第六章「半減期」
「一日に、十回だと?」
俺は思わず聞き返した。
カウンターの向こうに立っていたのは、城門の夜警をしているという、目の下に濃い隈を作った男だった。名をガレンといった。頬がこけ肌は土気色で、立っているだけで、時々ふらりと揺れた。
初めて店に入ってきたとき、彼は開口一番、こう言った。
「もっと強い、覚醒薬をくれ。金は、いくらでも払う」
俺は彼の様子を、ひと目見て思った。この人は、強い薬が足りないんじゃない。足しすぎているんだ、と。
彼は腰の袋から、見覚えのある小瓶を取り出した。眠気を飛ばし力を漲らせる、覚醒の霊薬。瓶は、袋の中に何本も入っていた。カチャカチャと、ガラスの触れ合う音がした。
「効くのが、二時間くらいなんだ。切れると、まぶたが落ちる。だから、切れる前にまた飲む。夜通し、二時間おきに。もうこれがないと、立ってられん」
彼の手は、細かく震えていた。瓶を握る指が、白い。
「でも近ごろ、心臓が変なんだ。夜中に、急にどくどくと速くなる。息が、詰まる。……もっと強いのに、変えたほうがいいか」
「いえ。逆です」
俺は彼の飲む量を帳面に書き出した。二時間おき、十回。数字が並ぶと、一目でわかった。多すぎる。
「ガレンさん。あなた、“効き目が切れた”と思って、飲んでますよね。でも本当は、切れてないんです」
「切れてない?」
「薬には、半減期っていうのがあります」
俺はまた一つ、この世界にない言葉を置いた。
「薬を飲むと、体の中でじわじわ働いて、じわじわ消えていく。その“効き目が、半分になるまでの時間”を、半減期って言います。……この覚醒薬の半減期は、たぶん、六時間くらいある。つまり二時間で切れた気がしても、体の中にはまだ半分以上、残ってるんです」
ガレンがぽかんとした。
「残ってる……?」
「はい。まだ効いてるのに、あなたは“切れた”と感じて、また飲む。すると前の分と、新しい分が、体の中で積み重なっていく。十回飲めば、十回ぶんが、少しずつ抜けきらずに溜まる。夜が明けるころには、体の中は覚醒薬でいっぱいだ。……その心臓の動悸は、飲みすぎのせいです」
俺は卓の上に、水の入った器を置いた。それに墨を一滴、落とす。
「これが一回目の薬です。広がって、薄くなっていく。半分になるのに六時間。……でもあなたは二時間でもう一滴、足す」
俺は墨壺から、ゆっくりと二滴目を落とした。
「これが二回目。あなたは、一回目がまだ半分も消えていないのに、足した」
黒い雲が、器の中でぶつかり合う。
三滴目。四滴目。
器の水が、みるみる黒く濁っていく。もう、底が見えない。
「五回目、六回目。……十回目には、こうなる」
最後の一滴を落とすと、水面が真っ黒になった。墨の匂いが、鼻をついた。
「前のが消える前に次を足す。だからどんどん、濃くなる。あなたの体の中で、今起きてることです。これがあなたの心臓を、夜通し鞭で打ってる」
ガレンは真っ黒になった器をじっと見つめた。喉が、ごくりと鳴った。自分の体の中を、初めて目で見た顔だった。
ガレンの顔から、血の気が引いた。震える手で、瓶を卓に置く。
「じゃあ、俺は……効かせるつもりで、毒を溜めてたのか」
「効いてなかったわけじゃない。ただ飲む間隔が、短すぎた。だから、こうしましょう」
俺は帳面に飲む時刻を書いた。
「二時間おきじゃなく、六時間おきに。夜の間に二回だけ。それで切れる感じがしても、我慢する。体の中には、ちゃんと残ってますから。……たぶん、二日で動悸は止まります」
ガレンは半信半疑の顔で、帰っていった。
三日後。
彼は隈の消えた顔で、店に現れた。
「動悸が、止まった。夜中に、目が覚めなくなった。あんた……本当に、当てやがった」
彼は深々と、頭を下げた。それから、少し声を落とした。
「あんたのこと、方々で噂になってるぞ。飲んでるものを、全部書いて危ない重なりを見抜く、変わり者の薬師がいるって。……俺みたいなのを、何人も助けてるってな」
「大したことは、してません。ただ、確かめてるだけです」
「その“確かめる”ってのが、この街じゃ、誰もやらんのさ」
ガレンは店を出ようとして、ふと立ち止まった。カウンターに広げた俺の相互帳をじっと見ている。開いた頁に、青い印をつけた、あの三人の名前があった。
「なあ。この青い印の薬……あんた、どこで見た」
俺ははっとした。
「知ってるんですか。この、青い霊薬」
ガレンは少し、声をひそめた。周りに誰もいないのに。
「……俺は夜警だ。城門の。だから、たまに見るんだ。夜中に、塔から出てくる荷を。中身は、いつもあの青い光だ。あれは市場には、卸されない。特別な連中にだけ、配られてる」
「特別な連中?」
「詳しくは、知らん。だが、あの薬を配ってるのは――」
ガレンはそこで、言葉を切った。俺の背後、窓の外をちらりと見た。まるで、誰かに聞かれるのを恐れるように。
「実は俺もその荷運びを、頼まれたことがある。塔の、錬成長さまから直々に。“これを、街に少しずつ配れ”とな。断れる相手じゃない。あの方はこの街で、王さまより偉い」
錬成長。
その言葉を、俺は初めてはっきりと聞いた。
「その、錬成長っていうのは……どんな人なんですか」
ガレンは瓶をしまいながら、ぽつりと言った。
「会ったことは、一度きりだ。だが、忘れられん。あの目は。……人を、値踏みする目だった。“お前は、まだ足りない”。そう言われてる気が、ずっとした」
お前は、まだ足りない。
その言葉になぜか俺の胸が、ざわりとした。
ガレンが帰ったあと、俺は閉めた店の中で、一人その言葉を反芻していた。
戸を叩く音がした。セリカだった。診療所を閉めた帰りに寄ったらしい。手に、湯気の立つ鍋を提げている。
「余ったから。食べな」
彼女は勝手にカウンターに鍋を置いて、椀によそった。豆と、干し肉を煮込んだものだった。塩の効いた素朴な匂いが、店に広がる。
「あんた、またろくに食べてないでしょ。書いてばっかりで」
「……すみません」
「謝ることじゃないでしょ」
彼女はあきれたように言って、俺の隣に腰かけた。ふと、開いたままの相互帳に目を落とす。青い印の頁だった。
「なにこれ。三人に、同じ印」
「気になってるんです。この三人、暮らしも歳もばらばらなのに、同じ珍しい青い霊薬を飲み始めてる。しかも、塔から、夜中にこっそり配られてるものらしくて」
セリカの椀を持つ手が、止まった。
「……塔が、配ってる? 市場を通さずに?」
「ええ。ガレンさんが、荷運びを頼まれたことがあるって」
セリカはしばらく黙っていた。それから、低い声で言った。
「気をつけな。塔は、この街の“神さま”だよ。その神さまが、裏で何かしてるなんて疑いは……口にしただけで、消される。あたしの知ってる治療師にも、そうやって、いなくなった人がいる」
その声にいつもの軽さは、なかった。
俺は青い印を指でなぞった。
「でも、確かめないと。もし、この薬が、街じゅうに広まったら――みんながこれを別の薬と重ねたら。何が起きるか、俺には視えてしまうんです」
「……変なやつ」
セリカはそう言って、俺の椀に干し肉を一切れ、足した。
「ほら。あんたもたまには、足しな」
お前は、まだ足りない。
その言葉になぜか俺の胸が、ざわりとした。
どこかで、聞いた気がした。ずっと昔――いや、前世で。
誰かが、いつも俺にそう言っていた。回転率を上げろ。数をこなせ。足りないから病気になる。足せば治る。それだけの話を、お前は難しくしすぎる。
――まさか。
俺は頭を振った。そんなはずがない。ここは、異世界だ。あの人が、いるわけがない。
だが胸のざわつきは、消えなかった。相互帳の青い印をつけた頁を、俺はもう一度、見つめた。塔から夜中に運び出される、青い光。それを配る、錬成長。人を値踏みする、その目。
窓の外で、塔が青白く光っていた。
その光が、なぜかあの薬局の、じりじり鳴る蛍光灯の色に似ている気がした。




