3665.紛れ込んだ者
「え……?」
「あッ!」
「確保!」
クレーヴェル城の厨房担当者の驚きと戸惑いの声を破り、近衛兵テーメニが顔の変わった料理人の手首を掴んで腕を背中側に捩じ上げ、足を引っ掛けて床に抑え込んだ。
「道義の緒 今 咎人を縛めよ」
近衛兵ラシーハが【呪縄】を唱え、魔力の縄で瞬く間に料理人を縛り上げた。
近衛兵ルガビークが、被疑者の口許に【静音】を掛けて黙らせる。
セプテントリオーと厨房担当者らは、突然の捕り物に戸惑い、言葉もない。
顔が変化した金髪の料理人は、瞬く間に拘束され、抵抗する間もなかった。
近衛兵ジャドが簡潔に説明する。
「この男は国家再統合反対派の過激派で、指名手配中のテロリストです」
「首から上に妙な魔力の流れを感じたので【消魔】を掛けたところ、【化粧】が打ち消されました」
近衛兵テーメニが料理人から手を放し、立ち上がって言った。
素顔に戻った調理服姿の被疑者は、【呪縄】で足首から肩のすぐ下までぐるぐる巻きにされて身動きできない。
セプテントリオーは呆然と呟いた。
「テロリスト……?」
「毒の有無を確認するまで、食材と調理済みの料理に手を触れるな」
近衛兵ルガビークに命じられ、料理人たちが騒然となる。
先程の女官が、クレーヴェル城の医務室で勤務する【青き片翼】学派の呪医を連れて戻り、戸口で一礼する。
「呪医を連れて参りました」
「え……どうしたんです?」
医務室から連れた来られた医官が、床に転がされた偽料理人に気付いて呆然と呟いた。女官が驚いて顔を上げる。
「王宮警察を呼んで参ります」
近衛兵テーメニがセプテントリオーに告げて、クレーヴェル城の厨房を出た。
厨房の担当者たちは、床に転がされたテロリストを遠巻きにして、動かない。
近衛兵ジャドが、後から来た二人に簡潔に説明する。
「この者は料理人に成り済ましたテロリストです。負傷者はセプテントリオー様が治療して下さいましたが、それでも入院が必要な重傷です」
「あッ……セプテントリオー殿下、ご静養中にも拘わらず、お手数をお掛け致しまして恐れ入ります」
駆け付けた緑髪の医官が恐縮し、身体を二つ折りにしてお辞儀する。
セプテントリオーは、宙に浮かせた水塊に横たえられた患者を掌で示した。
「いえ、構いませんよ。散歩の帰りに偶然、彼女と行き合い、私が対応した方が早いと思ったからです。火傷は完治させましたが、体液の均衡が崩れているので点滴加療が必要です。それから、肺に病変がみつかったので、そちらの検査もお願いします」
「畏まりました。カルテはいかが致しましょう?」
「手帳か何かに症状と治療の詳細を控えて下さい」
セプテントリオーが言うと、医官は白衣のポケットからタブレット端末を取り出した。
後でカルテに転記するメモが終わる頃、近衛兵テーメニが王宮警察の警察官三人を連れて来た。警察官の一人は小脇に魔法の深皿【明かし水鏡】を抱える。
警察官が銀の深皿を調理台に据え、水を満たした。もう一人が袖捲りして左手を漬ける。
「この厨房の中に毒物を混入された飲食物、もしくは食材が存在する」
しばらく待ったが、水は動かなかった。
「えッ……毒……もう、入れたってコト?」
洗い場担当の元女官見習いランクスが、顔を引き攣らせて厨房を見回した。
警察官が魔法の深皿に問う。
「この厨房の中にある毒物が混入されたものは、加工前の食材である」
深皿を満たした水が騒いだ。
皿の縁から三角の波を立てて中央に向かって倒れる。
料理長が火を止めた鍋に目を遣った。
「肉や野菜ではない……夕飯のスープ……とか?」
「この厨房の中にある毒物が混入されたものは、調理中の食材である」
これにも水がざわついた。
鍋のスープや、オーブンで焼いている最中の肉などではないらしい。
「この厨房の中にある毒物が混入されたものは、既に調理済みである」
水はピクリとも動かなかった。
もう一人の警察官が厨房の担当者を見回して聞く。
「完成した料理はどこに保管していますか?」
料理人たちは口々に答えて、その場所を掌で示した。
「えっと、前菜はもうワゴンに載せていて、後はお出しするだけです」
「パンはあちらの棚にあります」
「サラダは冷蔵庫にあります」
「テリーヌも冷蔵庫です」
「あ……あの……私は、お茶会用のお菓子を受取りに参ったのですが」
医官を呼びに行った若い女官が恐る恐る手を挙げた。
「では、先にそちらをお調べしましょう」
警察官が言って見回す。
菓子職人が手を挙げた。
「そのお菓子はあちらのワゴンに載せました」
銀の深皿【明かし水鏡】に手を浸した警察官が、断定の形で魔道具に問う。
「この厨房の中にある菓子類に毒物が混入された」
水はゼラチンで固めたように動かない。
若い女官が息を呑んで青褪めた。
警察官が落ち着いた声で聞く。
「お菓子は、これだけですか?」
「いえ、夕食後のデザートと、お夜食用もございます」
菓子職人は戸棚を示した。
「この厨房の戸棚に入った菓子類に毒物が混入された」
警察官が魔道具に確認したが、嘘に反応する水は動かない。
「お茶会用のお菓子に毒を?」
若い女官が、床に転がされたテロリストに有り得ないものを見る目を向ける。
拘束された被疑者が、彼女から目を逸らして何か言うが、声は【静音】で打消された。
菓子職人が毒入り菓子の載ったワゴンを押して、魔道具を使う警察官の傍らに止める。
警察官は右手をワゴンの天板に触れ、断定形で【明かし水鏡】に問うた。
「この城の中で、毒物を混入されたものは、このワゴンの菓子だけである」
水は動かない。
警察官が更に問う。
「クレーヴェル城内には、厨房の床に転がる者以外にテロリストは居ない」
嘘に反応する水は、これにも動かなかった。
厨房担当者たちが安堵の息を吐く。
「セプテントリオー殿下のお手を煩わせまして畏れ入ります」
「このお菓子は証拠品として押収します」
「皆様のご協力に感謝致します」
警察官たちは揃ってお辞儀すると、【明かし水鏡】の水を抜いて腋に抱え、拘束されたテロリストを肩に担ぎ、ワゴンを押して厨房を後にした。
他の食材や料理の安全は確認されたが、料理人たちは放心したように動けない。
「えっと……これって、俺が火傷しなかったら、セプテントリオー殿下がお出座しにならなくて、近衛兵の方々もいらっしゃらなくて、あいつが偽者ってわかんなくて、お菓子食べた偉い人が毒殺されてたってコト……? 俺、火傷してよかったんですか?」
「そう……なりますね……これも、水の縁でしょう」
セプテントリオーはぎこちなく頷いて肯定した。
……賊が間抜けな接触事故を起こさなければ、毒見役が命を落とした可能性があるのだな。
料理長が不安な声を出す。
「あの……それでは、本物のヘリアンテスはどこに……?」
「王宮警察が捜査します。今は無事を祈るしかありません」
近衛兵ジャドがきっぱり言うと、料理人たちはのろのろ動きだし、夕食の仕込みを再開した。




