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異世界おくすり手帳 ―― 重ねがけ禁忌の薬剤師  作者: もしものべりすと


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第十三章「併用禁忌」

「明日は、祝福の日である!」


 翌朝広場に塔の使いの声が、響き渡った。


 オルダは姿を見せなかった。だが彼の言葉は、街じゅうに告げ知らされた。


「七日後、錬成長オルダさまが、究極の霊薬を完成なさる。この街は死のない永遠の楽園となる! それに備え、市民は明日より青き霊薬を存分に飲み、力を重ねよ! 重ねれば重ねるほど楽園での席は高くなる!」


 広場の人々が、どよめいた。歓声が、上がる。無料で配られる、青い霊薬に人々が群がった。


 塔の使いたちが、荷車で青い薬を運んでくる。次から次へと、樽が割られ瓶が配られる。人々は我先にと、手を伸ばした。楽園。永遠。死のない世界。その言葉に、みんな酔っていた。


 空を見上げる。晴れているはずなのに、どこか青みが濁っていた。塔の頂の渦が、その濁りを、空へと吐き出しているように見えた。


 俺はその光景を、店の前から見ていた。掌が、汗ばんでいた。


 ――駄目だ。あれを、あんなにいっぺんに。


 あの青い薬が、街じゅうの人の体に入る。そしてみんないつもの元気水と、重ねる。祭りの夜の、何十倍もの規模で。相互作用の、連鎖が街を呑み込む。


「みなさん、待ってください!」


 俺は人垣に割って入った。声を張り上げる。


「その青い薬といつもの元気水を、一緒に飲まないで! それは、併用禁忌なんです!」


「へいよう……なんだって?」


「絶対に一緒にしちゃいけない、組み合わせ、ってことです!」


 俺は必死に、言葉を探した。この街の人に伝わる言葉を。


「薬の中には“これとこれだけは、何があっても混ぜちゃいけない”っていう、組み合わせがあるんです。ほかのは多少重ねても平気でも、その二つだけは、絶対にだめ。混ざった瞬間、体の中で毒に変わる。……それを併用禁忌って、言います。今みなさんが飲もうとしてる、青い薬と元気水。それがまさに、それなんだ!」


 俺は近くにいた、若い女の手から、瓶をそっと取り上げた。彼女は片手に青い薬、もう片方に、元気水を握っていた。


「あなた。両方一緒に、飲もうとしてたでしょう。……やめてください。片方だけなら、いい。でも二つ一緒は、死にます」


 女は俺の必死の顔に、気圧されたように、瓶を下ろした。


「そう……なの?」


「本当です。祭りの夜、倒れた人たちも、みんなこの二つを重ねてた。……信じてください。お願いします」


 人々の手が、一瞬止まった。祭りの夜の恐怖は、まだ記憶に新しい。


 だが。


「またあいつだ。“引きの薬師”だ」


 誰かが、言った。


「聞いたか。オルダさまが、仰ったそうだ。あの薬師は、“見殺しの男”だと。せっかくの、神の力を人から取り上げて回る。あいつの言うことを聞いたら、楽園に、行けなくなるぞ」


 人々の目が、俺に集まった。


 さっきまで俺に感謝していたはずの、顔もあった。一包化を、手伝ってくれた者もいた。それが今、疑いと敵意の色に染まっていた。


「そうだ。この男は、いつも“やめろ”“引け”ばかりだ」


「強くなりたいのに、邪魔ばかりする」


「楽園に、行かせたくないんだろう!」


 罵声が、飛んだ。


 俺は後ずさりそうになる足を、ぐっと踏みとどまらせた。前世なら、ここでうつむいていた。逃げ出していた。でも――今は。


「違う! 俺はみなさんに生きてほしいだけだ! あの薬を、重ねたら楽園どころか、その前に倒れる! 頼むから――」


「黙れ!」


 塔の使いが、俺を指さした。


「オルダさまは、こう仰った。“その男は、前世でも確かめてばかりで、何ひとつ救えなかった臆病者だ”と!」


 その言葉が、広場に響いた。


 前世でも。確かめてばかりで、何ひとつ救えなかった。


 俺の、息が止まった。


 オルダは――棚原は。前世のことを、街に言いふらしていた。俺のいちばん、痛いところを。あの、ためらった一件を。声を上げられなかった、俺の弱さを。


 図星だった。だから、こたえた。


 俺は確かに、確かめてばかりだった。震えてうつむいて、間に合わなかった。あの患者を、ベッドに縛った。棚原はそれを知っている。俺がいちばん、隠したい傷を。だからそこを、正確に抉ってきた。


 ――お前は確かめてばかりで、何も救えない。


 その声が、頭の中で反響する。前世のあの夜の、自分の姿と重なる。受話器を握ったまま、震えていた俺。


 人々の嘲る声が、遠くなる。俺の視界が、ぐらりと揺れた。膝が、力を失いかけた。


 ああ、まただ。またうつむいて、逃げ出したくなる。声を上げても、どうせ潰される。お前の“念のため”なんて、誰も聞きたくない――。


「――リツ!」


 人垣を割ってセリカが、駆け寄ってきた。俺の腕を掴む。


「聞いちゃ、だめ。あんなの、ただの揺さぶりよ」


「でも、セリカさん。本当なんです。俺は前世で――」


「知ってるわよ、そんなこと」


 セリカが俺を睨んだ。だがその目は、優しかった。


「あんたが、前世で後悔してるってこと。だからこの世界で、必死に確かめてるってこと。……いい? あんたが、確かめてばかりの男だってのは、事実。でもその“確かめる”で、この街の何百人が、助かったと思ってるの。ノルも。ガレンも。トーゴも。あたしだって」


 彼女は俺の胸を、とんと叩いた。


「過去に、救えなかった一人を悔いてるなら。目の前の、救える一人を救いなさい。うつむいてる暇なんて、ないでしょ」


「セリカさん……」


「それに」


 セリカはふっと笑った。


「あんた一人じゃ、ないでしょ」


 その言葉に、俺は周りを見た。


 人垣のあちこちから、人が進み出てきた。ノルと、その母親。夜警のガレン。離脱から立ち直った、トーゴ。一包化を手伝った、老夫婦。青い薬をやめた、ミリ。俺がこの一月で、確かめて引いて助けてきた人たち。


「薬師さんの言う通りだ」


 ガレンが太い腕を組んで、言った。


「俺はこの人に、命を救われた。塔の連中の言うことより、この人の言うことを、信じる」


「あたしたちも、青いのは飲まない」


 ミリが青い薬の瓶を、地面に置いた。


「あの人が危ないって言うなら、危ないのよ。あたしあれで、ひどい目に遭ったもの」


 一人、また一人。俺の後ろに、人が並んでいく。多くは、ない。広場の群衆の、ほんの一握りだ。だが、確かにいた。俺の“引く”を信じてくれる人が。


 俺の、喉が詰まった。


 前世で俺の味方は、一人もいなかった。うつむいて震えて一人で、後悔していた。でも、この世界には。


 俺は顔を上げた。


 広場では人々がなおも、青い薬に群がっている。止められなかった。何人もが、それをいつもの元気水と、重ねて飲もうとしている。


 時間が、ない。


「セリカさん。俺、決めました」


 俺は拳を握った。


「一人でも、多く。飲む前に確かめる。……たとえ見殺しって、罵られても」


 その日から、街は二つに割れた。


 オルダを信じ青い薬を、浴びるように飲む者。俺を信じ、それをこらえる者。


 俺の店には後者の人々が、詰めかけた。「うちの薬を、確かめて」「安全な組み合わせを、教えて」。俺は寝る間も惜しんで、一人ずつ相互帳に、書き込み危ない重なりを抜いていった。指がペンだこで、腫れた。それでも、書いた。書けばその一人は、助かる。


 だがそれ以上の数の人が、広場で、青い薬を重ねていた。俺の声はその全員には、届かない。


 夜、店の窓から、空を見上げる。


 空は日ごとに、青く濁っていった。まるであの釜の渦が、少しずつこの世界を、侵食しているように。星が青い膜の向こうで、にじんで見えた。


 完成の日まで、あと六日。


 俺は相互帳を抱きしめた。この一冊に、街の姿が詰まっている。誰が、何を飲んでいるか。この帳面だけが、あの暴走を、止める手がかりになるかもしれない。


 まだその使い方は、分からなかったけれど。

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