3643.そこから先へ
ローク・ディアファネス大司教は、ネモラリス島のクレーヴェル教会で記事を読んで、溜息を洩らした。
武力に依らず平和を目指す仲間が再び集まり、バルバツム連邦軍をアーテル共和国から追い出す動画作戦を展開したが、どうやら蜥蜴の尻尾切りで終わりそうな気配だ。
バルバツム連邦軍が、アーテル人の孤児百人以上に【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】を習得させ、治癒魔法の呪歌と【魔力の水晶】を併用する衛生兵として、アルトン・ガザ大陸南部の紛争地域に派遣した。
ドラクラ共和国内に設置されたバルバツム空軍の駐屯地に潜入し、発端となった動画を撮影したのは、ファーキルが勤務する総合商社パルンビナ株式会社に協力する現地の狩人だ。
ドラクラ人の狩人が、自力で【姿隠し】を使ったか、魔道具を使用したか不明だが、バルバツム兵に気付かれず、声をはっきり拾える至近距離で撮影。被写体が撮影者を全く警戒する様子のない動画は、共通語圏のSNSを中心に内部告発であるとの憶測を呼んだ。
魔法文明圏の住民なら、すぐに【姿隠し】の術を思い浮かべるが、キルクルス教徒にはその知識がない。
同志たちは、この重大な人権侵害と国際法違反事件を魔法の深皿【明かし水鏡】で検証する動画を撮影。【姿隠し】の可能性については一言も触れず、複数の国で公開して拡散させた。
検証動画を作ったのは、ラキュス・ラクリマリス王国電脳軍のラゾールニク少佐と彼の部下だ。
使用した【明かし水鏡】は、ラキュス・ラクリマリス王国軍の備品だろう。
彼らは、マコデス人フリージャーナリストの偽装身分で動画を作成し、記事を書いた。明確に「内部告発ではないか」と推測を述べ、読者の思考を誘導する。
勝手に翻訳をつけて無断転載した動画の一部は、パルンビナ株式会社の日之本帝国とゲオドルム共和国の駐在員たちの仕業だ。
ロークは戦時中、一時的にラキュス・ラクリマリス王国電脳軍のシポーブニク大佐に身体を乗っ取られた為、彼の記憶が残る。
ラゾールニクの正体が王国軍の佐官であることは、クラウストラが常に身に着ける青薔薇の髪飾りに触れて、大佐に記憶を開示されるまで全く知らなかった。
シポーブニク大佐に【制約】を掛けられた為、彼の記憶を誰にも言えないのがもどかしい。
狩人が撮影した駐屯地の動画、ラゾールニク少佐たちが作成した検証動画は、第三者による無断転載も含め、同志たちの思惑通り、爆発的な勢いで複数の言語圏で拡散した。
情報拡散は狙い通りに進んだが、その結果として求める「バルバツム連邦政府の対応」は、想定より冷静で簡潔だ。
そこから先の段階へ進ませるには、もう一押し必要なのだろう。
……どうしたもんかな?
ロークの武器は、キルクルス教団大聖堂のユアキャスト公式チャンネルでの礼拝生配信だ。
ラキュス・ラクリマリス王国の国内向けなら、大聖堂から派遣された司祭たちを通じて、各地の教会でキルクルス教徒に伝達できる。
だが、例の詐欺動画のせいで、ロークが「キルクルス教の聖職者」としてSNSなどで何か一言でも発信すれば、フラクシヌス教徒の叩きコメントが付く。キルクルス教徒がそれに反発してコメント欄がレスバトルの戦場と化し、肝心なことが何も伝わらなくなってしまう。
……まぁ、国内の信徒を動かしたって意味ないしな。
今回、動いて欲しいのはバルバツム連邦政府だ。
一番いいのは、復興支援名目で派遣されたバルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊がアーテル共和国から撤退することだが、この分では動かないだろう。
動画の公開から五日が経過し、連邦内ではアーテル共和国への派兵に反対するデモが勢いを増した。
連邦政府は暴徒と化したデモ隊を排除。複数の逮捕者や死傷者まで出した現場もあるが、デュクス大統領や連邦議員は、決まり文句で平和と秩序を訴えるだけに終始する。
……民主主義国家なのに有権者の意見に聞く耳持たないんだもんなぁ。
確かにバルバツム連邦の憲法や法律は、国民が享受する権利のひとつとして、思想信条の自由に基づき、デモ活動を保証する。
表現の自由のひとつとしてデモが条文に盛り込まれ、当局にデモの届け出をして道路使用許可を得た上で、主義主張を訴えることは違法ではない。
だが、連邦議会には「デモで主張された件を法制化すべきか検討する義務」などはなく、大統領も同様だ。
せいぜい、次の選挙で落選しないように有権者のご機嫌取りをさせる程度の効果しかない。
バルバツム連邦の民意を動すことはできても、現職大統領や議員を辞職に追い込み、アーテルから連邦軍を撤退させる為の政治的な効果は限定的だ。
バルバツム連邦各地で毎週のようにアーテル共和国への派兵に反対するデモが繰り広げられ、既に七年余り経つが、撤退せずに復興支援名目の派遣が続く。
デュクス大統領を信奉する有権者は、「邪悪な魔獣に苦しめられるアーテル共和国の信徒を助ける為の派兵をやめるべきではない」と主張する。
派兵支持者は、有権者の過半数には満たないまでも、層が厚く盤石なので、デュクス大統領たちは強気の姿勢を崩さないのだ。
デュクス大統領と政権幹部の多くは、兵器産業の株主、あるいは彼らの親族が兵器産業の企業経営者で、アーテル共和国に魔哮砲戦争を嗾け、型落ちの無人機などの在庫処分をさせたとの仄暗い噂が付き纏う。
現在も兵を退かないのは、アルトン・ガザ大陸南部の紛争地域で、魔獣や魔法使いのゲリラに対抗する兵器や、戦術の研究をする為だとの声もSNSを中心に囁かれるが、どちらも陰謀論として一笑に付される。
共通語圏で記事として取り上げるのは、大衆紙やフリージャーナリストだ。
湖南語圏では有力紙も事実として扱うが、共通語圏のクオリティペーパーは基本的にその件とは距離を置く。
魔法文明圏では【明かし水鏡】や【鵠しき燭台】などの魔道具を用いれば、関係者に取材するまでもなく、事実関係を確認できるからだ。
キルクルス教徒が多数派を占める共通語圏の国々の大衆は、物証がなくても、魔道具の反応が証拠になると言う理解がなかなか進まない。
……アーテルでの教育支援の件でも言ってみようかな。
アーテル共和国本土では魔獣のせいで通学できないが、それでもどんな教育を受けられるか説明すれば、ドラクラ共和国領内に設置されたバルバツム連邦空軍の駐屯地で、小学生が衛生兵として働かされるよりマシだと思わせることなら、できるかもしれない。
間接的ではあるが、今のロークにできることはこの程度しか思いつかなかった。
キルクルス教団ネモラリス教区を預かる大司教の立場でできることは増えたが、逆にこの立場のせいで、以前のようには自由に活動できないのだ。
アーテル共和国本土では、未だに多数の土魚が土中に犇めき、日々の買物や通勤通学も命懸けだ。
フラクシヌス教団の神官戦士団とボランティアが、定期的にラキュス・ラクリマリス王国からアーテル領へ跳び、教会、病院、学校の周辺で【道守り】の結界を張る。結界が有効な間、その範囲内に限っては、キルクルス教徒の力なき民でも、土魚に襲われる心配なく通行できた。
他にも【操水】による給水、入浴、洗濯、清掃などの支援や、呪歌【癒しの風】によるちょっとした外傷の治療も実施する。
キルクルス教団は、教会で貧困層向けの学習支援活動を続ける。
インターネット回線が復旧した地域では、避難所や教会などで電子教科書を共有し、大学生や教員免許を持つボランティアなどが、教科書に準拠した教育を施すのだ。
未だに回線が復旧しない地域では、ボランティアが出版社の許可を得て紙に印刷した教科書を用意して、同様の勉強会を開く。
首都ルフスでは、ルフス神学校の神学生が毎週日曜、避難所で学習支援活動などを展開したが、神学生クアエスツスによるミェーフ大統領暗殺未遂事件以降、校外での慈善活動を休止した。
神学生が抜けた穴は、地域住民や学習塾関係者などが埋めたので、大きな支障はなさそうだ。
……動画を観た感じ、あの子は共通語もロクに教えてもらってなさそうだよな。
取敢えず【癒しの風】を【魔力の水晶】で発動できるようになった子から順番に紛争地へ派遣する運用なのかもしれない。
ファーキルが、紫連樹の葉を調達する業務に絡んで情報を得たのは、この女の子だけだが、他にも同様の扱いを受ける子供が百人以上も存在する。
検証動画によれば、派遣済みの子が百人以上で百五十人以下だ。
アーテル共和国内のバルバツム連邦軍駐屯地で、呪歌の訓練を受ける孤児がどのくらい存在するかわからない。
……その辺を調べて欲しいけど、クラウストラさんって今どこで何してるんだ?
ロークは別件も含めてここ半年余り、何度もメールを送ってきたが、彼女からは一度も返信がなかった。
☆シポーブニク大佐に身体を乗っ取られた/青薔薇の髪飾り……「2421.恐慌に陥る者」「2424.間諜の【涙】」「2430.シポーブニク」参照
☆例の詐欺動画……「3320.悪意ある動画」「3321.そんな目線で」参照
☆神学生クアエスツスによるミェーフ大統領暗殺未遂事件……「3113.神学生の異変」~「3115.神学校で聴取」参照




