3620.星道記を解説
正式に星道の職人となったサロートカが、実証実験の為に制作した聖職者の衣が完成した。
ローク・ディアファネス大司教は、サロートカと【編む葦切】学派の職人をネモラリス島のクレーヴェル教会に招いて、仕上げの術を火曜礼拝で生配信する。
作業の進捗は、メールやビデオ通話で少しずつ聞いていたが、ロークが彼女の手掛けた衣の現物を手にするのは初めてだ。
場所はいつもの大司教執務室だが、カメラは執務机に座るロークではなく、部屋の中央に置いた応接机に向く。
大司教の衣に身を包んだロークはカメラの前に立ち、ネーニア島のリストヴァー市から呼んだサロートカと、この教会の近所にある仕立屋から呼んだ縫製職人を掌で示して共通語で紹介した。
「聖なる星の道を歩む皆様。ついに魔法の糸で作った聖職者の衣が完成致しました。本日の火曜礼拝の生配信は、縫製分野の星道の職人サロートカさんと、【編む葦切】学派を修めた縫製職人フィランスロピオンさんをクレーヴェル教会にお迎えしてお送りします」
「おはようございます。サロートカです。ついこの間、星道の職人になったばかりの若輩者ですが、よろしくお願いします」
「おはようございます。縫製職人です。フィランと呼んで下さい。まさか、魔法使いを教会に入れてくれるとは思ってもみませんでした。本日はよろしくお願いします」
サロートカと中年の湖の民が、カメラに向かって一礼した。
信徒会の青年たちが、サロートカとフィランの湖南語を共通語訳した。
執務机のディスプレイは、応接机に向けて、生配信の画面を表示させている。
ユアキャストの大聖堂公式チャンネルは、配信が始まった直後に過去最高の視聴者数を叩き出した。
ローク自身、【編む葦切】学派の職人が仕上げの術を掛けるところを見るのは初めてだ。信徒の期待と好奇心に共感できた。
白黒のハチワレ猫も、キャットタワーの上から固唾を飲んで見守る。ラキュス・ラクリマリス王国が監視に付けた使い魔だ。
ローク・ディアファネス大司教は、早速、応接机の傍らに置いた書見台に移動して、聖職者用の聖典を開いた。
撮影係を買って出た教会事務員が、カメラを操作して聖典のページを大写しにする。
「本日は、星道記の縫製の章を見てゆきます。PDF版の聖典をダウンロードしたみなさんは、動画と並べて閲覧して下さい」
ロークは宣言して扉絵を指差した。
細い草で巣を編む小鳥を描いた細密画の上には、古い綴りの共通語で「縫製の章」と書いてある。
三秒待って、ページを捲った。
最初の内容は、下級聖職者用の衣の型紙と刺繍の指示だ。
「サロートカさんには、こちらの衣を制作していただきました。このページには、古い共通語で、聖職者の衣の具体的な作り方と注意点が記されています」
ロークは言葉を切って、執務机のディスプレイに目を遣った。
生配信のコメント欄には、共通語の短文が次々と流れてゆく。
……大したコメントはないな。
星道記の説明文は、上に共通語の古語、その下には力ある言葉が並ぶ。
素材屋プートニクの話によると、星道記は魔導書の丸写しだ。上の文字列は、当時の一般的な言語に翻訳したメモなのだろう。
「まず、最初の行には“生地と刺繍糸の材料は、鱗蜘蛛の糸、または多刺蟹の糸を使用する”と書いてあります」
ロークは単語を指でゆっくりなぞりながら言ったが、古語なので、共通語話者でも大半の信徒は読めないだろう。
コメント欄を横目で見ると、案の定〈読めない〉〈糸しかわからない〉の一言がずらずら流れてゆく。
「鱗蜘蛛は蜘蛛型の魔獣です。フィランさんのような魔法使いの職人さんは、鱗蜘蛛から取り出した糸を魔法を掛けながら紡いで、この世に定着させます」
「その【糸紡ぎ】の術は、魔力量は少なくてもいいんですけど、紡いでいる間はずっと一定の出力で魔力を籠めながら呪文を唱え続けなきゃいけないんで、慣れてないと魔力にムラができて、できた糸がすぐ切れてしまいます」
縫製職人フィランが【編む葦切】学派の魔法使いとして、説明を補ってくれた。
ローク・ディアファネス大司教が、信徒の疑問を代弁する。
「無原罪の清き民は、糸紡ぎを代行できないんですか?」
「鱗蜘蛛の糸は無理ですね。多刺蟹の糸なら、魔法が要る工程もありますけど、甲羅を糸にする工程の一部は機械でもできるんで、その部分は力なき民に代行してもらえます。実際、ウチの工房はマチャジーナ市の工場から仕入れてるんですよ」
「多刺蟹も魔獣ですか?」
ローク自身は知っているが、水棲生物と縁遠い信徒の為に質問した。
縫製職人フィランがすらすら答える。
「いえ。多刺蟹はこの世の蟹なんですけど、魔獣の肉とか、魔力を含む餌を与え続けると甲羅に魔力を蓄積するんですよ。で、その甲羅を加工した糸は、魔力を保持するんで、魔法の服とかの材料になるんです」
「丁寧なご説明を有難うございます」
〈蟹って何だ?〉
〈病気? 癌?〉
「蟹は節足動物に含まれる甲殻類です。海や湖沼、河川などの水中に棲息するものが大半で、小さいですが、ミジンコもこの仲間です」
ローク大司教が図鑑的な説明を付け加えると、無数の驚きがコメント欄を駆け抜けた。
「あ、そうだ。要るかもしれないと思って持って来たんですよ。甲羅」
フィランがソファの向こうへ回り込み、リュックサックを開けた。【頑強】の刺繍入り保護手袋を着けて蟹の甲羅を引っ張り出す。元の位置に戻ると、大きな棘の生えた泥色の甲羅をカメラに向けた。
〈この世のものとは思えない棘だな〉
〈ラキュス・ラクリマリス王国にはあんなのが普通に居るんだ?〉
ロークは大司教の衣を指で摘まんで言った。
「私のこの衣もそうですが、現在の聖職者の衣は、鱗蜘蛛や多刺蟹の糸で作られたものがありません。絹や木綿などです」
「魔法使いでないと加工できませんから、魔法使いの居ない国や地域だと、他の素材を使うしかありませんものね」
サロートカが納得した顔で言う。
フィランが甲羅をリュックに片付け、代わりに大きな糸束を持って戻った。
「これが多刺蟹の糸なんですけど、この糸はどう頑張っても染まらないんで、医療関係者や調理師の白衣とかによく使われます」
絹のように光沢のあるキレイな白だ。
〈元々真っ白一択の糸で作ってたから、今も司祭様とかの服って真っ白なんだ〉
〈光を表す為に白一色なんだと思ってた〉
〈素材の都合だったのね〉
コメント欄では、似たような一言コメントが凄い勢いで流れていった。
☆サロートカが、実証実験の為に制作した聖職者の衣……「3116.疑われる立場」「3117.弟子と大司教」「3329.【不老の術】」参照 聖職者の衣進捗
☆多刺蟹……「1801.養殖沼の見学」「1803.沼地の生き物」「1804.扉が開く沼地」参照




