
モーフは工業高校に通うが、母ちゃんは学び直し事業だけで学校を終わらせた。稼がなければ、食えないからだ。
……俺、高校行ってよかったなぁ。
「ラニスタには、魔法使いもちょっとだけ居て、信徒に混じって普通に住んでるし、星の標はアーテルやこっちの奴らより弱いし、フラクシヌス教の神殿も壊さないで残してあるから、やりやすいってニュースで言ってた」
モーフは、学びの結果得た答えを母ちゃんと分けっこする。
知識は、分け与えても減らない財産なのだ。
「聖者様の国なのに異教の神殿もあるのかい?」
「うん。えーっと……なんだっけ? 歴史の財産? 観光名所みたいな感じで、異教徒の聖職者は居ねぇみたいだけど、神殿だけ残してるんだってさ」
モーフは戦時中、ソルニャーク隊長が報告書を読んで教えてくれたラニスタ共和国の情報を思い出して答えた。
母ちゃんは微妙な顔だ。
「観光名所……ねぇ……まぁ、珍しいだろうけど」
「母ちゃん、フラクシヌス教の神殿って見たコトある?」
「うんと小さい頃だったから、あんまり憶えてないけど」
モーフは旅の間、何度もフラクシヌス教の神殿を目にした。それどころか、中に入ったことすらある。
「半世紀の内乱前って、この街にもフラクシヌス教の神殿ってあったのかな?」
「さぁ? 母ちゃんたちは内乱が終わった後、他所から引っ越して来たからわかんないわ」
モーフの疑問の答えは、誰に聞けば教えてもらえるかわからない。
……葬儀屋のおっさんだったら知ってるかな?
緑髪の葬儀屋は、モーフの知合いの中で一番の年寄りで、モーフの知らないコトをたくさん知っている。何年か前には、ラクエウス議員の葬式で西教会へ来たらしい。いつか、リストヴァー市内で会えるかもしれない。
モーフは今年最初の疑問を心の中に書き留めた。
☆長い曲……ピアノの爺さんが小さいピアノ「1388.融和を謳う曲」、地元の高校生たち「1457.手持ち無沙汰」参照
☆ラニスタ共和国の情報……「1887.ふたつの部門」参照




