3647.アーテルの今
印暦二二〇一年十二月下旬。
歌手ユニット「平和の花束」の四人が、エポス芸能事務所が用意したマンションの一室に集まった。アミトスチグマ王国の夏の都で、アミエーラが一人で暮らす部屋だ。
「アミエーラちゃんとオフの日が一緒になるの久し振り!」
金髪のアステローペがアミエーラに横から抱きつくと、ふっくらした胸に腕が埋まった。
リーダーのアルキオーネが、小さな紙袋を食卓に置いて言う。
「これ、ファンに教えてもらったお菓子」
「レシピ教えてもらってね」
「私たちで作ってみたの」
エレクトラとタイゲタがにっこり笑った。
「お持たせですけど、どうぞ」
アステローペに解放されたアミエーラが、紅茶を淹れて大皿に焼菓子を並べる。
一口大で、刻んだレモンピールを生地に混ぜた貝殻型の焼菓子だ。
「お菓子って、お砂糖とバター、びっくりするくらいたくさん使うのね」
茶髪のエレクトラが、ひとつ摘まんでしみじみ言う。
アステローペが頷いて一個手に取る。
「ホントにこれで合ってるのかなって不安になったし」
「でも、お菓子ってレシピ通りの分量にしないと膨らまなかったり、硬くなったりするって言うからその通りにして」
タイゲタが、頷いた拍子にずれた眼鏡を人差し指で押し戻した。
「教えてもらった通りに作ったら、これがびっくりするくらい美味しかったの」
黒髪のアルキオーネが、ひょいっと口に入れた。
アミエーラも座って、ひとつ食べてみる。
卵、砂糖、小麦粉、バター四同割生地の甘さがレモンピールの酸味で緩和され、噛みしめると真ん中のレモンクリームがじゅわっと口に広がった。重量の割に味わいが軽く、幾らでも食べられそうだ。
……いや、でも、お砂糖とバターたっぷりなのよね?
「食べやすくて凄く美味しいけど、調子に乗って食べ過ぎたら太って衣裳が入らなくなりそうね」
「だから、今日は一人二個よ」
アミエーラの感想で、アルキオーネがニヤリと笑った。
金髪のアステローペが思い出した顔で言う。
「衣裳と言えば、サロートカちゃん、聖職者の衣を完成させてたね」
「アミエーラちゃんも大聖堂の公式動画観た?」
エレクトラが、髪と同じ茶色い瞳でアミエーラの青い瞳を覗き込む。
「ロークさんの火曜礼拝の動画ね? アーカイブで観たわ」
サロートカは、仕立屋のクフシーンカ店長に師事した妹弟子だ。
師匠亡き後、リストヴァー教区で縫製分野を掌る星道の職人として正式に認められた。
大司教になったロークに協力して、魔法の生地と刺繍糸でキルクルス教の聖職者の衣を制作。ロークが担当する毎週火曜の公式生配信で、進捗を報告したものだ。
アステローペが瞳を輝かせる。
「火で炙っても燃えないなんて、スゴイわよね」
「材料を魔法の服と同じのにして、聖典に書いてある通りに作業して、魔法使いの職人さんに仕上げの魔法を掛けてもらったら、力なき民が本体を作っても聖職者の衣が魔法の服になるなんて、びっくりよね」
タイゲタが、二個目の焼菓子を眺めながら、しみじみ言う。
エレクトラが遠慮がちに聞いた。
「あぁ言うの、アミエーラちゃんも、もう作れるの?」
「う~ん……術をひとつだけ刺繍した手袋なら、発動の術もちゃんと掛けられるようになったんだけど、術を幾つも刺繍した服は、まだ全然無理ね」
「呪文が別なの?」
タイゲタが眼鏡の奥で瞳を輝かせて聞く。
「呪文は同じなんだけど、術がひとつだけの小物と、いろんなのが幾つもある服じゃ、全然勝手が違うのよ」
「どう違うの?」
黒髪のアルキオーネも興味津々で食いつく。
「先生は、呪印を針孔に見立てて、そこに魔力で作った糸を通す感じでって教えてくれたんだけど、服の呪印はいっぱいあるから、魔力がこんがらがって上手くいかないの」
「魔力を通す順番って決まってないの? 例えば、上から順番とか」
タイゲタが自分の両肩を摘まんで首を傾げる。
アミエーラは自分の服の胸を指差して答えた。
「これは服全体の魔法をまとめる呪印で、ここが最初なの。で、最後にまたここに戻って来るようにするんだけど、呪印は前と後ろ両方にあるし、呪文を刺繍した術同士の関係もあって、一着ずつ順番が違うのよ」
「えぇ……?」
力なき民の四人が驚く。
「先生は、刺繍した術全体の魔力の流れを読めば、呪印に魔力を通す順番は簡単にわかるって言うんだけど、その流れを読むのがまだまだで」
「魔力を読む?」
「まだ魔法が掛かってないのに?」
エレクトラとアステローペが揃って首を傾げた。
「魔法の刺繍糸自体に少しだけ魔力が籠ってて、呪文を刺繍したらうっすら魔法の気配を感じられるようになるの」
「へぇー……?」
力ある民のアミエーラは修業を重ね、最近になってやっと魔力をぼんやり感じ取れるようになったが、力なき民の四人には、そもそも魔力を感知する能力がなく、全く理解できない感覚だ。
蜜蜂には紫外線がよく見えるが、人間には無理で、紫外線で見る世界は想像もつかない。
魔力や霊視力の有無で、見える世界が異なり、生きる世界が違うのだと痛感させられる。
アミエーラは、四人が急に遠い世界の人になったような気がして心細くなった。
アルキオーネが遠い目になる。
「あの動画、ロークさんの火曜礼拝で一番の視聴者数叩き出してたね」
「ロークさんのって言うか、大聖堂の歴代公式生配信の中で一番よね」
タイゲタが訂正する。
「大聖堂公式チャンネルの登録者が百万人以上増えたって、ニュースでやってたし、スゴイわよね」
アステローペが溜息混じりに感心した。
エレクトラが思い出した顔で話題を変える。
「バズった動画って言えば、この間のバルバツム軍のあれ、酷いわよね」
「あぁ……アーテル人の孤児に【癒しの風】を教えて戦場に送ったとかって言うあれ?」
タイゲタが、心底イヤそうに確認する。
アステローペが恐る恐る聞いた。
「アミエーラちゃんも観た?」
「うん……観たわ。酷いよね」
アミエーラは一昨日のことを思い出し、一気に気持ちが沈んだ。
エレクトラが鞄からタブレット端末を出して言う。
「あの基地の動画のお陰で、再統合賛成派って言うか、バルバツム軍を追い出して、救援物資はフラクシヌス教団に頼もうって人が増えたけど」
アルキオーネが、スカートのポケットから端末を出して釘を刺す。
「SNSでは一部の人が盛り上がってるけど、端末も持てない人たちがどう思ってるかは、わかんないよ」
「あぁ……本体買うどころか、回線代も払えない人、増えたもんね」
タイゲタも暗い顔になる。
アーテル共和国には、世界中のキルクルス教徒から寄付が集まるが、土魚に阻まれ、道路や水道の復旧工事すらままならない地域がまだまだ残る。
星の標はアーテル政府の対策で、一時は弱体化した。だが、資金稼ぎの為に鎮痛剤系違法薬物をバラ撒き、国家再統合反対派と手を組んだことも手伝って、勢いを盛り返しつつある。
そのせいで、アーテル本土では薬物依存症患者が溢れ返った。
また、救援物資に紛れ込んだ正規品に似せた違法薬物や、本物のローシカ製薬製鎮痛解熱剤のせいもあり、薬物依存症患者が急増したのだ。
アーテル政府が救援物資の内、医薬品をすべて断るようになってからは、薬物依存症患者の増加は横這いが続く。
戦後、やっとの思いで再開に漕ぎつけた事業所は、中小企業や個人商店を中心に次々と倒産に追い込まれた。人材不足と経営者の死亡や薬物依存症など原因だ。
食料支援に縋る世帯が終戦直後より増加。経済的な復興が遠ざかった。
アミエーラが紅茶を一口飲んで言う。
「一昨日、結界のボランティアでルフスに行ったんだけど、水だけじゃなくて救援物資も頼みたいって言われて、ギームン神官が困ってたわ」
「フラクシヌス教団宛の寄付なんだから、戦争で家を燃やされたフラクシヌス教徒の為に使いたいでしょうに……厚かましいわね」
アルキオーネが嫌悪感も露わに吐き捨てる。
戦後、ネモラリス王国とラクリマリス王国が再統合を果たし、復興に弾みがついた。だが、他国に援助できる程の余裕はない。
旧ネモラリス領の空襲被災地で農地の不発弾処理が終わり、営農を再開。数年は収穫の増加傾向が続き、食料品の輸入量は逓減した。それでも、天候によっては、戦前の水準に届かない年がある。
人手不足で、更なる収量の増加は足踏み状態だ。
どの分野でも、人材育成が頭の痛い課題で、人の取り合いが続く。
アーテル共和国と再統合しても、人材を補充するどころか、薬物依存症患者の治療、力なき民への魔法教育、治安維持で、却って負担が増すのは、火を見るよりも明らかだ。
「あッ! トレンド……トレンド見て!」
エレクトラがSNSの画面をみんなに向けた。
☆ロークさんの火曜礼拝の動画……「3620.星道記を解説」~「3624.星道記の検証」参照
【余談】蜜蜂には紫外線がよく見える
蜜蜂の色覚は、赤と黄色がわからず、青と緑と紫外線はよく見える。紫外線を写す特殊なカメラを使えば、蜜蜂に世界がどう見えているか何となくわかる。




