表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界おくすり手帳 ―― 重ねがけ禁忌の薬剤師  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/23

第十五章「相互作用の連鎖」

連鎖は、止まらなかった。


 毒の井戸で倒れた人を見て、街は恐慌に陥った。「呪いだ」「毒だ」と、叫び声が上がる。人々は我先にと、家の霊薬をあるだけ飲み始めた。身を守ろうとして。強くなろうとして。


 だがそれが、次の連鎖を生んだ。


 青い薬。元気水。古い霊薬。あらゆるものが、体の中で混ざり合う。一人が倒れそれを見た隣人が、怯えてまた薬を重ね、その隣人が倒れる。相互作用の、連鎖。ドミノが、倒れるように。街の一区画が、まるごと崩れていく。


 空気が、青く澱んでいた。あちこちで暴走した付与が、火花のように爆ぜる。焦げた匂いと、毒の匂いと血の匂い。地面には割れた瓶の破片が、散らばりその上を、逃げ惑う人々が踏みつけていく。子どもの泣き声。老人の呻き。誰かが、誰かの名を呼び続けている。


 俺が思い描いた、最悪の光景が。今目の前で、現実になっていた。青い薬が、街じゅうに広まったら。みんながそれを重ねたら。何が起きるか。俺には、視えていた。視えていたのに止められなかった。それどころか、俺の手が、その引き金の一つを引いてしまった。


 俺はその中を、ふらふらと歩いていた。


 助けなければ。分かっている。だが体が、動かない。俺が薄めた井戸の水が、人を倒したのだ。俺が動くたびに、事態は悪くなる気がした。俺の手は、もう信じられなかった。


 この目が、憎かった。何が「視える」だ。危ない組み合わせが、視えるくせに。いちばん肝心なときに、たった一つの相性を見落とした。この目が正確だからこそ、俺は自分が変えてしまった毒を、正確に視てしまう。倒れた人の体の中で、それが広がっていくのを、一部始終見せつけられる。いっそ何も視えなければ、楽だったのに。


 前世でも、そうだった。危ないと、分かっていた。分かっていて、間に合わなかった。分かるということは、時にいちばん残酷な罰だった。


「リツ! こっち! 手を貸して!」


 セリカの声が、飛ぶ。


 彼女は崩れかけた家の前で、倒れた子どもを抱え上げていた。俺は駆け寄ろうとして――足が、すくんだ。


 もし、俺がまた確かめ損ねたら。この子も俺の手で、倒れるかもしれない。


「何、してるの! 早く!」


「……俺が行っても。また、間違えるかもしれない」


 声が、掠れた。


「俺が薄めた水で、人が倒れたんだ。俺の“引く”は、もう信じられない。俺なんかが、触ったら――」


「馬鹿!」


 セリカが怒鳴った。子どもを抱えたまま。額に汗が、光っていた。


「一回間違えたくらいで! あんたがこれまで救った人の数を忘れたの! ノルもガレンもトーゴもあの井戸のこと以外、みんなあんたが救った命よ! 今目の前で死にかけてる子がいるのよ! あんたの目が、必要なの!」


「でも――」


「でもじゃない!」


 彼女の声が、震えていた。怒りじゃない。必死だった。


「完璧な人間なんていないの! 間違えるわよ、人間だもの! あたしだって妹を死なせた! それでも治療師を続けてる! 間違えたなら、次を救えばいい! それが生きてる者の務めでしょ!」


 その一喝に、俺の足が動いた。


 俺は子どもの元へ駆け寄った。膝をつき脈を取り、飲んだものを確かめる。今度こそ、慎重に。一つずつ。青い薬と、元気水。定石通りの、過量。薄め水は――使えない。あれは、変質する。ならば、ただの真水で。一滴ずつ。焦らず。時間をかけて、体の中の濃さを下げていく。


 子どもの唇に赤みが、戻ってくる。胸が、上下する。呼吸が、戻った。


「ほら、見なさい」


 セリカが汗だくの顔で、笑った。


「あんたの目は、間違ってない。ちゃんと、救えた」


 俺はうなずいた。ほんの少しだけ、手の震えが止まった。彼女の言葉が、崩れかけた俺の足元を、もう一度支えてくれた気がした。


 ――そのときだった。


 崩れかけた家の、二階から悲鳴が聞こえた。


「まだ、上に人がいる!」


 誰かが、叫んだ。老人が逃げ遅れて、取り残されている。家は暴走した付与の余波で、今にも崩れそうだった。柱が、軋む。壁に亀裂が、走る。


「セリカさん、危ない!」


 だがセリカは、もう駆け出していた。


「治療師が見捨てられるわけ、ないでしょ!」


 彼女は崩れかけた家の中へ飛び込んだ。埃が、舞い上がる。


「セリカさん!」


 俺は追おうとした。だが崩れる瓦礫が、行く手を塞いだ。頭上から砕けた瓦が、降ってくる。俺は腕で頭をかばうのが、精一杯だった。


 家の中から、物が崩れる音。セリカが老人に呼びかける声。「立てますか」「掴まって」。焦れるほど、長い時間だった。


 次の瞬間。


 家の中で、閉じ込められていた霊薬の樽が、暴走に呑まれた。


 青い光が、窓から漏れる。ぶわっと、膨らむ。爆ぜる。


 もやもやとした、毒の煙が家じゅうに噴き出した。俺が樽で見たのと、同じ煙。あの、変質した青の毒。あれを吸えば。


「セリカさん! 息を、止めて! 逃げて!」


 俺は絶叫した。喉が、裂けそうだった。


 時が、止まったように感じた。


 崩れかけた戸口。埃と煙の、向こう。


 やがて、その煙をかき分けて。


 セリカがよろめき出てきた。腕に、あの老人を抱えて。髪が乱れ顔は煤で、汚れている。それでも老人をしっかりと、抱えていた。彼女は外の仲間に、その体を託した。


「ちゃんと、診てあげて。あたしは……大丈夫」


 だが彼女自身の顔は、蒼白だった。口元を押さえている。指の間から、荒い息が漏れていた。


「セリカさん!」


「……げほっ。だいじょう、ぶ。ちょっと、煙を吸っただけ」


 そう言って、彼女は笑おうとした。いつものぶっきらぼうな、笑い方で。


 だがその足が、がくりと崩れた。


 俺は間に合わなかった。


 彼女の体が、ゆっくりと傾いていく。手が、宙を掴む。俺は走った。だが、遠かった。数歩の距離が、何倍にも感じた。


 彼女の体が、地面に倒れる。目がうつろに、宙をさまよう。唇があの、青い毒の色に染まっていく。


「セリカさん! セリカさん!」


 俺は彼女を抱き起こした。脈を取る。速く、そして乱れている。あの、変質した青い毒を吸い込んだ。俺が変えてしまった、あの毒を。


 彼女の指が、力なく俺の袖を掴んだ。


「リツ……あの帳面……ちゃんと、次の人に……」


「喋らないで! 助けます! 絶対、助けるから!」


 俺は彼女を、抱えて店へ走った。仲間が、道をあけてくれる。ノルの母が泣きながら、ついてくる。


 店に運び込み、寝台に寝かせる。俺はあらゆる薬を、頭の中で並べた。この、変質した青い毒を打ち消すもの。中和するもの。……ない。俺の知識にも、この世界の霊薬にも。あの毒は俺が薄め水で、作り出してしまった、新しいものだから。前例が、ない。


 俺の目は残酷なほど、正確に視ていた。


 彼女の体の中で、毒が静かに広がっていく。心臓へ。肺へ。じわじわと。今すぐ命を奪うほどではない。だが確実に、彼女を蝕んでいる。このままなら、数日ともたない。


 俺のせいで。


 俺が薄め水で、変質させたあの毒で。


 助けようとした手が、いちばん大切な人を倒した。


 セリカが俺の腕の中で、荒い息を繰り返していた。


 俺は彼女の手を、握ったまま動けなかった。


 あたたかい手だった。初めて会った日、俺の“引く”を笑わなかった手。診療所で湯気の立つ茶を、俺の前に置いてくれた手。何百人もの患者に触れて、何人もを見送ってきた、傷だらけの手。妹を死なせた罪を抱え続けてきた手。


 その手が、今俺のせいで、冷たくなっていこうとしている。


 棚原の言葉が、耳の奥でよみがえった。「あの日のように、手の中で冷たくなっていくのを、ただ見ている」。あの男が狂ってまで、避けようとした光景。それを今、俺が味わっている。


 ――足すことも、引くことも。人を殺す。


 じゃあ俺はどうすれば、よかったんだ。


 答えは、出なかった。


 窓の外で、塔の渦が勝ち誇るように、青く脈打っていた。


 完成の日まで、あと二日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ