3656.被災地の日常
アミエーラは、運び屋フィアールカに借りたタブレット端末を握りしめ、アーテル共和国の首都ルフス北部を訪れた。
呪歌【道守り】や【癒しの風】を謳ういつものボランティアに加え、今回はアーテルの現況を伝える写真のSNSへの投稿もある。
アミエーラはいつも以上に注意深く、周囲の状況を観察した。とは言え、魔物や魔獣はいつも通り、神官戦士とボランティアの魔獣駆除業者が【索敵】で警戒してくれる。
目を向けるべきは、復興状況だ。
アーテル共和国の首都ルフス北部には、水害の瓦礫を撤去した更地が広がる。
魔哮砲戦争の終戦間際、当時のラクリマリス王国軍とフラクシヌス教団の神官戦士団とボランティアが、初期の道路啓開を担った。アーテル共和国が国際司法裁判所に出廷する交換条件として要求したからだ。
道路の瓦礫が片付いた後も、アーテル共和国陸軍とバルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊だけの力では、街区に残った瓦礫を撤去できなかっただろう。
取引材料としての支援を終えた後も、フラクシヌス教団と神殿ボランティアが定期的に訪問し、街区の瓦礫撤去、学校、病院、教会など人の集まる場所の周辺に呪歌【道守り】による結界構築、【無尽の瓶】による給水支援、【操水】による入浴や洗濯、清掃などの支援を継続する。
アミエーラは去年の今頃も、この地域を訪問した。
租借地を除くアーテル北部のラキュス湖沿岸地域は工場地帯で、その少し南の地域は、二階以上が住居の小さな町工場や個人商店、アパートが軒を連ねる下町だ。
水害で浸水した町工場の多くは、経済的な事情や社長一家の全滅などで再建不能に陥り、瓦礫として撤去された。
空地は現在も腰の高さのブロック塀で囲まれ、歩道と隔てられる。
土が剥き出しの地面があれば、そこから土魚が飛び出して危険だからだ。
……去年より空地が増えてる?
アミエーラは、北ルフス星友教会とコンテナの診療所がぽつんと建つ街区にタブレット端末を向け、無言で動画を撮り始めた。
木造モルタルのアパートは、去年と変わりなく存在するが、空地に点在したプレハブの仮設工場が減ったような気がする。
資材と道路の幅員の関係で、街路樹の根元まではコンクリートブロックで囲めない。歩道を歩く地元住民は街路樹のある車道側を避け、ブロック塀に沿って足早に通り過ぎる。
アミエーラは、少し離れた街路樹の根元に寄りかかる人の姿に気付いた。
ギョッとしたが、気になって端末のカメラを望遠にする。
俯いて顔はわからない。服装から察するにどうやら男性らしい。
土魚が植込みから顔を出して彼の腿を齧るが、反応がなかった。
「あ、あの、あの人……」
アミエーラは、手近の神官戦士に声を掛けた。
ラキュス・ラクリマリス王国の王都第二神殿から訪れたボランティアたちが彼女に注目する。
指し示したアミエーラの指の先で、男性の腹が盛り上がったかと思うと四眼狼の顔が現れた。
「あっ、あの死体ですね」
フラクシヌス教団の神官戦士は、もうすっかり慣れっこで全く動揺しない。
「諸の力を束ね 光矧ぎ 弓弦を鳴らし……」
落ち着いた声で力ある言葉を唱えると、何も持たない手で弓を引き絞る動作をした。魔力が収斂し、光り輝く矢が現れる。
「……魔を祓え!」
魔力の矢が放たれ、狙い過たず四眼狼の眉間に突き立つ。
受肉しつつあり、魔物から魔獣になる途中の四眼狼は、たったそれだけの攻撃で音もなく霧消した。死体には傷ひとつない。
アミエーラは、震える声で辛うじて礼を言った。
「あ、ああ、あり有難うございます」
「いえ、お構いなく。現状で我々にできるのは、犠牲者がこれ以上、増えないようにすることくらいなものですから」
神官戦士は弱々しく微笑むと、ウェストポーチから【無尽の瓶】を出した。遺体を【操水】で車が一台も見当たらない車道に移動する。
学生ボランティアの一人が、小さく手を挙げてギームン神官に聞いた。
「警察、呼びましょうか?」
「遺体をこのままにするとまた魔獣が出ますので、速やかに【火葬】しなければなりません」
「えっ? で、でも……」
男子学生が、聖職者の答えに戸惑う。
ギームン神官は、車道に横たえた遺体を見詰めて説明を続けた。
「アーテル本土では、燃料不足で火葬場が滅多に稼働できません。薬物依存症などでお亡くなりになった方のご遺体は、ご家族や近隣の方々が土の地面に置いて、土魚に食べさせているのが現状です」
「えぇッ?」
学生ボランティアたちが驚きの声を上げる。
フラクシヌス教の神官戦士の一人が、北ルフス星友教会からウルサ・マヨル・セプテム司祭を呼んできた。
「ここでは、これが日常茶飯事なのですよ」
キルクルス教の若い司祭が、道路に横たえられた遺体を一瞥して、諦めた顔で簡潔に説明する。何か言おうとしたフラクシヌス教徒の学生ボランティアを片手で制して続けた。
「このままでは、ご遺体を扉に四眼狼など、土魚より強い魔物が現れて、ご遺体を糧に受肉してしまいます」
「あ、あぁ……土魚の餌にするより、キルクルス教のお葬式なしで【火葬】した方がマシなんですね」
「勝手に【火葬】して、警察や遺族の人に怒られませんか?」
別の学生ボランティアが恐る恐る聞いて、辺りを見回す。
セプテム司祭は、遠い目をして答えた。
「我々無原罪の清き民は、ご遺族と近隣住民の方々の安全の為、ご遺体の身許を隠して遺棄せざるを得ないのです。警察を呼んでも、できるコトはありません」
「あ、あのっ、アーテルの警察って、マジでなんにもできないんですか?」
ギームン神官が、首から提げた【導く白蝶】学派の徽章に手を触れて静かな声で答えた。
「警察官も、力なき民ですから」
「あぁ……」
学生が言葉にならない声を発し、名も知らぬ遺体から目を逸らす。
セプテム司祭が遺体の傍らに立ち、キルクルス教の祈りの詞を唱え始めた。
ギームン神官がフラクシヌス教の祈りの詞を呟いて、死体のポケットを上着から順に探る。ズボンのポケットからハンカチを引っ張り出して、神官戦士に渡した。
「この男性も、身許のわかる所持品がひとつもみつかりませんでした」
ギームン神官は死体に一礼すると、力ある言葉で朗々と呪文を唱えた。
「やすみしし 現世の躯 離れ逝く 魂の緒絶えて 幽界へ 魂旅立ちぬ
うつせみの 虚しその身の 横たわる 虚ろな器
現世にて 穢れ纏いて 横たわる 火の力 穢れ祓いて 灰となせ」
死体が青白い炎に包まれ、別れの言葉を口にする暇もなく、白い灰になった。
ボランティアの一人が、【導く白蝶】学派を修めたギームン神官に質問する。
「そのハンカチ、どうするんですか?」
彼女は最近、このボランティアに参加したばかりらしい。
ギームン神官は、ウェストポーチから小さなガラス瓶を出して答えた。
「残念ながら、身許を特定できる所持品はありませんでしたが、これを【鵠しき燭台】に掛ければ、ここにご遺体を放置したのが誰であるかと、この男性の身許がわかる可能性があります」
神官戦士の一人が【操水】で白い灰の一部を回収し、ギームン神官が持つ小瓶に入れた。
神官が蓋を閉め、死体のポケットから抜いた使い古しのハンカチを瓶の首に括りつける。
「一旦、王都に持ち帰り、ご遺体の身許を調べてから、遺灰とハンカチをこちらの教会にお返しします」
ギームン神官は、小瓶をウェストポーチに片付けた。
セプテム司祭が、異教の聖職者に深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします」
白い遺灰の残りは、ラキュス湖から吹きつける北風に散らされた。
アミエーラは、一部始終を運び屋フィアールカから借りた動画撮影した。
動画をどう編集して出せばいいか判断ができないので、SNSの「魔獣激ヤバ」氏のアカウントで公開するのは保留する。
一旦持ち帰り、ファーキルやフィアールカに相談してから公開した方がいいだろう。
取敢えず、動画撮影を終わらせ、すぐに出せそうな写真を何枚も撮影した。
☆アーテル共和国が国際司法裁判所に出廷する交換条件
会議……「2355.身勝手な要求」「2356.タダ働きせよ」「2367.税金の使い途」参照
実働1……「2357.マッチポンプ」~「2364.飢餓から救う」参照
実働2……「2393.浸水域の調査」~「2396.住民らの証言」参照
☆アーテル共和国陸軍とバルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊だけの力……「2390.三日で済む事」~「2392.災害ゴミ置場」参照
☆去年の今頃/ウルサ・マヨル・セプテム司祭……「3182.被災地の現在」参照




