3629.情報制限の訳
「記者がSNSで公開した写真を見せてもらってもいいですか?」
「気になります?」
呪医セプテントリオーに頼まれ、アマナは聞き返してそっとアルボル女官長を窺った。
年配のアルボル女官長は、苦い顔をしただけで、いいとも悪いとも言わない。
「え……えぇっと……」
アマナは隣に座るクルィーロに助けを求める目を向けた。
……記者の個人アカウント、ロクでもないコメントが大量についてンだよなぁ。
クルィーロも、若い近衛兵テーメニに視線を向けた。
クレーヴェル城に設けられた呪医セプテントリオーの私室で、目顔の遣り取りが飛び交う。
近衛兵ジャドが咳払いして話を引き取った。
「殿下……その……郷土資料館の記事やSNSの投稿は、折悪しく」
「ん? 何か、問題が?」
呪医セプテントリオーが首を傾げる。
アルボル女官長もインターネットには疎いのか、怪訝な顔で近衛兵ジャドを見詰めた。
中年の女官カタラクタと室内で警備する他の近衛兵は、わかった顔でジャドを見守る。
緑髪の近衛兵ジャドは、意を決して続けた。
「例の詐欺動画の件で……コメント欄に共通語の罵詈雑言が大量にぶら下がり、見るに堪えない惨状なのです」
「えッ?」
呪医セプテントリオーが顔色を失い、アルボル女官長が一瞬で険しい顔になる。
「えーっと……しかし、私は共通語がわかりませんから」
「それが……最近、自動翻訳の機能が試験的に導入されて、湖南語訳が勝手に出る時と出ない時があるんですよ」
クルィーロは背広のポケットの上からタブレット端末を押さえて言った。
呪医セプテントリオーが緑の瞳を輝かせて食いつく。
「便利になったのですね?」
「でも、湖南語訳は精度が低過ぎて出鱈目が多いから、もうすぐ引っ込めるみたいなニュースがありました」
「そうですか……いや! 今でなければ湖南語で読めないのですよね?」
引き下がりかけた呪医セプテントリオーが勢い込んで言う。
……え? 呪医、自分の悪口なんか読んだら、また心臓がヤバいコトになりそうなんだけど?
クルィーロは、近衛兵ジャドに視線で助けを求めた。
「お食事が冷めてしまいましたね。温め直します」
中年の女官カタラクタが【操水】を唱え、料理の水分を操作して再加熱する。
美味そうな匂いが蘇り、クルィーロとアマナはナイフとフォークを手に取った。
食事が再開し、いい感じに話が中断したお陰で、呪医セプテントリオーも黙る。
……女官の人、流石だな。
クルィーロは感心して、食事に集中した。
料理自体は、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの獅子屋とほぼ同じだが、何故か、味はクレーヴェル城のほうがいい。材料の品質や料理人の腕前が違うだけで、ここまで味が変わるのかと驚くばかりだ。
「ご馳走様でした」
「すっごく美味しかったです」
「喜んでもらえて私も嬉しいです」
呪医セプテントリオーが言葉通り、顔中に喜びを溢れさせた。
傍らに控えるアルボル女官長と中年の女官カタラクタがひっそり涙ぐむ。
……何で泣いて……あ、呪医が笑ってるから?
呪医セプテントリオーは過労で倒れて以来、病人として手厚く看護され、抜け出して仕事をしないよう厳重に監視される日々だ。情報を遮断され、面会も自由に許されず、周囲には常に世話と監視を兼ねた城の職員が居て、一人になりたくてもなれない生活が続く。
クルィーロは、呪医セプテントリオーが戦前、ほぼ病院に住みついたような状態で仕事に邁進していたと聞いたことがある。その仕事人間から、自由と仕事を取り上げれば、笑顔が消えて当然だ。
クルィーロは、自分に置き換えて考えてみた。
例えば、何らかの事情でタブレット端末が使えなくなれば、カルタルス商会の業務とマリャーナに頼まれた情報収集に支障が出て、かなり強いストレスを感じるに違いない。
仕事抜きでも、ちょっとした隙間時間にニュースを見るのが習慣になって、他に何をして暇を潰せばいいかわからないくらいだ。
しかも、この呪医は、主治医から読書や書類の確認すら制限されたらしい。情報に飢えた呪医セプテントリオーが、許可を受けた見舞客などにこうしてぐいぐい来る気持ちは痛い程よくわかった。
一方で、彼を守りたいシェラタン女王たちの気持ちも理解できる。
……過労で心臓やられたんだし、女王様たちも心配して見守り要員くらい置くよなぁ。
両方に一理あると思い、クルィーロはどちらの肩も持てなかった。
病院業務を諦めた呪医セプテントリオーが駄々を捏ねたところで、せいぜいがレノたちの作ったパンやお菓子を強請る程度で、可愛いものだ。
……窮屈な生活でもお付きの人に当たり散らさないの、呪医ってスゲーいい人だよなぁ。
クルィーロは、パン籠に残ったロールパンを指差して言った。
「このパンの艶出しって、仕上げに卵黄を塗るんですけどね。ちょっと前までは卵の値上がりが凄くて、艶出しやめてたんですよ。でも、最近は卵の値段が落ち着いて来たから、仕入れが楽になったって言ってました」
「へぇー……フライパンでパン焼いた時もそうだったのですか?」
呪医セプテントリオーが感心して聞く。
移動放送局プラエテルミッサのトラックで共に暮らした当時、彼も調理の様子を目にした筈だが、アナウンサーのジョールチやソルニャーク隊長たちと一緒に情報整理などを担当し、忙しく過ごしたせいで、記憶に残らなかったようだ。
当時、みんなの食事作りを手伝ったアマナが言う。
「フライパンで作ってたのは、ロールパンじゃなくて千切りパンでしたね。あの頃は、卵がなかなか手に入らなかったんで、塗ってませんけど」
「そう言われてみれば、このパンとは違う形で、端が崩れていましたね」
「セプテントリオー殿下がそのように粗末なパンを……?」
中年の女官カタラクタが緑の目を剥いて驚く。
アマナが慌てて説明した。
「あ、いえ、丸く成型した同じ大きさのパン生地をフライパンに並べて、焼き上がったふかふかのパンを手で千切って完成させるって言う種類で、失敗作とかじゃないんです」
「パン焼き釜やオーブンではなく、フライパンでパンを焼けるのですか?」
女官カタラクタが更に驚く。
アルボル女官長も半信半疑の顔だ。
アマナは胸を張って答えた。
「はい。フライパンで焼く用のレシピがあるんですよ」
「検索すれば、レシピサイトがたくさん出てきますよ」
クルィーロが言い添えると、若い近衛兵テーメニが早速、タブレット端末を取り出した。
呪医セプテントリオーが、人参を練り込んだオレンジ色のロールパンをしげしげ眺めて言う。
「今はインターネットで色々調べられますが、店長さんたちは戦時中のあんな状態でも、色々工夫して美味しい食事を用意して下さっていたのですね」
「そうですねぇ。当時は大変でしたけど、ちょっと楽しかったことも色々ありましたよね」
アマナはしみじみ同意した。
☆ロクでもないコメントが大量……「3378.魔力と階層化」参照
☆ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの獅子屋……「0423.食堂の獅子屋」参照




