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異世界おくすり手帳 ―― 重ねがけ禁忌の薬剤師  作者: もしものべりすと


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第二十章「相互作用」

俺は渦に向き直った。


 これまでの俺なら、危ない繋がりを、片端から断とうとした。だがそれは、間違いだった。断てば断つほど、別の繋がりが暴れる。この釜の中は、街と同じだ。ぜんぶをバラバラにしたら、それはそれで壊れる。


 ――組み直すんだ。


 俺は相互帳の、地図を頭に叩き込んだ。渦の中の、繋がりを視る。危ない繋がり。それを、ただ断つんじゃない。その隣に、“打ち消し合う”別の繋がりを作ってやる。悪い相互作用を良い相互作用で、上書きする。セリカを助けたときと、同じやり方で。


 俺は鞄から、二本の薬を取り出した。


 渦の、荒れ狂う一点。青と金が暴れている、その要へ。まず一本目を正しい速さで、投げ込む。半減期を数える。焦らず。そして正しい間で、二本目を。


 二本が渦の中で、出会う。


 暴れていた青と金が、その二本に、包まれて――ほどけた。


 渦の一部が、静かになった。


「なっ……」


 オルダが目を見張った。


「断っていない……お前、繋がりを断つんじゃなく、繋ぎ直したのか……」


「そうです」


 俺は次の要へ移った。また、二本。組み合わせる。ほどく。次の要。組み合わせる。ほどく。一つずつ。地味に。確かめながら。前世で何百回も、やってきたあの作業を。ただ規模が世界ぜんぶ、なだけで。


 額から、汗が滴った。目が乾いて、痛む。渦の熱で、肌がひりつく。それでも、手を止めなかった。一本間違えれば、連鎖が暴れる。だから、確かめる。地図を見て。順番を読んで。この繋がりの次は、この繋がり。焦るな。だが遅すぎても、いけない。加減を探りながら。


 俺のいちばん、地味で。いちばん恥ずかしかった、確かめる癖。書く癖。それが今、世界をほどいていく。派手な魔法じゃない。強い付与でもない。ただこつこつと、一本ずつ。それが俺の、戦い方だった。


 だが、渦はまだ巨大だった。俺一人の手では、追いつかない。ほどいた先から、また街の暴走の力が、渦に流れ込んでくる。塔の釜は街の暴走と、繋がっていた。街が荒れる限り、渦も鎮まらない。


 ――間に合わない。俺、一人じゃ。


 そのときだった。


 渦に流れ込む力が、ふっと細くなった。


 塔の窓の外。街を見下ろす。


 視えた。街のあちこちで、あのあたたかい色の繋がりが、広がっていた。ガレンがトーゴが、ミリが老夫婦が。相互帳の地図を手に、家々を回っている。危ない繋がりを、止め良い繋がりを繋ぎ直している。俺が一人でやってきたことを。今街ぜんぶの手が、やっていた。


 街が、鎮まるほどに。渦に流れ込む力が、細くなる。


 俺は一人じゃ、なかった。


 街の、無数の“確かめる手”が。俺と、繋がっていた。それも――相互作用だ。人と人が支え合う、いちばん良い相互作用が。俺がこの街に来て、一月かけて種をまいてきたもの。ノルにガレンに、トーゴにミリに老夫婦に。一人ずつ確かめて引いて繋いできた、その繋がりが。今世界を、支える網になっていた。


 力を一つに集めたオルダの塔は、崩れた。


 だがたくさんの手が、少しずつ支え合うこの街は。崩れなかった。


「見てください、棚原さん」


 俺は窓の外を指した。


「あんたは、力を一つに重ねようとした。全部を一人で、背負おうとした。でも、違うんだ。世界は一人の力じゃ、支えられない。……こうやって。たくさんの人が、少しずつ支え合う。危ないところを確かめ合う。それで、やっと立つんです」


 オルダが窓の外を見た。


 街の、あたたかい光の網を。人と人が繋がって街を支え直している、その光景を。


「相互作用は」


 俺は渦を組み直しながら、言った。


「断つものじゃ、ないんです。組み直すもの、なんだ。混ざって害になることも、ある。だからそこは、止める。でも混ざって支え合うことも、ある。そっちは、繋いでいく。……“混ざる”ことを、恐れなくていいんだ。ただ、確かめて。加減すれば、いい」


 渦が少しずつ、鎮まっていく。


 七色の荒れ狂いが、穏やかな、一本の流れに変わっていく。破裂寸前だった釜が、ゆっくりと呼吸を取り戻していく。


 オルダはその渦を、呆然と見ていた。


「私は……ずっと、一人で背負おうと……足りない分を、全部自分で足そうと……」


「もう、いいんです」


 俺は静かに言った。


「あんたはじゅうぶん、やった。娘さんのことも。この街のことも。……もう足さなくて、いい。もう一人で背負わなくて、いいんです」


 オルダの、体から力が抜けていった。


 彼が四十年握りしめてきた、“足す”という呪い。それが渦と一緒にほどけていく。


 だが。


 渦が、鎮まるにつれ。オルダの体が透けるように、薄くなっていった。


「棚原さん!?」


「……ああ。私はこの釜の、核だったのだよ」


 オルダが力なく、笑った。


「この渦に私の力を命を全部、注ぎ込んで、動かしていた。渦が、ほどければ。私も……ほどける。当然の、報いだ」


「そんな……!」


 俺は駆け寄ろうとした。だがオルダは、手で制した。


 その顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。塔の主でも、前世の上司でもない。ただ娘を失った一人の、父親の顔だった。


「灰谷。……いや、リツ。一つだけ、礼を言わせてくれ」


 渦の光の中で彼の姿がだんだん、透けていく。指の先から。衣の裾から。光の粒になって渦へと、還っていく。


「お前は、私の、いちばん見たくなかった答えを突きつけた。残酷な、奴だ。……だが。そのおかげで、私はやっとあの子に謝れる。“足りなかった”んじゃない。“間違えた”んだと。……四十年、言えなかった言葉だ」


 俺は涙を、こらえられなかった。


 この人は前世で俺をいちばん、苦しめた人だった。俺に確認を捨てさせ声を奪い臆病者だと、嗤った人。恨んでも、いいはずだった。


 なのに。今消えていくこの人を、俺は、ただ悲しいと思っていた。同じ後悔を、抱えた一人の人間として。娘を失った、一人の父親として。


「棚原さん。あなたも……救いたかった、だけなんですよね。ずっと」


 オルダの、透けた顔が。かすかに微笑んだ。


「ああ。……ずっと、な」


 オルダの姿が、光の粒になっていく。


「達者でな。……“引きの薬師”」


 最後にそう言って。


 棚原は――オルダは。渦の光に、溶けるように消えていった。


 俺はしばらくその場所を見つめていた。もう誰も、いない場所を。値踏みする目も。薄い声も。もうどこにも、なかった。


 後には静かな釜だけが、残った。渦は穏やかな、ただの光の池になっていた。もう暴走の、気配はない。


 塔の窓から、空を見上げる。


 あの、青い濁りが。少しずつ、晴れていく。青空が、戻ってくる。


 街の、暴走は。世界の、暴走は。


 止まったのだ。


 俺はその場にへたり込んだ。全身の力が、抜けていた。相互帳を、胸に抱いたまま。


 勝ったという気持ちは、なかった。


 ただ深い深い、静けさだけがあった。


 窓の外では青空が少しずつ、広がっていた。街の悲鳴もいつのまにか、止んでいる。代わりに遠くから人々のざわめきが、聞こえてきた。安堵の声。誰かを呼ぶ声。生きている、人々の声。


 俺は相互帳を開いた。震える指で最後の頁に、今日のことを書き足す。世界が、暴走しかけた日。それを止めた日。倒すんじゃなく、解毒で。断つんじゃなく、組み直して。


 そして頁の隅に、いつもの言葉を書いた。


 ――重ねる前に確かめる。


 その下に、もう一行書き足す。この世界で、俺が学んだ言葉を。


 ――相互作用は、断つものじゃない。組み直すものだ。


 書き終えて、俺はふうと息を吐いた。


 棚原さんの、最後の顔を思い出す。憑き物が落ちた、穏やかな顔。あの人は、やっと娘に謝れただろうか。あの人の四十年の、後悔が。少しでもほどけていれば、いい。


 俺は立ち上がった。膝が、笑っていた。それでも、立てた。


 帰ろう。


 俺を待っている人が、いる。約束をした人が。

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