3666.進展した事件
医務室の医官が【操水】で患者を乗せた水塊を連れて、クレーヴェル城の厨房を出てゆく。
若い女官が青褪めた顔で彼らを見送り、震える声で呟いた。
「私は……どうすればよろしいのでしょう……?」
「先方には事情を説明してお待ちいただいて、お菓子は……予備があればいいのですが」
セプテントリオーは、後半を菓子職人に向けて言った。
菓子職人が背筋を伸ばす。
「は、はい。えぇっと、取敢えず、まずは説明にお戻りいただきまして、その間に軽いものをご用意しますので、二度手間になりますが、そちらをお持ちいただければと」
「事件のことをお知らせして、捜査に支障が出なければよろしいのですが、ご説明して構わないのでしょうか?」
女官が不安な目を近衛兵ジャドに向ける。
ジャドは落ち着いた声で質問を返した。
「お茶会の参加者はどなたですか?」
「ボリス様とイズムルート議員など国会議員五名、商社と大手ゼネコン関係者の方々でございます。お茶会と申しましたが、建設業界による復興支援に関する会議なのです」
……ボリス様が王位継承順位第二位だから? それとも、国会議員を狙って?
セプテントリオーの頭の中で、様々な想定が浮かんでは消える。
近衛兵ラシーハが、先程までテロリストが転がっていた厨房の床を見詰めて言った。
「国家再統合反対派のテロリストと言うコトは、再統合後を見据え、アーテルのインフラ復興について話し合う会議そのものを潰したかった可能性がありますね」
「その辺りは警察が詳しく捜査するでしょうから、憶測は控えることです」
近衛兵ルガビークが釘を刺す。
女官が了解した顔で確認する。
「では、事件のことはひとまず伏せて、料理人に油が掛かった事故で遅くなったとだけお伝え致します」
「それがいいでしょう」
近衛兵ジャドが頷くと、若い女官の肩から力が抜けた。
近衛兵ラシーハがセプテントリオーに向き直る。
「お疲れでしょう。お部屋へ戻りましょう」
「え……えぇ……あッ?」
厨房から廊下へ向き直ったが、急に膝から力が抜けた。
近衛兵ジャドが慌てて支え、水浸しになった床に倒れずに済んだ。
近衛兵ラシーハが、セプテントリオーを労う。
「本日は立て続けに魔法をお使いでしたからね」
「お部屋には【操水】の担架で帰りましょう」
近衛兵ルガビークが【無尽の瓶】から新たな水を引き出し、【操水】で宙に浮かべて担架型に整える。
セプテントリオーは重大なことに気付いた。
「あッ……床にこぼしてしまった水は治療に使ったものなので、感染性廃棄物として処理して下さい」
「感染性廃棄物としての処理……恐れ入りますが、厨房の者は医療に関して門外漢ばかりでございます。具体的なご指示を賜りますようお願い申し上げます」
料理長が近衛兵の顔色を窺いながら、セプテントリオーに尋ねた。
「煮沸して、圧力を掛けて百度以上になるように加熱し続け、不純物はゴミ箱に捨てて焼き払って、念の為、浄化後の水は調理や食器洗いには使わず、廃棄して下さい」
「畏まりました。責任を持って処理致します」
料理長は、すぐさま【操水】を唱えて実行した。
セプテントリオーは私室に戻るなり、どっと疲れが押し寄せた。水塊の担架から寝台に降ろされ、大きく息を吐く。
疲れは酷いが、今日の事件が気になって、眠れそうもなかった。
「事件の経過が気になるので、わかり次第、教えて欲しいのですが」
「その辺りは、王宮警察の判断になるかと存じます」
近衛兵ジャドは取り付く島もない。
残りの近衛兵三人も、唇を引き結んで首を縦に振った。
アルボル女官長が怪訝な顔で、近衛兵ラシーハに聞く。
「事件……とは、お散歩の間に何があったのです?」
「中庭をお散歩中、四阿の傍で偶然、ウヌク・エルハイア将軍と行き合い、セプテントリオー様はお小言を頂戴しておられました」
「それが警察沙汰になるとは思えませんが……捜査に支障が出るのでしたら、これ以上はお尋ね致しません」
アルボル女官長は引き下がった。
セプテントリオーは、女官たちが気になるだろうと思い、続きを教えた。
「散歩を終えて居館に戻ると、廊下を駆けて来る女官が居たのです」
「そんな、はしたない」
アルボル女官長が眉を顰める。
「厨房で料理人二人がぶつかった拍子に揚げ油をひっくり返してしまい、近くで芋の皮剥きをしていた力なき民の料理人が大火傷を負ったのです。それで、お茶会用のお菓子を受取りに行った女官が、医務室へ医官を呼びに行くところだったのですよ」
「それは確かに事件ですわね」
セプテントリオーの誤魔化しに緑髪の女官長が納得する。
壁際に控えた中年の女官カタラクタも小さく顎を引いた。
強いて言うなら、業務上過失傷害だ。
「医務室から医官を呼ぶより、私が行った方が早いので、治療して来ました」
「そんなコトをなさるから、ウヌク・エルハイア将軍からお小言を頂戴なさるのですよ」
セプテントリオーが付け加えた一言で、アルボル女官長は呆れて苦笑したが、それ以上は追及されずに済んだ。
事件から三日後。セプテントリオーの私室を王宮警察の警察官が訪れた。
「クレーヴェル城厨房に於ける毒物混入事件について、ご報告申し上げます」
「私にも教えてくれるのですか」
セプテントリオーは顔に喜びが滲み出るのを感じたが、半信半疑で確認した。
警察官は、戸口で直立不動の姿勢を保って簡潔に答える。
「はい。セプテントリオー殿下と近衛兵の方々が厨房を訪問なさらなければ、殺人事件を未然に防ぐことは叶いませんでした。王宮警察より、後日、改めてお礼にお伺い致しますが、本日は事件のご報告のみにて失礼させていただきます」
「いえ……お礼など構いません。あれからどうなったか気になっていたので、教えてもらえるだけで有難いです」
セプテントリオーは寝台に横たわったまま警察官に応じた。彼の背後の壁際で、女官たちが顔を引き攣らせる。
警察官は女官たちに構わず、背筋を伸ばして報告した。
「まず、クレーヴェル城に忍び込んだ賊は、逮捕された一名のみでした」
「厨房で【明かし水鏡】に確認した際も、そのようでしたからね」
寝台に横たわったセプテントリオーは、顎を引いて続きを促した。
「次に料理人のヘリアンテスですが、無事に保護しました」
「どこに居たのです?」
セプテントリオーは、本物の料理人の無事にホッとして聞いた。
警察官が、直立不動の姿勢で答える。
「港の倉庫に囚われておりました」
「倉庫に? クレーヴェル城からかなり距離がありますよね?」
セプテントリオーは、身体の怠さを忘れて聞いた。
先日の事件の後、案の定、寝込んでしまったのだ。
「はい。通勤途中で賊の仲間たちに襲われ、【跳躍】で倉庫へ拉致されました。菓子に毒を盛った賊は、【化粧】で顔を変え、【声真似】でヘリアンテスの声を写し取り、衣服を剥ぎ取って成り代わっておりました」
「成程……調理服には城の更衣室で着替えたのですね」
「左様でございます。ご存知の通り、【偽る郭公】学派の【声真似】は、複写元の声の主が死亡すると失効致しますので、賊の仲間は、犯行が終わるまで、ヘリアンテスを生かしておかなければならなかったのです」
報告が進むにつれて、女官たちが何とも言えない顔になってゆく。
「倉庫に居た一味を一網打尽にし、毒物を用意した薬師も逮捕致しました」
「薬師も一枚噛んでいたのですか」
「左様でございます。今回の毒殺未遂事件の関係者は全員逮捕致しました」
警察官はセプテントリオーの問いにハキハキ応じる。
「賊の狙いはわかりましたか?」
「はい。【強制】を掛けて尋問致しましたところ、国家再統合反対派のテロリストは、再統合後を見据えてアーテル地方の復興支援について話し合う会合そのものを中止に追い込むことが目的でした。あの会議の参加者の誰でもいいから、毒殺できればよかったとのことです」
「アーテルの復興を妨げて、彼らに何の利益があるのでしょう?」
「半世紀の内乱時代、キルクルス教徒に家族などを殺害された恨みがあり、アーテルのキルクルス教徒には、いつまでも苦しみを味わわせてやりたいとの怨恨だそうです」
報告を受け、セプテントリオーは暗澹たる思いで大きく息を吐いた。
これまでに世論調査などで明らかになった反対理由は、力なき民はアーテル人に雇用を奪われる懸念、魔法使いは復興支援で負担を強いられる懸念で、いずれも経済や労力の問題だった。
感情的な問題がないとは思わないが、ここまで深刻で過激な行動に出るとは思わず、どう対策すればいいかわからない。
クレーヴェル城に於ける毒殺未遂事件としては、これで落着だろうが、同様の事件が再び起きる可能性は否定しきれなかった。
アルボル女官長が命じる。
「報告ご苦労でした。セプテントリオー殿下はお疲れです。下がりなさい」
「は!」
王宮警察の警察官は、敬礼して私室を辞した。
☆イズムルート議員……マチャジーナ市選出の国会議員「1769.商売人と約束」参照




