3680.大晦日の営業
印暦二二〇一年十二月三十一日。
レノは、魔道発電機式電気自動車のワゴンを商店街の空地に停めた。運転にすっかり慣れ、車体が問題なく定位置に収まる。
開店前から空地周辺で屯する人々が、一斉にワゴン車の後ろで列を作った。
常連客たちは慣れたものだ。SNSで椿屋の評判を知って、新年用のカップケーキを予約した新規客たちが彼らに倣う。
レノとピナは同時にワゴン車から降りた。
幸い、よく晴れて陽当たりはいいが、吐息が小さな白い雲になる。
後部ハッチを開け、ショーケースに置いていた紙をハッチの端に一枚ずつ貼り出した。
レノが、貼紙を指差して声を張り上げる。
「おはようございまーす! 予約のカップケーキをお受取りの方は右側、当日販売のクッキーをお求めの方は左側の列に並んで下さい」
「カップケーキとクッキーは同時に買えません。一旦、列を離れて最後尾に並び直して下さい」
ピナもSNSで繰返し告知した注意事項を改めて伝える。
ガラス張りのショーケースは、保冷を切って常温にしてある。並ぶのは既に箱詰めした予約のカップケーキだ。
母のファリナが、二つ折りの立て看板をショーケース越しに寄越した。レノが受取り、ピナが脚を開いて固定する。印刷屋に頼んで、大きく引き伸ばしてもらったクッキーの見本写真、現金価格と交換品の一覧表だ。
レノは列の後方に声を掛けた。
「アイシングクッキーは、商店街のお惣菜屋さんでも買えますんで、そちらもご利用下さい」
「そっちも朝早くから凄い行列だったから、どっちでも一緒だよ」
常連の一人が苦笑し、他の客たちが頷く。
レノとピナは看板をクッキー列の横に置き、コンクリートブロックで重しをすると、後部座席に乗り込んだ。
ショーケースの前に座った母が手を振って客を招く。
「新年用のクッキー、こちらでーす!」
「ご予約の方は、予約券か、端末の予約完了画面をご用意下さーい!」
レノも母と同じように声を出す。
ピナが営業スマイルを崩さず、注意事項を列の後方に届く声で伝えた。
「クッキーは一袋に三種類二枚ずつ、お一人様二袋限りでお願いしまーす!」
予約のカップケーキは三個一組で、一人一箱限りだ。
家族の人数分に足りない世帯は、子供や夫婦で連れ立って買い求める。
事前の周知を徹底したので、客の列は大きな混乱なく、どんどん捌けた。
カップケーキの予約は、商店街の総菜屋で受付けてもらった予約券の半券か、SNSのダイレクトメッセージに送った予約完了画面を確認して支払いと引換える。
予約の半券には、椿屋のスタンプで割印して偽造を防止した。
総菜屋のおばさんに「ここまでしないと転売目的の人が買占めるから」と言われたからだ。
レノはまさかと思ったが、総菜屋は、旧王国時代から王都ラクリマリスで店を構える老舗の瀞屋が飴の転売に遭い、インターネットで「高過ぎて強欲」「老舗だからって傲慢」など誹謗中傷を受けたと言うニュースを見たと言う。
店への誹謗中傷も痛いが、転売の食べ物は保管状況に不安がある。
故意に何かを混入される可能性も否定しきれないので、口に入れない方がいいに決まっているが、定価より高い代金を払ってまで転売屋から買う人が居るのが不思議だ。
レノたちは今回も、総菜屋の情報に助けられた。
クッキーも転売されるかもしれないが、カップケーキよりは日持ちするので、余程のことがない限り、食中毒の心配はないだろう。
高額転売に対する予防線として、公式SNSにはネット通販しないことと、定価を明記した。
商品写真には縁起物の説明も入れたところ、大勢が拡散してくれて、例年以上に売れそうだ。
今日は車内で焼かないので、作業台とオーブンを家に置いて来て居場所を確保した。普段は二人の後部座席に三人入って、クッキーの袋を詰めた木箱を重ねて置いたので、いつもより狭く感じる。
現金で払う客は、なるべく釣銭が出ないように小銭を用意してくれる者が多かった。偶に紙幣で払う客が居ると、釣銭で小銭が程よく整理できて助かる。
物納の対価は小容量の【無尽袋】にどんどん放り込んだ。
クッキーが売れても木箱は残るので、狭さは変わらない。
予約が順調に捌け、レノもクッキーの当日販売に参加した。
見覚えのある顔が現金を握りしめた手をおずおず差し出す。
……あっ……見学の人だ。
三人の内の一人で、意外に思って見回すと、後の二人は空地の外でこちらを心配そうに見守る。
代表で買いに来た黒髪の若者が、声を上ずらせた。
「こっ、ここのパンやお菓子が美味しいって、フィアールカさんに教えていただいて」
「遠いのにわざわざ来て下さって有難うございます」
「あ、いえっ、フィアールカさんに送ってもらいました」
「あれっ? フィアールカさんはどこに?」
レノは木箱からクッキーの袋をひとつ出して、再び空地を見回した。
買物の代表者が早口で言う。
「あ、あのっ、用事があるから後で合流しますってどこかに行きました」
「じゃあ、ご紹介有難うございますって、よろしくお伝え下さい」
「はっ、はいっ、必ずお伝えしますッ!」
「一袋でよかったですか?」
「は、はいっ、六個入りなんですよね?」
「はい。三種類を二枚ずつ入れてます」
「じゃ、じゃあ、それで」
渡された硬貨はすっかり人肌にぬくもっていた。
彼らは力ある民だが、キルクルス教徒だ。フラクシヌス教の縁起物の菓子を買うなど、アーテル共和国の本土では決して許されないだろう。
フィアールカが、彼らに今日の菓子をどう説明して、彼らがどう受け止めて買いに来たのか知りたくなったが、今はそれどころではない。
次々と訪れる客を三人で捌き、物納の対価を交渉ですり合わせ、多い分には現金でお釣を渡す。
昼前に最後の木箱が空になった。
「クッキーも売切れでーす!」
母のよく通る声で、後から来た客がしょんぼり引き返す。
ピナがその背に声を掛けた。
「もしかしたら、お惣菜屋さんに卸した分がまだあるかもしれないので、そちらも見てって下さーい」
「なかったら、来年はクッキーも予約にして欲しいなぁ」
客は会釈して小走りに去った。
レノがワゴン車を降り、二つ折りの看板を畳み直す。ピナがショーケース越しに受取った。後部ハッチの貼紙を剥がしていると、よく知る声が聞こえた。
「あら、もう売切れなの?」
「あっ、フィアールカさん」
レノが振り向くと、現金を数える母と、看板を片付けたピナも顔を上げた。
「今年は去年より多めに焼いて、一人二袋に制限したんですけどね」
「ごめんなさいねぇ」
ピナと母が申し訳なさそうな顔を向けた。
レノはフィアールカの背後や広場に視線を巡らせたが、先程の三人の姿はない。
「留学生さんに頼まなかったんですか?」
「私用を頼むなんて公私混同しないわよ」
運び屋フィアールカが、緑の瞳に含みのある笑みを浮かべる。
レノは仕事中の運び屋に深入りするのを避けた。
「じゃあ、また来年ですね」
「そうね。また来るわ。ところで、あの三人、見掛けなかった?」
「え? クッキー買った後、どこ行ったかまではちょっと」
「買物が終わったら、そこの喫茶店で待つように言ったんだけど」
運び屋フィアールカは、空地の東側の通りを指差した。
二十メートルばかり先に小さな喫茶店がある。営業時間終了後、隣人のラピナが清掃に行く店のひとつだ。
ピナもショーケースから身を乗り出して話に加わった。
「メールとかで呼ぶのナシですか?」
「返事がないのよ」
「えぇ……迷子になるようなとこじゃないんだけどなぁ?」
レノは喫茶店の方角に目を凝らした。
歳末の買出しで、いつもより買物客が多い。顔見知りの地元民が多いが、他所から来てカップケーキを買った客が、ついでに他の店も見て回るのに気付いた。
「寮の門限に間に合わないと、私が遅延の罰金払わなきゃなんないのよ」
「ちょっとだけ、一緒に捜しましょうか?」
「あぁ、行っといで。締め作業、二人でしとくから」
「母さん、ピナ、有難う」
レノは二人に任せ、フィアールカと連れ立って商店街の人混みに入った。




