3621.魔導書の抄本
「次の一文は注意書きですね。“刺繍は力ある言葉の文字の書き順と綴りの順番通りに刺すこと”と書いてあります」
ローク・ディアファネス大司教は、書見台に置いた聖職者用の聖典の一文を指でなぞりながら、共通語の古語を読み上げた。
生配信の為に呼んだ縫製職人フィランスロピオンが、【編む葦切】学派の職人として、湖南語で付け加える。
「服全体の縫製と刺繍は、力なき民でも代行できます。でも、書き順と綴りの順番通りに刺繍しないと、後で仕上げの術を掛けた時、魔力の流れがぐちゃぐちゃになって、折角、頑張って刺繍しても、魔法の効果を付与できなくなってしまうんですよ」
クレーヴェル教会信徒会の青年が、すかさず共通語訳した。
ロークが、聖典のページをポンと叩いて言う。
「力ある言葉の文字の書き順は、夏祭りの踊りの振り付けとほぼ同じです。文字ひとつひとつの書き順は、聖典の一番後ろのページにまとめて載っていますので、後で確認して下さい」
〈夏祭りの踊りが文字?〉
〈力ある言葉って何?〉
〈舞踊の章も見る?〉
〈突然の追加情報〉
執務机に置いたディスプレイで、生配信の画面に共通語の一言コメントが流れてゆく。
ロークは短文の疑問を無視すると決めて、共通語で星道記の縫製の章の説明を続けた。
「星道記に収録された聖職者の衣の型紙をご覧下さい。力ある言葉を綴る刺繍の位置が図示してあります」
「この部分は、力ある言葉の呪文じゃなくて、魔力の流れを制御する呪印です」
縫製職人フィランが、型紙の中にある複雑な図を指差した。
ロークが湖南語でフィランに聞いてから、共通語で言い直す。
「呪印はとても難しい形ですし、力ある言葉の呪文を一文字ずつ刺繍するのは大変な手間ですね。最近は刺繍できるミシンもありますけど、あれはどうですか?」
「ミシンは魔法の刺繍の代行としては全然、使い物になりませんよ」
「どうしてですか?」
ロークは信徒の疑問を代弁した。
「あれは書き順を無視して、図柄のデータを横一直線で平行に刺してくせいで、魔力の流れがぶった切られてしまうんですよね」
「成程。それで、修道院では、聖職者の衣と祭り衣裳の縫製にたくさんの時間を割くのですね」
ロークは、自分の中に残されたラキュス・ラクリマリス王国軍の諜報員シポーブニク大佐の記憶で、魔法の刺繍の仕組みについてもよく知っている。だが、キルクルス教の大司教としての顔で納得してみせた。
「文字は書き順通り、単語の綴りはその言葉の順番通りに手作業と同じ手順で刺繍できるミシンが開発されたら、かなり楽になると思いますけどね」
「今のところ、そんな……ペンで文字を書くのと同じように刺繍できる機種はなさそうです」
星道の職人サロートカが、縫製職人フィランの隣で苦笑した。
クレーヴェル教会信徒会の青年たちは、湖南語のそんな遣り取りまできっちり共通語訳する。
ロークは聖典を捲り、文字を指でなぞりながら読み上げた。
「ここには、“善き業のすべての刺繍を終え、生地を縫製し、衣を完成させることは、無原罪の清き民にも可能な助力である”と書いてありますが、誰を手助けするかについては一言も記されていません」
「星道記が執筆された当時の認識では、誰のことか言うまでもないくらいの常識だったから省略されたんでしょうか?」
星道の職人に就任したばかりのサロートカが、大司教になったロークに聞く。
ロークは、バンクシア共和国の最高学府である精光ルテウス大学で学んだ知識に基づいて答えた。
「キルクルス教神学では、そのように解釈する学説もありますが、大抵は、一般信徒による聖職者への助力と解釈する学説が有力ですね」
「その本の直筆原稿が残ってたら【鵠しき燭台】に掛けて……あぁ……やっぱ無理かな? 何千年も遡って見るの、凄い魔力要るから」
縫製職人フィランが言い掛けたが、あっさり諦めた。
信徒会の青年たちは、魔法に関する用語もすらすら共通語訳してみせる。
「ハイかイイエで質問すれば、レフレクシオ司祭様が何度も使用なさった【明かし水鏡】でよさそうですが、どうでしょう?」
ロークが聞くと、魔法使いのフィランは顔を明るくした。
「あ、それいいですね。警察や裁判所が貸してくれるかわかりませんけど」
「そうですね。高度な魔道具は数が少ないですし、あれを起動できる強い魔力を持つ係の人は、人手不足で通常業務だけでもかなり忙しいそうですから」
ローク・ディアファネス大司教と縫製職人フィランが諦めると、コメント欄に落胆が広がった。
フラクシヌス教徒のフィランが、このページの下三分の一を占める余白を指差して言う。
「ここから先の工程は、何も書いてないんですね?」
「無原罪の清き民にできることは、これだけですからね。普通の服ならこれで完成ですし」
ロークが言うと、フィランは苦笑した。
「魔法の服作りとしては、ここから先が本番みたいなもんですよ」
「本日は、その、魔法の服作りの本番、仕上げの魔法を掛けるところを生配信させていただきます」
ロークは振り向いてカメラを掌で示した。台本などはないが、上手く繋げられたと思う。
縫製職人のフィランがカメラに向き直り、首から提げた銀の徽章を指差した。
「これは、色々な物に魔法の効果を付与する【編む葦切】学派を修めた術者の身分証です」
「へぇー……縫製の章の扉絵と同じ小鳥なんですね」
星道の職人サロートカが感心してみせる。
ロークは聖職者用の聖典を捲り、扉ページに戻った。
教会事務員が動画を撮るカメラを操作し、細密画の扉絵を大映しにする。
フィランがソファの後ろに回り込み、鞄から魔導書を出した。書見台に置いた聖典の隣に並べて持つ。銀箔で文字と絵を付けた革張りの表紙は、題名と絵柄こそ異なるが、構図と鳥の種類はそっくりだ。
〈そっくり〉
〈パクり?〉
〈あれって何の本?〉
〈聖典の成立って二二〇〇年ちょい前だよな?〉
執務机に置いたディスプレイで、生配信のコメントが流れてゆく。
縫製職人フィランは、魔導書を捲って型紙のページを開いた。
「これは【編む葦切】学派の初級魔導書です。で、ここは服に防禦の術を施す手順を解説した初学者向けのページです」
ロークは聖典を捲った。先程見たページは、魔導書とほぼ同じ型紙と文言だ。聖典には、力ある言葉の上に共通語の古語が並ぶが、魔導書にはそれがない。
「この魔法の系統……学派による魔法の分類は、三界の魔物と戦っていた時代に霊性の翼団が作ったものです」
「霊性の翼団は、現存する最古の魔法使いの国際互助組織ですよね?」
ロークがキルクルス教の聖職者として、魔法に縁のない力なき民の信徒の為に質問する。
魔法使いのフィランは頷いて説明を続けた。
「はい。それ以前の時代には、必要に応じて色々な術をバラバラに学んでましたが、三界の魔物に対抗する為に霊性の翼団が結成されて、魔法を用途ごとに分類して、系統立てて、段階を踏んで学べるように魔導書を編集しました」
「三界の魔物と戦ったのって、キルクルス教が成立する何千年も前の大昔ですよね?」
星道の職人サロートカが確認する。
「そうです。魔法使いの三割くらいは、何事もなければ千年くらい生きられる長命人種なんで、数千年前って言っても、あの人たち目線だと、あんまり昔って感じじゃないんですよね」
サロートカが、緑髪の中年男性フィランスロピオンに聞く。
「フィランさんは違うんですか?」
「俺はキルクルス教徒の皆さんと同じ、毎年老けてく常命人種なんで、何千年も前は大昔扱いですよ」
湖の民フィランは苦笑した。
カメラがローク・ディアファネス大司教を映す。
「私たちの聖典は、三界の魔物によって大きな被害を受け、土地の魔力と魔法を使える人材が著しく減少したアルトン・ガザ大陸北部で、生き残った弱い人々を守る為、無原罪の清き民でも魔法使いの手助けをできる部分を抜粋した魔導書の抄本なのです」
生配信のコメント欄を驚きの言葉が駆け巡った。
☆シポーブニク大佐の記憶……「2430.シポーブニク」「2434.道具の言い分」「2451.ロークを使う」「2490.双方を知る者」参照




