3658.個人の契約者
「メドヴェージさんも驚いたそうなんですけどね」
ファーキルが、パンをお茶で飲み下して続きを語る。
注目を集めた若者は、昼時で混雑する定食屋を見回して話し始めた。
「俺、リゴルネットと契約して、自転車で玄関先まで配達してるんだけど」
「あれっ? プラエソーじゃねぇか。工場辞めちまったのか?」
メドヴェージは、顔見知りの工員と意外な場所で顔を合わせて驚いた。
プラエソーが勤務するのは、メドヴェージが働く運送会社が契約した工場のひとつだ。【無尽袋】に入れると、出す時に壊れてしまう精密機器をトラックで運ぶ。
工場には社員食堂がある。
この定食屋はリストヴァー市の北端で、彼の職場から遠い。昼休みの間に自転車で往復するのは不可能だ。
「工場は辞めてない。二人目ができてカネ掛かるから、工場のシフトが休みの日に副業を始めたんだ」
「そいつぁ、おめでとうだけど、いいのか? 上の子の面倒見なくて」
「お前さんが休みの日まで働いてちゃ、ウィオラ一人で家のこと全部すんの大変だろ?」
「それやって離婚されたヤツ知ってンぞ」
メドヴェージと同じ食卓を囲む運転手仲間たちが口々に心配する。
工員プラエソーは困った顔で答えた。
「俺みたいに副業するヤツ同僚にも割と多いんだ。子供産まれたり進学したりでカネ掛かるから」
「学費はタダでも、学校が遠いと下宿代掛かるもんなぁ」
年配の運転手が遠い目になる。
トラック運転手のメドヴェージは、カーラジオで聞いたニュースを思い出してプラエソーを案じた。
「そんなコト言っても、休みなしで働いてちゃ、俺が世話んなった呪医のセンセイみてぇにその内ぶっ倒れンぞ」
呪医セプテントリオーは戦前、ゼルノー市立中央市民病院で働いたが、戦後は王族に戻って、保健省の医官として各地の病院で巡回診療する。
国営ラジオでアナウンサーのジョールチが読み上げた記事によると、終戦から七年余り一日十六時間労働を三百六十五連勤し続けた結果、過労から狭心症を起こして倒れたと言う。
工員プラエソーが、一番安い定食の魚肉団子をフォークで刺して言う。
「俺は週休二日の内、一日だけだけど、思ってたよりキツくて」
「あぁ、週に一日は休み入れてんのか」
「お前さんが倒れちゃ、女房子供が飢え死にするもんな」
「目先のカネより子供と一緒に居てやれよ」
定食屋のあちこちから声が飛んできた。
「でも、子供育てンのにカネが要るんだ。俺はあいつらにひもじい思いさせたくねぇんだよ」
「難しいよなぁ」
「やっぱ、自転車だと坂キツいか」
メドヴェージが聞くと、工員プラエソーは魚肉団子を飲み下して言った。
「坂は西教区まで登り切れば、自転車でもそうでもないんだ。今日の配達は東教区の商店街だからもっと楽だけど」
「あぁ……高台は宅地を平らにしてるもんな」
「肥料の配送で農協に行くけど、西教区の中で坂キツいの、山に近い南の農地の方なんだよな」
運転手仲間たちが納得して先を促す。
プラエソーは、次の魚肉団子をフォークで刺して続けた。
「一日分として割当てられた荷物、全部配達するまで帰れねぇのが困るんだよ」
「は? 全部? 全部って一日何個よ?」
メドヴェージは面食らった。
工員プラエソーがもどかしげに言う。
「全部って言ったら全部だよ。残りがあったら違約金で給料減るんだ」
「は? なんだそりゃ?」
少なくとも、メドヴェージが所属する運送会社とプラエソーが勤務する工場の間では、トラックが事故を起こして荷物を破損させた場合には違約金が発生するが、他車の事故による渋滞や、悪天候による通行止めなどで配送の遅れや配送不能が起きても、違約金は発生しない。
「受取人が留守で再配達になっても残業代出ないし、魔装兵の見回り増えて夜でも大丈夫になったけど、それでも帰りが遅いと心配されるし、休みの日は疲れ切って寝てばっかりで子供と遊ぶ元気ないし」
工員プラエソーは、堰を切ったように愚痴を吐いた。
運転手仲間たちがげんなりした顔になる。
「俺らは物流倉庫から営業所までだから、滅多に遅くなんねぇけどよ」
「玄関先まで持ってくの、そんなヤベぇ契約なのな」
「配達時間指定した癖に家に居ねぇ奴って何考えてんの?」
工員プラエソーが受取人の愚痴を言う。
零細の運転手たちが思い付きを口にする。
「まぁ、急になんかの用事で家を空けなきゃならんコトもあンだろ」
「隣の奴に預けンの、ナシか?」
「ナシだよ。隣の奴がネコババしたら俺のせいにされるんだぞ?」
「えぇ……? お前さんが泥棒扱いされンんの?」
「あぁ、そっか。隣の奴がそんなモン知らんってしらばっくれたら、どうしようもねぇもんな」
「自治区の頃より何もかもよくなったよな? それなのにこんな生活苦しいの、何でだよ?」
工員プラエソーが、泣きそうな顔で定食屋を見回す。
昼飯時で満席だったが、それに答えられた者は一人も居なかった。
「って話をメドヴェージさんから聞いたアゴーニさんも、何で今も生活苦が続くのか、答えられなかったそうです」
ファーキルは、疑問を含む声音で言って報告を締め括った。
運び屋フィアールカが指折り数える。
「リストヴァー自治区が普通の市になって、他の街と自由に行き来できるようになって、区画整理で上下水道と排水溝と送電網が整備されて、バラックがなくなって、仮設住宅やアパートが建って、仕事が増えて失業者が減って、戦前とは比べ物にならないくらいよくなった筈よね?」
アミエーラは、久々に子供時代を過ごした東教区のバラック街を思い出して気持ちが沈んだ。
星の標がゼルノー市民の報復に見せかけて火を放った冬の大火で、アミエーラは唯一の家族だった父とバラック小屋を失った。
バラック小屋には、水回りの設備がひとつもなかった。
充分な数の公衆トイレもなく、小屋の隙間の路地で用を足す者が多く、雨の日は排泄物混じりの泥でぬかるんだ。ドブのような道のせいで病気が蔓延しやすいが、病院に掛かれる者は居なかった。
アミエーラの弟妹も、それでみんな死んでしまったのだ。
記憶と共にバラック街の悪臭が蘇り、アミエーラは顔を顰めた。
ファーキルが、ニュースやSNSで集めた情報を元に推測を述べる。
「住環境がよくなっても、戦争のせいで物価高が続いてますし、今のイイ感じになった生活を維持するには、かなり厳しい感じですよね」
「そうよね。キルクルス教団からの救援物資がないと生活が成り立たない人、まだまだ多いみたいだし」
アミエーラは戦時中に魔力が発覚し、リストヴァー自治区を出た身だ。
現在は、芸能事務所がアミトスチグマ王国の夏の都に用意してくれたマンションで暮らす。
自治区の住環境が整備され、リストヴァー市になるのを外から「情報」として眺め、実際に足を運んだこともあるが、生活がどうよくなって、何がどう苦しいか、肌感覚としてはわからない。
家主のマリャーナが、シチューを食べ終えて話に加わる。
「リゴルネットの配達員に対する仕打ちは、本社のあるバルバツム連邦でも問題になっていますよ」
「えっ? 地元でもそんななんですか?」
アミエーラは驚いた。
「概ね、リストヴァー市の配達員の言う通りですから、ある意味、世界中で平等に扱っていると言えますが」
「悪い方で平等に扱われてもねぇ」
運び屋フィアールカがせせら笑う。
彼女は魔法使いなので、人間を含む様々なものを【跳躍】の術で運ぶ。トラックや自転車の苦労はわからないだろう。
「リゴルネットと契約したバルバツム人の配達員も“個人事業主”扱いで、配達中に事故に遭った際は何の補償もありません。それどころか、事故で荷物が破損すれば、弁償させられるそうです」
淡々と言ったマリャーナは、世界展開する大企業の役員だ。
総合商社パルンビナ株式会社は、ファーキルなど複数の社員を使って様々な情報を集める。
アミエーラは驚きのあまり言葉もない。
「バルバツム連邦では、配達員が個人でも加入できる労働組合に入って、リゴルネットに雇用された労働者として扱うように訴訟を起こしましたが、判決が出るまで何年も掛かりそうです」
マリャーナの口振りは冷静で、完全に他人事だ。
アミエーラは期待を籠めて聞いた。
「ラキュス・ラクリマリス王国の配達員の人たちも、組合に入って裁判すれば何とかなりそうですか?」
「それはどうかしらね」
否定的な言葉を吐いたのは、運び屋フィアールカだ。
アミエーラは驚いて聞いた。
「どうしてです?」
「ラキュス・ラクリマリス王国はバルバツム連邦と正式な国交がないの」
「それは私も知ってますけど……?」
魔哮砲戦争の終戦後、ネモラリス共和国とラクリマリス王国は、一足先に再統合した。ラキュス・ラクリマリス王国は国連を脱退。バルバツム連邦に設置したネモラリスとラクリマリスの国連事務所を閉鎖し、連邦との唯一の接点を手放した。
「リゴルネットはバルバツム企業で、不利な判決が出たら王国での事業を畳んで本国に逃げて、それっきりになる可能性が高いのよ」
「えぇ? でも、それだと商売になりませんよね?」
「ラキュス・ラクリマリス王国での事業は、始まってからまだほんの数年だし、損切りしやすいわよね?」
フィアールカに同意を求められ、マリャーナは無言で頷いた。




