3640.枯野に放つ火
印暦二二〇一年十二月半ば。
ついにデルタ伍長が恐れていた事態が発生した。
アーテル共和国軍フリグス基地の仮設兵舎で二段ベッドの上段に横たわり、私物のタブレット端末を食い入るように見詰める。
湖南語圏最大手のポータルサイトで、国際ニュースの記事に貼られた動画が、デルタ伍長の手を震わせた。
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊輸送第三小隊の隊員としてではなく、バルバツム連邦で生まれ育ち、国籍と良識を持つひとりの国民として、六年前から抱え続けた懸念だ。
印暦二一九五年一月。
バルバツム連邦国防省兵器開発庁のアン主任研究員が、アーテル共和国内で孤児を集め、治癒魔法の効果を持つ歌の訓練を実施。翌年二月、アルトン・ガザ大陸南部の紛争地域に送り込み、実戦配備した。
アーテル共和国のイグニカーンス空軍基地で、深酒したシーザー研究員が口を滑らせた情報によると、ローラとハリスの姉弟は引き離され、それぞれ別の国に送られたと言う。
デルタ伍長が当時はまだ拙かった湖南語で言葉を交わした五人の子供たちの内、霊視力を持つ赤毛のケイトだけがアーテル共和国に残された。この世の肉体を持たない魔物を視認できる彼女は、イグニカーンス空軍病院で呪歌【癒しの風】の詠唱だけでなく、索敵にも使われる。
原隊の輸送第二十七小隊が全滅扱いで輸送第三小隊に再編され、デルタ伍長は、イグニカーンス空軍基地に設けられた駐屯地から、フリグス基地の駐屯地へ異動になった。
彼らがどうなったか。
情報は何も入って来ない。
生きていれば、最年長のアイリンは現在十八歳、最年少だったハリスも十一歳になる筈だ。
あの四人は、たった一年足らずの共通語学習で、衛生兵として実戦配備された。
紛争地域では、現地の子でも学校にも通えないと言うニュースを度々目にする。
彼らが生き残れたとしても、充分な教育を与えられなかった可能性が高い。
アーテル共和国では、孤児の調達が容易いだろう。
あの五人意外にも、同じ扱いを受けた子供が居る筈だ。
バルバツム連邦軍が展開する紛争地域は、両手の指だけでは足りない。
最初の四人で治癒魔法の歌【癒しの風】の効果を実証できれば、連邦政府は秘密裡に追加の人員を調達するに違いない。
デルタ伍長には、幾人の孤児がロクな教育も与えられず、故郷から遠く離れた異国の地に少年兵として送り込まれたか、想像するのが恐ろしかった。
衛生兵とは言え、少年兵は少年兵だ。
バルバツム連邦のデュクス大統領や連邦議員たちが、国際法違反であることを知らない筈はない。
違法行為であると知りながら、アン主任研究員が発案した「治癒魔法特化の衛生兵」の配備を承認し、その事実を隠蔽したのだ。
あの魔法の歌なら、傷の種類を問わず、ほんの数分で体表の損傷が癒える。
熟練の軍医も、縫合糸やガーゼ、包帯なども必要ない。充分な消毒薬があれば、傷口からの感染で死亡する兵士を劇的に減らせる。
経費節減と人的損耗の抑制が同時に叶い、一石二鳥だ。
こんな魅力的な衛生兵を一度でも手に入れたが最後、連邦軍が手放す筈がない。
大聖堂が治癒魔法は悪しき業ではないと公式見解を発表したこともあり、魔法による治療を受けることに罪悪感がなくなった。
アーテル共和国に派遣された兵士の証言やウェアラブルカメラの映像で、治癒魔法に過度の期待を寄せるバルバツム人は多い。
湖南語のニュースによると、件の動画はドラクラ共和国内で撮影され、ユアキャストへの投稿とSNSへの直接埋込みで拡散したと言う。
デルタ伍長も、記事に貼られたリンクでユアキャストの動画を確認した。
撮影者は不明だが、動画に登場するバルバツム兵と野戦病院の医療者、アーテル人らしき少女は誰一人として気にも留めず、至近距離での撮影を許すことから、内部告発の可能性が考えられる。
SNSの投稿は枯野に放たれた火の如く、アルトン・ガザ大陸南部を中心に凄まじい勢いで拡散が進んだ。
翌日には鯨大洋を越え、チヌカルクル・ノチウ大陸東部の日之本帝国とゲオドルム共和国にまで飛び火する。
問題の動画は二本とも、微笑み動画と大時計動画に転載され、それぞれの言語で利用者の多いSNSにも転載された。
微笑み動画は、日之本語話者に人気の動画配信サービスで、同国ではユアキャストに次いで利用者が多い。
大時計動画は、ゲオドルム共和国で開発されたショート動画サービスだが、ほんの数年で急成長し、現在では若年層を中心に絶大な人気を誇る。
ユアキャストと微笑み動画では、元動画に転載者の言語の字幕を追加したものが大量に転載された。
投げ銭目当ての者がこぞって、人気商材の動画に飛びつくのだ。
小遣い稼ぎの者たちは、著作権など気にしない。権利者の訴えで運営に削除されるまで、荒稼ぎできさえすればそれでいい。アカウントを削除されても、すぐに別のアカウントを起ち上げるので、鼬ごっこだ。
これらの動画を再生して、インフルエンサーが解説する動画まである。
大時計動画は、尺の都合で核心的な部分だけを切抜いた動画が出回る。
SNSでは、タブレット端末のバッテリーや接続料を気にする層が、大時計動画版を拡散する。
手軽なショート動画の拡散は、留まるところを知らない。
最初の動画が投稿されてから、ほんの三日でニュースになった。
デルタ伍長の日課は、アーテル共和国で身を守る為の情報を湖南語で集めることだ。個人的に湖南語のニュースを読んでこの記事を発見したが、これだけ話題になれば、他の言語でも報道されただろう。
外語大で履修した日之本語で検索してみると、案の定、通信社やインターネット専門のニュースサイトの記事が引っ掛かった。
……でも、多分、共通語はないだろうな。
言葉の組合せを色々変えて検索してみたが、案の定、共通語の記事は一本もみつからなかった。
共通語圏の大手SNSでサイト内検索してみたが、この動画に関する単語はトレンドに上がらず、検索しても無関係な投稿が上がるだけだ。
……共通語圏ではとっくに手を回して火消ししてるのか。
ユアキャストが今のところ動画を削除しないのは、広告収入や投げ銭の手数料収入が大きいからだろう。
もし、バルバツム連邦政府が手を回して削除させても、微笑み動画や大時計動画までは手が及ばず、そこからの転載が流入するだけで、不毛なモグラ叩きに陥る可能性が高い。
SNSも、バルバツム連邦内に本社やサーバを置くサービスなら検索除外できたが、他国のサービスにまでは手が届かない。
諜報機関がその気になれば、外国企業が相手でもでもどうにかできそうだが、事が露見すれば、同盟国との関係に亀裂を生じかねず、慎重な対応が求められる。
……誰だか知らないけど、上手いコトやってくれたな。
長年抱えた「アイリンたちを救えなかった後悔」が僅かに軽くなる。
同時に元動画の投稿者の安否が気に懸り、関連記事を辿る手が止まらなかった。
☆アーテル人の孤児を集めて治癒魔法の効果を持つ歌の訓練……「3236.任務は空振り」「3243.使い捨て人材」「3254.孤児達と話す」「3255.処遇改善の案」参照
☆実戦配備……「3262.連邦の選挙戦」参照
☆原隊の輸送第二十七小隊が全滅扱いで輸送第三小隊に再編……「3310.失敗した治験」参照
☆情報は何も入って来ない……「3311.解かれた兼務」参照




