3626.十万人目記念
「クルィーロ様、セプテントリオー殿下の印象について率直に仰って下さい」
年配の女官に声を掛けられ、クルィーロは驚いて、応接机の傍らに控える彼女を見た。何か思うより先に口が勝手に動く。
「再統合式典で会った時より痩せちゃったし、白髪スゲー増えたし、何かげっそり窶れてアゴーニさんより年上っぽく見えるけど、ニュースには病気は治ったって書いてたから、このザマでも大丈夫なんだよな?」
壁際や扉脇で控える緑髪の近衛兵たちが、クルィーロの言葉に何度も頷く。
……え? ヤベェ……今の、魔力を籠めて命令されたのか?
クルィーロは血の気が引いた。
隣で、アマナが気マズそうに呪医セプテントリオーを窺う。
呪医セプテントリオーは眉間に皺を寄せ、年配の女官にふくれっ面を向けた。
「アルボル女官長……今のはあんまりではありませんか?」
「殿下はお疲れがまだ抜けておられませんのに全くそのご自覚がなく、いつもご無理をなさいますので、我々は気が気でありません。第三者の目からどのように見えるかお伝えした方がよろしいかと存じまして、そのように致しました」
「えぇっと……失礼なコト言ってすみません。でも、思ってたより元気そうって思ったのもホントなんです」
クルィーロの心臓が、鎮花茶の薬効を振り切って激しく拍動する。
呪医セプテントリオーは苦笑した。
「思ったより元気そう……どんな重病人だと思っていたのですか?」
「え? だって、狭心症って最悪、命に関わる重病じゃないですか」
「私も、治ってからもそれで心臓が弱ってて危ないのかなって思ってたんですけど、普通に立ってらしたから、あ、意外と大丈夫そう? ってちょっと安心しました」
アマナが言うと、呪医セプテントリオーは寂しそうに笑ったが、それ以上は言わなかった。
年配のアルボル女官長が、険しい顔で苦言を呈する。
「セプテントリオー殿下の心臓が弱っておいでなのは事実です。過労で魔力嚢が疲弊し、日によって魔力の出力が不安定になっておられるのです」
クルィーロは驚いて、半身を捻って女官長に向き直った。
「えッ? それってヤバくないですか?」
「えぇ。過労による衰弱は【見診】では視認できませんので、なかなか自覚して下さらないのですが、我々の目は誤魔化せません」
アルボル女官長が苦い顔で言うと、女官二人と近衛兵たちも深く頷いて同意を示した。
「呪医が無理するって……こっそりお部屋を抜け出して、病院のお手伝いに行っちゃうとかですか?」
アマナが、案内役を務めた若い近衛兵に聞く。
ソファの傍らに立つ緑髪の若者は、苦笑した。
「いえ。それはシェラタン陛下のご命令で、我々が断固阻止しております。それでも、保健省の報告書を長時間お読みになられるなど、今のお身体にはご負担の大きいことをなさ」
「テーメニ!」
呪医セプテントリオーに呼称を呼ばれ、若い近衛兵は口を噤んだ。
……今の呪医って、書類も読めないくらい弱ってるんだ。
クルィーロは愕然とした。
心臓の裏側にくっついた魔力嚢は、魔力を生成・貯蔵する臓器だ。
狭心症は、他の呪医が魔法薬で治療して完治させたと言う記事を幾つも読んだので、血液の循環に関する心臓の機能は無事に回復したのだろう。だが、魔法を使うのは、控えた方がよさそうな状態なのかもしれない。
クルィーロ自身は魔力切れで倒れたことなどないが、薬師アウェッラーナがネモラリス島北部の農村で倒れるところは目の当たりにした。彼女は麻疹の治療薬を大量に調合して過労で倒れたのだ。
一カ月そこそこの過労で三日も寝込んだのだから、三百六十五連勤を七年余り続けた呪医セプテントリオーには、もっと休養が必要だろう。
……アウェッラーナさんもそうだったけど、自分が休んだら人が死ぬ系の仕事の人って、自分を二の次にしやすいよな。
呪医セプテントリオーは戦時中、難民キャンプの医療支援をした。
あの当時は、居候先のマリャーナが、平日は日没までに帰るよう厳命し、「日曜に休まないなら、難民キャンプ宛の救援物資を止める」云々と脅して無理矢理休ませた。
王族に戻った現在、呪医セプテントリオーに強く言えるのは、彼より上位の王族か、シェラタン女王の命令を受けた家臣くらいなものだ。
呪医セプテントリオーが、拗ねた口調でクルィーロとアマナに告げ口する。
「十万人目の見学者の件も、新聞の切抜きを他の記事と一緒に見せただけの事後報告で、何も教えてくれなかったのですよ」
「その件はカミェータ様が引受けて下さいましたし、事前にお知らせすれば、ご自身で式典に参加なさろうと、ご無理を通すおつもりでしたでしょう?」
アルボル女官長はぴしゃりと言った。
……どっちも大人げないけど、俺はこのおばさんに同感だな。
クルィーロは、鎮花茶を鼻先に持ち上げて深呼吸した。
白磁のティーカップをよく見ると、薄青い上品な装飾に混じって【頑強】が施してある。パッと見では魔法の呪文に見えないキレイな意匠に感心した。
魔法で守られて割れない食器を見て、思い出したことを口にする。
「そう言えば、本人から聞いたんですけど、見習いの人がファーキル君にお茶こぼしちゃったそうですね」
「ファーキル君には申し訳ないコトをしてしまいました」
呪医セプテントリオーが変更された話題に乗って、言葉通り申し訳なさそうな顔になる。
「彼女はこのお部屋で、お城勤めの研修を受けておりました。見習いの不手際は私の監督不行届きでございます。その節はお客様の前で御身に大変な恥をかかせてしまいまして、誠に申し訳ございませんでした」
アルボル女官長はクルィーロとアマナに説明し、途中から呪医セプテントリオーに顔を向けて頭を垂れた。
「いえ、あなた方もランクスも、よく頑張ってくれたと思っていますよ」
「その見習いの人って……今は……どうしてるんですか?」
アマナが恐る恐る聞いた。
呪医セプテントリオーが明るい声で答える。
「その後、正式に採用されて、今は別の部署で働いていますよ」
「クビにならなくて済んだんですね」
アマナがホッとした笑顔で確認する。
「えぇ。今は、この城の厨房で皿洗いを担当しています。どの食器も【頑強】が掛かっているので、落としたくらいでは割れませんし、活き活きと働いているそうですよ」
……お城の洗い場って食器多そうって言うか、伝聞? 呪医は台所とか行かせてもらえないんだな。
小腹が空いても気軽につまみ食いなどできないのだ。
クルィーロは、これまた立派な食器に盛られたクッキーを一枚手に取った。何気なく口に入れて、馴染みのある味に驚く。
「あれっ? これって、レノたちが作ったヤツですか?」
「え?」
アマナも急いで一枚口に入れる。
「あ、ホントだ!」
「わかりますか。そこのジャドに我が儘を言って、買ってこさせた甲斐がありました」
呪医セプテントリオーが、案内役とは別の男性近衛兵を掌で示して、嬉しそうに笑う。名指しされた近衛兵ジャドは、窓の横で照れ笑いを浮かべて会釈した。
「お昼ごはんのパンも椿屋さんから取り寄せましたので、一緒に食べましょう」
「ティスちゃんたちって、ホントに王室御用達の凄腕職人なのねぇ」
アマナがしみじみ言い、クッキーをもう一枚取って見詰める。
「こう言うことなら、ダダを捏ねれば通るんですよ」
呪医セプテントリオーが言うと、アルボル女官長は横を向いて咳払いした。
近衛兵たちが笑いを噛み殺して変顔になる。
呪医セプテントリオーが姿勢を正して二人に言う。
「もうひとつダダを捏ねてみたのが、十万人目の見学者に直接、記念品を手渡すことなのですよ」
「当日に記念の立派な入館証とキレイな花束と、素敵なコースターをいただきましたけど……?」
アマナが遠慮を滲ませる。
呪医セプテントリオーはリボンを掛けた箱を掌で示した。
「あれは、ミーリカ市教育委員会と私の元使用人からです。これは、私個人からです」
「館内で解説して下さった年配の男の人……サタさん……だったかな? お元気でしたよ」
「えぇ。サタは旧王国時代、徴税官吏として我が家に仕えてくれた元男爵です」
アマナが記憶を手繰って言うと、呪医セプテントリオーは明るい声で肯定した。
「遅くなりましたし、座ったままですみませんが、どうぞ」
「有難うございます」
ソファに座ったまま、応接机越しに記念品の箱を授与する。
「開けてみてもいいですか?」
「どうぞ」
呪医セプテントリオーがにっこり笑う。
使用中のものとは少し意匠の異なるティーカップ一脚だ。
「これも【頑強】が掛かっているので、魔力の供給がある限り、落としても割れません」
「すっごくキレイ! 有難うございます!」
「オルラーン家の家宝にします」
アマナが押し戴き、クルィーロが一言付け加えると、呪医セプテントリオーは楽しそうに笑った。
視界の端でアルボル女官長も頬を緩める。
午前のお茶の時間が終わるまで、他愛ない近況を語り合った。
☆魔力嚢……「3377.魔法用の臓器」参照
☆薬師アウェッラーナが(中略)倒れるところは目の当たりにした……「1286.接種状況報告」参照
☆三日も寝込んだ……「1284.過労で寝込む」「1285.朝の押し問答」参照
☆見習いの人がファーキル君にお茶こぼしちゃった……「3517.お茶会の来客」参照




