3628.引換えの五分
緑髪の近衛兵ジャドが、懐中時計を見ながら言う。
「レーグルス殿下、お時間です」
「えぇっ? もう五分? ……先輩、もう少しくらいイイよねぇ?」
軍医レーグルスが床に膝をつき、緩い長衣を纏う呪医セプテントリオーにしがみついた姿勢で、胸元から見上げて彼の顔色を窺った。
呪医セプテントリオーは、猫のように纏わりつくレーグルス王子をやさしい目で見詰めて背中を撫でたが、何も言わない。
近衛兵ジャドは、懐中時計を軍医レーグルスに向けた。
「この五分は我々の懲戒処分と引換えのお時間なのですが」
「あッ……ご、ごめんね?」
軍医レーグルスは可愛く言ってみせたが、年配のアルボル女官長がぴしゃりと撥ねつけた。
「シェラタン陛下にどのように申し開きなさるおつもりか存じませんが、そろそろ魔法薬学会にお戻り下さい」
若い近衛兵テーメニが室内を見回す。
「ところで、レーグルス王子殿下の近衛はどちらに?」
「撒いて来たよ」
軍医レーグルスはケロリとした顔で即答した。
呪医セプテントリオー付きの近衛兵たちが顔を引き攣らせる。
他人事とは言え、クルィーロも胃が痛くなるような心地がした。
……って言うか、王子様、俺らなんて眼中にないんだな。
「お帰りはこちらです」
中年の近衛兵が気を取り直し、軍医レーグルスの手を取って立ち上がらせたかと思うと、ひょいと抱き上げた。
「わッ! じ、自分で歩けるし!」
「自力で歩けても、ぐずぐずなさいますよね?」
軍医レーグルスは痛いところを突かれたらしく、じたばたするのをやめて口を噤んだ。呪医セプテントリオーに名残惜しそうな目を向ける。
扉番の近衛兵がすかさず開け、二人が廊下に出た途端、素早く閉めた。
「下ろして」
「いいえ。殿下が確実に魔法薬学会へお戻りになるのを確認せねばなりません」
扉の向こうで軍医レーグルスと中年の近衛兵が押し問答を始めた。
廊下側から扉を警備する女性近衛兵ラシーハが、呆れた声を出す。
「扉の前でぐずぐずなさっても、これ以上、セプテントリオー殿下にはお会いできませんよ」
「だって……少しでも先輩の近くに居たいんだもん」
「居たいんだもんではございません。お戻り下さい」
最終的に二人掛かりで摘まみ出されたらしく、レーグルス王子の文句を言う声が遠ざかって行った。
扉を見詰める呪医セプテントリオーが、大きく息を吐いてクルィーロとアマナに向き直る。
「騒がせてしまってすみませんね。レーグルス殿下は、慣れない講師の仕事で精神的に弱っておられるのでしょう」
「いえいえ、そんな……呪医は王子様に凄く懐かれてるんですね」
「そうですねぇ……軍医の先輩として尊敬しているとは言っていましたが、まさかこれ程とは……まぁ、甘えているだけで、本気で抵抗する気のない茶番ですが」
アマナに言われ、呪医セプテントリオーは苦笑した。
レーグルス王子が魔力を籠めて命令すれば、近衛兵の魔力では抵抗できない。
……王子様は親兄弟と仲が悪いから、親戚のおじさんに懐いてるんだろうな。
他人の家庭の事情にあまり踏み込むのはよくないと思い、クルィーロはやや強引に話題を変えた。
「半年くらいで見学者が十万人も来るなんて凄いです」
「私も何故、こんなに大勢が訪れたかわからないのですよ」
郷土資料館にした家屋敷の元所有者セプテントリオーが首を捻る。
「おうち本体も、家具とか絨毯とか肖像画とか何もかもが凄くキレイで、素敵なものがいっぱい見られて目が幸せって言うか、勉強だけど凄く楽しかったですよ」
アマナは瞳を輝かせて力説した。
中年の女官が控えめに発言する。
「僭越ながら、理由の判断材料でしたら持合せがございます」
「判断材料……? カタラクタ、教えて下さい」
「御意」
中年の女官カタラクタが姿勢を正して答えた。
「開館直後は、若い世代が旧王国時代と半世紀の内乱時代について学びやすい資料であることから、教育委員会からの視察が、連日のように入ったそうでございます」
「成程。歴史の勉強用なのですね」
呪医セプテントリオーが納得する。
「左様でございます。それに加え、旧王国時代にセプテントリオー殿下と交流のあった方々が、当時を懐かしんでのご訪問も非常に多いそうです。何度も足を運ばれる方々も少なくない為、延べ人数が増えたのでございます」
「えっ? そんなことまでわざわざ調べてくれたのですか?」
呪医セプテントリオーが驚く。
「いえ、親戚の者がデレヴィーナ市教育委員会に勤めておりまして、彼女からの伝聞ではございますが、ミーリカ市教育委員会が把握した情報でございます」
「校外学習って、普通は何年も前から計画を練って予定を立てるそうなんですけど、それじゃ上の学年の子が卒業しちゃうし、力なき民の個人だとミーリカ島にはなかなか行けないから、今年度は春の視察で呪医のおうちを管理してる人に仮予約させてもらって、二学期以降に校外学習する学校が多いって先生が言ってました」
「そうだったのですか」
アマナが理路整然と補足し、呪医セプテントリオーが納得した顔になる。
……そう言えば、セルジャントさんも元騎士だし、初日に来てたってファーキル君が言ってたなぁ
アマナが兄クルィーロに笑顔を向ける。
「ファーキルさんとフィアールカさんも、初日に行ったって言ってたもんね」
「旧王国時代の知合い……ファーキル君から聞いたんですけど、アミトスチグマで駐在武官してるセルジャントさんも、開館記念式典の抽選に当たって来てたそうですよ」
「セルジャントが……」
クルィーロが付け加えると、呪医セプテントリオーは露骨に渋い顔になった。
近衛兵ジャドが笑いを噛み殺して横向く。
アマナは、近衛兵の微妙な顔に気付かず続けた。
「それから、記者の人たちも取材に来てて、ポータルサイトにいっぱい開館記念式典の記事が載って、記者の人が記事に載らなかった写真を自分の個人アカウントで出して、SNSで凄い拡散されてますよ」
「成程。それらの写真を見て、自分の目で見たいと思った人が増えたのですね」
女官カタラクタが更に言う。
「夏季休暇の時期には外国からの見学者……特に湖の民の見学者が急増したそうでございます」
……ほぼ女神様の家に入れる機会なんて、そうそうないもんなぁ。
アマナが瞳を輝かせて声を弾ませる。
「呪医、大人気ですね」
「安く見学できる貴族の館が物珍しいだけですよ」
呪医セプテントリオーは、弱々しく笑って謙遜した。
……そう言えば、フィアールカさんが手配してくれたホテルも、貴族のお屋敷を居抜きで使ってる奴だったな。
宿泊料が高そうで客層も上流階級か金持ちばかりで、クルィーロは場違い感でいたたまれなかったのを思い出した。
あのホテルでは、従業員の制服の方がクルィーロたち難民の服より上等だった。
クルィーロはしんみりした気持ちを振り払って話題に入る。
「元貴族のお屋敷って……まぁ、今も住んでたら招待されない限り入れませんけど、一般人でも入れる“旧なんとかさん邸”って確かに少なそうですね」
「ミーリカ市議会が、学習支援の為になるべく入館料を低く抑える議決をしたそうです。校外学習などの団体割引もございますから、貴族の邸宅に招かれることのない階層の方々に大変好評なのですよ」
女官カタラクタは、親戚から聞いたと言う情報をすらすら並べた。
☆フィアールカさんが手配してくれたホテル……「535.元神官の事情」=シクールス陸軍将補の実家「678.終戦の要件は」「2905.過去を手放す」参照




